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買い物しすぎる女性たち-2

お買い物は復讐?

ずいぶん前のお話です。その当時で60代だったかな。いかにも上質そうな衣服や身の回りの品を全身に纏ったその美しい女性はこう言いました。

「わたしが高い買い物をするのは、もちろん必要だからという場合がほとんどです。いろんな方々とのお付き合いでもあります。そうね。それ以外には"復讐" の意味もあるかもしれません」

「復讐?」

「ときどき嫌になることもあるんですよ。例えば、仕事で海外に行く主人についていくとき、美術館や博物館に案内してもらうこともあるんです。わたくしはじっくりゆっくり時間をかけて見て回りたいのに、主人は美術や歴史に全く関心がないので、早足でぐるっと一周するだけで終わり。もっと見たいと思っても、わたくしは主人についていかなければならない。ひとりで自由に見たい。ひとりで存分に時間を使いたい。それがわたくしの夢です」

「なるほど。まだ奥さんは常にご主人に付き従うのが当然、とされる価値観が残っている世代でいらっしゃいますものね」

「主人は社会的に責任の重い立場にあって、大勢の人たちの人生を担っていてプレッシャーも大きいし、抱えている問題もとても大きいです。経済的には、世間の一般的なご家庭よりは恵まれていると思います。もちろん主人は誰より努力していて勤勉で、彼のことは尊敬しています。でも、今の生活は主人だけの力ではなく、わたしが裏で家庭や生活を支えているから成り立っているんです」

「内助の功、ですね。奥様のお力あって、二人三脚で続けてきたからこそ、いまのご成功があるということですよね」

「そうです。でもね、わたくしのすることが社会で評価されるわけではない。いえ。別に褒め称えられたいわけでもないですよ。でも、なんだかときどき虚しくなることもあるんです。そんなときに、思いっきり高価なものを買う、そういうことはあります」

「それが、復讐?」

「復讐なんて怖い言葉を使うほどのことじゃありませんね。ふふふ」

外見が美しいだけでなく、頭の中もおそろしいくらい聡明な方で、いろんな話を聞かせてくれました。

いったいどこが復讐なの?

なんというかこのように、教科書通りというか、漫画か映画か?みたいな話を、目の前にいる生きた人から語られるのはなかなかのインパクトです。

その行為のどこがどのように復讐なの?とツッコミ入れたい気持ちもありますが、そもそも誰にも指図されずに自分の意思で何かをする、それがすでに一種の「復讐」なのでしょう。

また、家族のお金は夫だけの財産ではなく自分の財産でもあるのだからいちいち許可を得る必要なく自由に使っていいとして行動するのも一種の「復讐」という感覚になるのだと想像します。

自覚があるならいいけれど

その方くらい自覚的に「夫が社会で稼いできたお金を自分のために使うのは復讐の一種なんだ」いう話なら「そうですか。そういう時代だったし、そういう世代のお生まれですよね。使うお金がいっぱいあってよかったですね」という感想になります。

しかしながら、自分が無意味で病的な買い物を繰り返しているいう自覚がなく、おそらく長年にわたって心が満たされていない代償行為として、衝動的に爆買いして溜め続ける家族・親族をみているのはなかなか辛いものがあります。

勤務・就業経験のない女性たち

「生涯でいちども勤務・就業したことがない女性」のデータはどこかにあるでしょうか?特に高齢者世代には結構いらっしゃるのではないかと思いますが、どうでしょうね?(裏をとりたいけど、いま時間がないっ!)

いまどきはご自分では「専業主婦」とおっしゃっても、パート勤務をされていたり、キャリアを中断しているだけだったりの方が多いのではないかとお見受けします。一生涯一度も働かない、というのは少数派なのでは?

しかしながら、年代が上がると事情はガラリと変わりますね。
前回わたしがぼやいたこちらの話。

ここの登場人物さんたちは、お外での勤務経験がほぼ絶無。ありません。二十代前半で結婚して、ずーーーっと主婦のまま80代になりました。

誰でも結婚するのはあたりまえ。結婚しないのはどこかに欠陥がある人間だとみなされるような時代。「結婚できない」のは人に言えないような恥ずかしい状態。経済的にも結婚しなかったら生きていけないような時代だったと聞いています。

そして「お金は夫が外で稼いでくる。妻は家を守る」という価値観カチカチ、それしか知らないまま生きてきたわけです。

彼女たちにはお外で働いてお金を稼ぐことへの想像力やリアルな体験が決定的に欠けていて、自分が自由になるお金をバンバン使うことが、不満の表明であり、自分の権利の行使だと勘違いしているようにみえます。

そして、その夫たちは具体的な生活を営むスキルも意欲もないので、黙って座って待っていればご飯が出てきて、家が整っているのがあたりまえだと信じているわけです。お似合いのカップルではありませんか!

って、不毛っ。不毛っ。不毛すぎる。
カラカラに干からびたコミュニケーションの大砂漠地帯っ!!!

こどもはよくみている

こんなにはっきり言語化できたわけじゃありませんが、だいたいこういう感じなんだろうという仕組みを、わたしはけっこう小さい頃からわりとはっきり理解していました。誰に習ったわけでも、入れ知恵されたわけでもありません。「こういうのは絶対良くないな。いやだな」とはっきり思っていました。こどもは結構ちゃんとみているし理解しているのではないかな。

男女で役割は分業のほうがいいとおっしゃる方々のことは「幸せでよかったね!」と心で祝福します。余計なお世話なので心の中で「なにかあったときに入れ替え可能な状態にしておかないと、あとあと困ることがあるかもしれないよ?」とは思ってます。

綺麗事と言われようがなんでもいい。特別な事情や制限がない限りは、男も女も関係なく、社会における経済活動も、自分たちの生活を保つための家事も、どちらもできるようにしておいたほうがいいんでないかな?時期や環境に応じて選択できるようにしておいたほうがいいんでないかな?

よけいなおせわですけど。
つづく。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!