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世界の鍵としての私自身

『それ自体』が面白い事や学べる事って実はないんじゃないのかなと思ったりする私です。

ニュアンスが難しいな。

なんて言えば良いかな。

今1番しっくりきてる自分の中の言葉としては、
『それ』が面白いものや学べるものではなくて、
『それ』から面白く感じる方法や、それから学べる事の探し方を自分(人)は知っている、
ということなのかもしれないなあと。

面白いと感じることや学べるなあと感じるのは主観と経験によって増えてきて、そして育まれるものだと。

『それ』自体は変わらなくても、自分自身が変わることで感受できるものが増えるという一つの納得を、私はこの仕組みを実感できたことで得られました。

例えばなんでもなかったマンションの風景。
前まではただの街並みに見えていたものが、最近政治や歴史、時代の翳りみたいなものについて考えるようになってからは、
日が沈み、マンションに影が刺す。


上階にはまだ日が刺していて、けれど下の階にはもう影ができていたりする。
その風景を見て、なにかヒエラルキーのようなものを感じるようになったり。貧富を感じるようになったり。
(実際に住民たちにヒエラルキーがあるとかではなく、その翳り方に、世の中のうねりを重ねている)



例えばアンパンマン。
バイキンマンとアンパンマンと住民たちのほのぼのストーリーだなあと見ていたものが。

バイ菌と酵母菌。どちらも同じ菌だけれどそれが分かれるようになったのはなにがきっかけだったのか。悪さをするバイキンマンだけれど、ドキンちゃんという妹をとても大切にしている。フォーカスを変えたらどうなるのだろう。

アンパンマンの顔を食べさせてもらう人々。自分の一部を削って分け与えられてるものを、何も思わず享受できるものなのか。いや、彼らはとても感謝をしている。正しい感謝の仕方を考える。…
などなど。


こんな楽しみ方や、学び方を昔はしなかったけれど、それは楽しみ方や学び方を知らなかったんだなあと。


自分の経験と蓄えられた知識によって、言ってしまえばなんでもない世界が、どれだけ楽しいものに変わるのだろう。

きっと世界の全てには鍵がかかっているのだと思う。
その鍵穴に差し込める形に自分自身がなれば。
知識と視野と角度を手に入れる事が出来れば。

きっと世界のたくさんの秘密はその時に溢れ出す。

妄想好きといって仕舞えばそれまでの話。
けれどその妄想はかなり大事で、
自分のいたたまれない環境や、不遇を、乗り越えられる事実へと変えてくれるかもしれない。

私は楽しみ方をもっと知りたい。
学び方をもっと知りたい。
なんでもないことが、実は宝箱だったりするかもね。

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