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【第2部22章】風淀む穴の底より (4/8)【生死】

【目次】

【鋼線】

──ピュイッ!

 男が口笛を吹く。同時に、リンカのいる部屋のロッカーや戸棚の扉が勢いよく開かれ、なかから立派な体躯の犬たちが姿を現す。軍用犬だ。

 灼眼の女鍛冶は歯ぎしりしつつ、刀を構える。さらしで巻いた胸の内側が、軽く痛む。淀んだ空気は少しずつだが確実に、リンカのスタミナを奪い、身体を蝕んでいる。

「……行け! ほいさっさと、その侵入者をかみ殺すのさッ!!」

「バウッ!」

 男の号令に答えるように軍用犬の群が一斉に吠えると、着流しの女に向かって飛びかかってくる。リンカは刀を振るいつつ、身をよじって包囲攻撃を回避する。

 灼眼の女鍛冶は、刀身に宿る炎の勢いを強める。闇のなかに眼を光らせる獣たちが、火を恐れる様子はない。訓練されているということか。

「バウ、バウッ!!」

「さもありなん……悪く、思うな!」

 喉笛を狙って飛びかかってきた大狗に対して、リンカは紅蓮の炎をまとった刀を振るう。犬の首がたやすく焼き切られ、ごとり、と音を立てて頭部は床へ落下する。

「……ッ!?」

 灼眼の女鍛冶は、目を見開く。首を落とされたにも関わらず、犬の胴体は何事もなかったかのように、リンカへ襲いかかろうとする。生首となった頭部も、侵入者をにらみながら、うなり声をあげ続けている。

「死ぬような傷を負っても……死なない! 下の男と同じなのよなッ!!」

 リンカは、ほかの軍用犬の突進をくぐり抜け、首なし犬の間近へと滑りこむ。すれ違いざまに刀を振るい、獣の四本脚を切断して動きを封じる。

 灼眼の女鍛冶は前転し、素早く立ちあがって、残る大狗たちと対峙する。吐き気を覚え、逆手で口元をおさえる。

 慣れている、とは言い難いが、修羅場の経験は少なくない。故郷のイクサヶ原は、毎日のようにサムライたちが殺しあいをする次元世界<パラダイム>だったし、次元転移者<パラダイムシフター>となったあととて、荒事からは逃れられなかった。

 命の奪いあいは好まない──リンカの偽らざる本音であり、将来を嘱望されながら、刀鍛冶の生家から出奔した理由でもある。だが、いま怖気を覚えさせる原因は異なる。

(あの男……命を、弄んでいやがるのよな)

 手のひらの内側で、灼眼の女鍛冶は独りごちる。かつて対峙した次元間巨大企業、セフィロト社に所属するエージェントの哄笑が、脳裏によみがえる。

 あのとき戦ったセフィロトの尖兵は、生ける屍……ゾンビを使役していた。リンカの友人を殺し、死してなお操り、けしかけてきた。

 なるほど、前回と今回は違う。ゾンビは、命を失ってなお蠢く屍だ。いま対峙している男とは違和がある。眼下の敵は「死んでも動いている」のではない、そもそも「死ななくなっている」のだ。

 リンカの赤い瞳が、先ほど斬り捨てた、暗がりのなかでもがく犬のほうへ向く。首と四肢の切断面からあふれ出す鮮血は、なお生気に満ち満ちている。

──ギャリギャリギャリ!

 階下から伸びてきた鋼線が、ただでさえ半分ほどとなった足場をさらに削り取っていく。リンカの意識が、現在へと引き戻される。

「ちい……ッ! まあ、そうなるのよな……下に落ちたら、アタシは死ぬッ!!」

「バウッ! バウバウ!!」

 灼眼の女鍛冶に向かって、軍用犬が飛びかかってくる。刃の糸に巻きこまれて身体の一部をこそげ取られても、お構いなしだ。

「さもありなんッ!」

 憤怒の念を覚えつつ、リンカは燃える刀を振りまわし、大狗たちを牽制する。よどんだ空気のなかでの激しい運動によって、息が切れる。対する獣の群は、いささかの疲労の色も見えない。

──キュルッ、キュルキュル!

 耳障りな音の質が変わる。灼眼の女鍛冶は灯火の反射による輝きをみて、鋼線が直角に方向転換し、自分を斬り刻もうとしていることを悟る。

「ぬあ……!?」

 なかば転倒するような格好で、リンカは刃の糸による斬撃を回避する。尻もちをつくと同時に、わき腹に鋭い痛みを覚える。灼眼の女鍛冶は、視線を落とす。

「グルルルゥ……!」

 獣の獰猛なうなり声が闇のなかに響く。ほかならぬリンカ自身が、先刻、首を焼き切った軍用犬の頭部が、恨めしげに牙を突き立てている。

「うぐ……さもありなんッ!」

 なま暖かい血が着流しに染み広がっていく感覚を味わいながら、灼眼の女鍛冶は大狗の生首に刀の柄尻をくりかえし、力任せに叩きつける。

 獣の頭蓋が砕け、脳漿があふれ出し、片方の目玉がこぼれ落ちても、軍用犬は突き立てた牙を離そうとしない。あまりの痛みに、リンカのほうの手元が狂う。

 柄頭が大狗の頭部をすべり、切断された首筋にぶつかる。革製の首輪に取り付けられた錠の形をした物体を叩き、砕く。

 次の瞬間、軍用犬の生首はけいれんし、大きく口を開いてリンカのわき腹から牙が抜け、転がり落ちる。大狗の頭部は、白目をむき、動かなくなる。

「……ッ!?」

「──バウバウッ!」

 軍用犬の群が、灼眼の女鍛冶へ向かって突っこんでくる。リンカは、わき腹の痛みに耐えながら立ちあがると、火の粉を散らしつつ燃える刀を振るう。

 獰猛かつ老獪な獣たちを相手取り、ときおり飛来する鋼線をかわしながら、リンカはついさっき目にした現象について思案する。

(のんべんだらり……考えてみれば、当たりまえの話なのよな。仙人じゃあるまいし、そうそう不死なんて実現できてたまるものか……)

 刃の糸が頭部をかすめ、灼眼の女鍛冶の黒い前髪が飛び散る。大狗がのど笛めがけて跳躍し、リンカは刀の切っ先に炎を乗せて突き返す。

(のど元にくっついていた、錠みたいなもの……あれを壊したら、犬は死んだのよな。つまり……あの男も同じものを身体につけていて、それを砕けば、殺せるか?)

 女鍛冶の灼眼が、広がり続ける床の穴の下から糸を繰り続ける男を一瞥する。心のなかで、首を左右に振る。 

(アイツは、息のできない空気のなかにいるのよな……そうでなくても、抵抗する相手の身体のどこに錠がついているのか、のんべんだらりとあらためている余裕はない)

 刀の切っ先に宿った炎が不安定に揺らぎ、ぶすぶすと音を立てている。空気が欠乏している。リンカ自身の呼吸も荒く、身のこなしは精彩を欠く。

 階下から繰り出される鋼線によって足場はますます削りとられ、訓練を積んだ軍用犬たちは灼眼の女鍛冶の動きに順応しつつある。獣の吠え声が、地下室に反響する。

「バウバウッ! バウ!!」

 気がつけばリンカは壁を背負い、残されたわずかな足場まで獣たちによって追いつめられる。いやな汗が額に伝うのを感じながら、灼眼の女鍛冶は刀を握りなおした。

【使命】

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