ニューヨーク憧憬
私が一番この世界で行きたい場所はニューヨークである。
ニューヨークへの憧れは、物心がついた頃からある。
まず私のニューヨークへの憧れを培ったのは、アメリカ横断ウルトラクイズである。
幼少期にこの番組が好きで、毎年楽しみにしていた。
司会者の「ニューヨークに行きたいか!」という煽りの言葉を受けて、大勢の大人がニューヨークを目指してクイズ対決をする。
東京ドームから始まり、アメリカの西海岸へと飛行機で渡り、どんどん東に向かってクイズをしながら向かっていく。その模様は数週間にわたって放送されていたように記憶している。
ニューヨークでの最終決戦の放送日にはとうとうここまできたかと感慨深い気持ちになった。
そして美しくライトアップされたニューヨークのビル群が映されると私は息をのんだ。
私が育った市は人口規模が15万人くらいとこじんまりしていて、そのころは高いビルが一つもなかったので、高層ビル群を見たことがなかった。
都会に行ったことがなかったので、地球上にこんなすごい場所があるのかと驚愕したことを覚えている。
この番組のおかげでニューヨークとはみんなが「行きたい」場所で、最終到達点だということがインプットされてしまった。
かなり小さな頃なので感化されやすく、この思い込みともいえるような気持ちをずっと持ち続けている。
これがニューヨークへの憧れの原点となっている。
ただニューヨークに行きたいという気持ちは幼少期の経験からだけではない。
田舎から上京したことも、ニューヨークへの憧れを増幅させた。
私は田舎から大学入学を機に東京に出てきた。
高校生の頃の私は、ただ単純に東京ってなんでもあって面白そうという気持ちで、東京の大学を選んだ。
もちろん上京すれば面白いだけで済むわけもなく、挫折やこんなはずではなかったと後悔したこともたくさんある。
しかし東京に出てきて20年くらい経った今、高校生の時にした東京に行くいう決断は間違っていなかったなと思う。
東京にはいろいろな人が集まる。
もともと東京に住んでいる人もいるが、私のように地方から来た人も多い。
私の入った大学の学科は地方出身者が多く、東京出身者は40人中2人であった。
北海道から九州までさまざまな地域から上京してきていた。
それぞれの経歴から考え方や常識が違い大いに驚いた。
私の育った関西地方ではうどんのつゆは薄い色をしているのが普通だった。
しかし関東ではうどんのつゆは蕎麦と同じように、濃い色をしている。
私がそれに驚いていると、北関東出身の友達は何がそんなにおかしいのかと訝しがった。
また方言で当たり前のように使っていた言葉が通じないのにも戸惑った。
関西では「疲れた」「しんどい」「大変だ」というようなことを言いたい時、「えらい」という。
私は「えらい」を方言であると知らずに、北関東出身の友達の前で言ってしまった。
友達はえっ?っという表情をしたので、しまったこれは方言だったのかと気が付いた。
これらはほんの些細な一例であるが、田舎に住んでいたときの常識が崩れることがたくさんあった。
世の中にはいろんな常識があるのだと、東京に出てはじめて気が付いたのである。
それは働きだしてからも同じで、多様な価値観をもった人と出会うことができて、成長できたと実感している。
私にとっては東京に出るということは多様性を感じ取り、内面を豊かにするということだったのかなと思う。
もちろんずっと同じところに住んでいても多様性を理解できる人はたくさんいるし、人格的に素晴らしい人がいっぱいいることも分かっている。
しかし、私は直接的な経験なしでは学べないタイプなので東京に出てきて良かったのだと思う。
そしてこの上京した話とニューヨークがどう繋がるかといえば、ニューヨークは東京以上に多くの人が集まるということである。
ニューヨークには世界各国から人が集まっている。
その多様性は東京の比ではないだろう。
ニューヨークに行けば、私が想像もしないような価値観をもった人とたくさん出会えると思うのだ。
多くの人が集まる場所に私は興味があるのだ。
多くの人が集まるということは出会いの数が増える可能性が高まる。
私はできるだけ多くの人と関わって、たくさんの価値観が知りたい。
私の狭い世界を打ち破ることこそが、自分にとっての成長なのだと思っている。
ニューヨークとは私にとって広い世界を知るための象徴的な場所である。
そんなニューヨークに行ってみたいという気持ちをずっと持ち続けている。
現在は気楽に海外旅行に行ける雰囲気ではないが、今のうちに英語力を高めて将来のニューヨークでの未知の出会いに備えたいなと思っている。
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