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奢りに命をかける男

地方から大学入学を機に上京した私(童貞)。
そんな純真無垢な童貞は、騙されたようなかたちで、全く興味のない民族音楽のサークルに入ることになってしまった。
そしてそこのサークルには奇妙な風習がいくつかあった。
と、こんなことを先日書いた。

今日はこの続きを書いていきたいと思うので、もしよろしければお付き合いください。


サークルに入った経緯は、私にとって不本意ではあったが、サークル内の先輩たち(男のみ)と仲良くなり毎日のように遊んでいた。サークル内の人間関係(男のみ)がほぼすべてとなり、童貞街道を順調に邁進していた。

そしてこのサークルにハマっていく理由の一つとして、このサークルの奇妙な風習があった。
それはOBが後輩に対して積極的、いや、情熱的とも言っていいほどに奢りまくることが美徳だという風習である。


夕方、その日の授業がすべて終わると、私たち民族音楽サークルの男性メンバーは、サークル室にいて話をしたりテレビゲームをしたりしていることが多かった。その日によってサークル室内にいるメンバーの人数は違ったが、必ず何人かはたむろしていた。

そうこうしているとOBの誰かが突然やってくる。

普通のサークルや部活動であれば、突然OBがやってくるのは迷惑だろう。

しかし民族音楽サークルは違う。

OBはサークル室にやってくると部屋を見渡して「今日はこんなにたくさんいるのかよ。あんまり金ないんだけどな。でも飯行くぞ!」と言って大学の近くのラーメン屋さんや定食屋に連れて行ってくれる。

サークル室内には10人くらいの現役男性メンバーがいることも珍しくなかった。
OBはそのすべてのメンバーにラーメンや定食を奢ってくれるのだ。
そして後輩にご飯を食べさせ終えると「またな!」と言ってあっという間に帰って行く。

私たちの活動に口を出すのでもなく、OBたちが現役時代だったころの武勇伝を語るでもなく、お金を出したらあっさり帰って行く。

理想的なOBたちである。

だから私たち現役メンバーは、暇でお腹が空いている日は授業が終わるとサークル室にいて、誰かOBが来ないかと待っていたものだ。

私がバイトをそれほど熱心にしないでも、楽しい童貞学生ライフを送れたのは、OBの方のおかげといっても過言ではない。

そんな中でも度を超えて後輩に奢りたがるOBがいた。その方は平井さんというのだが、一度後輩を目の前にすると財布が空になるまで奢ってくれた。お金がない時は友人や彼女に借金してまで奢りにきてくれていたらしい。
平井さんは「歩く人頭税」という意味がよく分からないあだ名が付いていたくらいの奢りたがり人間であった。

平井さんはサークル活動日には、卸売り問屋が来たと言われるくらいの大量の差し入れを持って、満面の笑みでやってくる。
飲み会や食事会にも積極的に参加して、必ず全額出す。それでいて飲み会や食事会では威張らずに自らいじられ役にもなるという献身ぶりに、「マザーテレサの孫のはとこ」という異名ももっていた。

私も平井さんにはよくしてもらった。
大学から帰宅する時に最寄り駅で平井さんにばったり会った時のことがある。
平井さんは私を見て「あー!会っちゃったよ。なんでこんなとこいるんだよ。大人しく帰ろうと思ってたのに。明日も早いんだよ。でも会っちゃったら行くしかないな。焼肉行くぞ」と言う。

私がなんでここにいるかというと大学の最寄り駅だからだ。
平井さんの会社は、大学の最寄り駅からは遠い。それにも関わらず後輩に奢れなくなるのが嫌で、卒業してもわざわざ大学の最寄り駅の付近にアパートを借りて住み続けている。
これを私たちは「平井氏の自主的居住地制限制度」と読んでいた。

だから「会っちゃった」とは間違いであり、会って当然なのである。そして「会っちゃった」としても平井さんには帰る自由はある。
しかし平井さんの美学として、後輩の顔を見てしまったら奢らなければいけないということがあるので帰れないようだ。

ともかく私は平井さんに焼肉に連れて行ってもらいお腹いっぱい食べさせてもらった。
そして、食事が終わり外に出て、お礼を言ってから家路に着こうとすると平井さんはちょっと待っていろと言う。

数分して平井さんは戻って来たのだが、コンビニのビニール袋を持っている。中にはペットボトルのお茶や缶コーヒーが入っていて、良かったら飲んでくれ、とのことだった。平井さんは「後輩と会って財布が重いままで帰れるかよ」となぜか照れながら言う。
そこでなぜ照れるのか平井さんの感情の動きがよく分からないのだが、財布に小銭が残った状態で後輩と別れるのは平井さん的にはあり得ないことらしいのだ。後輩と会ったら宵越しの金は持たない、というのが平井さんの生き方であった。

平井さんが鳥取出身だから私たちは平井さんのことを「奇跡的に鳥取に残存していた国内最後の江戸っ子」とも呼んでいた。

このような民族音楽サークルでの出会いはある意味刺激的であり、楽しくもあった。
男性の先輩達との楽しい日々は、ますます私の童貞卒業を遠ざけることとなる。
もう童貞の道を極めてもいいと諦めかけたこともあるほどだ。
童貞卒業を夢に見て上京した私であるが、現状に満足していってしまったのである。

ただそんな開き直った童貞にも信じられない出会いがあった。いつかはその話も書きたいと思いつつ、今日はここでおしまいにする。

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