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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (11/16)【死舞】

【目次】

【突風】

「花は桜木、人は武士……死合の粋を解さぬ小童<こわっぱ>め! さきほどまでの見事な剣さばきを、醜く汚す無様にて御座候ッ!!」

 かんしゃくを起こしたかのごとくわめくトリュウザは、ふたたび長尺の刀を大振りする。殺人的な突風が生じ、斬撃が『飛』ぶ。フロルは、魔銀<ミスリル>の大盾で防御し、衝撃で後退する。

 予想はしていたが、すさまじい圧力が盾越しに襲いかかる。蓄積した疲労とダメージ、それに脱水症状で、足元がおぼつかない。指先の感覚が薄く、盾を取り落としそうだ。それでも転倒しないように、必死にバランスをとり、盾を掲げ続ける。

「捨てよ! 捨てよ! 盾を、捨てよッ!!」

「……こと、わるッ!!」

「あきれ果てた強情にて御座候! 盾を捨てねば……このまま、焦熱地獄へ突き落とすッ!!」

 初老の剣士は、ふたたび長尺の刀の大振りを繰り出す。突風のごとき不可視の刃が生じ、少年へ向かって『飛』ぶ。魔銀<ミスリル>の盾が悪意を受け止め、持ち手の足がすべり、巨蛭の背を後退する

(僕は、一振りごとに、どれくらい後退している……? このままじゃあ、斬撃を防げても、すぐに転落死するのがオチなんだよ……!!)

 いささかも疲労を見せる様子もなく、トリュウザは刀を振りかぶる。フロルは、歯を食いしばる。すぐに衝撃が襲いかかり、身体を圧す。

 背中に、高温の上昇気流を感じる。少年は、足場の端まで追いつめられた。次はない。初老の剣士が、斬撃を『飛』ばすために大振りの構えをとる。

「次が、最期にて御座候……死に際を濁したくなくば、いま、盾を捨てよ! 小童<こわっぱ>ッ!!」

「さっきも言ったんだよ! 断る……ッ!!」

 互いに怒鳴り声をあげたあと、ふたりは動きを止めて、にらみあう。フロルは、猶予時間で呼吸を整える。トリュウザは、ぎり、と歯ぎしりする。

(……それでも、この人は)

 少年は、魔銀<ミスリル>の大盾の影から、初老の剣士の動向をうかがう。台風の目に入ったかのごとく、さきほどまでの暴風が、ぴたり、と止まる。

(かなうのなら、あの刀で直接、僕を斬りに来る……)

 漠然とした確信だった。そう思った瞬間、トリュウザが動き始める。さきほどまでと変わらぬ、大振りだ。斬撃が『飛』んでくる。正面からフロルが受け止めれば、そのまま灼熱の地面へ落下する。

 少年の時間感覚が、鈍化する。彼我の空間を丸ごと刈り取る、横凪の斬撃が迫る。モノクロームと化した景色のなかで、ほとんど静止した状態の眼前を凝視しながら、フロルは生存への道を探る。

 かわすとすれば、盾を踏み台に使って、上方向への跳躍。しかし『飛』んできた斬撃を回避したあと、滞空中は無防備になる。初老の剣士が、見逃すはずはない。

 あるいは一度使った、『機改天使<ファクトリエル>』の能力を利用しての身体の分割。こちらは奇策のたぐいであり、すでにトリュウザに見せた以上、当然のように対策を講じてくるだろう。

 いずれにせよ、ここで少年がかわせば、決着がつく局面ではない。なにより初老の剣士は、苦しまぎれに回避運動をとったさいに生じた隙を、突くつもりだ。

(結局……基本に立ち返るしか、ないんだよ……)

 骨と筋肉同様に、脳と神経を酷使したためか、鈍い頭痛に苛まれる。五臓六腑から髪の先まで、余力の残っている部位など、もはや存在しない。吐き気をこらえ、迫り来る殺意の突風を待ち受ける。

「ぎゃ、むぅ……ッ!!」

 盾の表面から、びりりと手のしびれる振動が伝わってくる。フロルは巨蛭の背の端ぎりぎり、半歩、片足を下げる。身体の傾きにそって、衝撃が伝わっていく。

「……ぬうッ?」

 苛立つような、戸惑うようなトリュウザのうめき声が、かすかに聞こえる。少年は、『飛』ばされた斬撃を受け止め、耐えた。後退することはなく、当然、足場からも落下しない。

「わかってきた……剣も、盾も、基本は同じだよ……」

 フロルは、深く息を吐きながら、力なくつぶやく。初老の剣士と斬り結んだときと同様、わずかに盾の表面を傾かせることで、『飛』んできた衝撃を受け流した。泥のように流れていた時間感覚が少しずつ、もとに戻っていく。

「──見事だ、少年! この短時間で、我が盾を使いこなすに至るなど、思いもしなかったからだ!!」

 上空から、戦乙女の姫騎士の賞賛する声が、どこか遠くに聞こえる。フロルは、魔銀<ミスリル>の大盾の影で、弱々しい笑みを浮かべる。

 数メートルの距離を挟んだトリュウザが、怒りと驚きに両目を見開く。激情に任せた次なる大振りを放とうと、長尺の刀を肩にかつぐ姿が見える。

 少年は、いまにもけいれんを起こしそうになる筋肉を必死になだめながら、深い呼吸をくりかえす。疲弊しきった肺腑には、熱く乾燥した空気を吸いこむだけでも苦痛だ。

 それでも、フロルは立ち続ける。剣を構え、盾を掲げる。いましがた、ヴァルキュリアからかけられた賛辞の声が、なにかと親身にしてくれた先輩征騎士ライゴウの優しい眼差しが、すぐにじゃれついてきて距離感に戸惑う同年代のジャックの笑顔が、脳裏に去来していく。

(真の騎士に、恥じぬ戦いを……果たすべき、責務を……ッ!)

 次元間巨大企業の圧制に苦しみ、解放に歓喜し、戦争に熱狂するグラトニアの人々の姿が思い起こされ、最後にフロルのまぶたの裏に喚起されたのは、セフィロト・エージェントをまえにして少年を救ってくれた、黒髪の青年の後ろ姿だった。

(ああ……僕は、いろんなものを、もらってきたんだなあ……今度こそ、いまこそ……僕のほうから、返さなきゃ……)

 フロルの表情から、気負いが消える。四肢の震えが、止まる。多くの人々の手が、自分の身体を支えてくれているように感じる。

「ぬうぅぅん──ッ!」

 トリュウザが、長尺の刀を振りおろす。斬撃が、『飛』んでくる。少年は、目を細める。フロルは多くの死線を越えるうち、見えないものを捉え、聞こえないものを捕まえられるようになった。

 おそらく、それは初老の剣士も同じだろう。むしろ、少年よりも多くのものを見て、様々なことを聞いているのだろう。

 だが、フロルにしろ、トリュウザにしろ、この世の万里万象を見聞きしているわけではない。どうしても、どこかに死角は生じる。人間が、不完全な発展途上の生き物である以上、逃れられない宿命だ。

(だからこそ……虚を、突かれるし……突くことが、できる……ッ!)

「──ぉぉおおオッ!!」

 まるで地獄を走る機関車のような、初老の剣士の咆哮が近づいてくる。自ら『飛』ばした斬撃を追いかけるように、トリュウザの駆ける姿が見える。

 フロルは、『飛』び迫る斬撃を魔銀<ミスリル>の盾で受け流す。その瞬間、初老の剣士は、すでに間合いの内側に肉薄している。

「ぬぉんッ!」

 たたみこむようにトリュウザは、長尺の刀を鬼の金棒のごとく力任せに振って、盾を強く打ちつける。

「ぎゃむぅ!?」

『飛』んだ斬撃よりも重い打ちこみを重ねられ、少年はバランスを崩し、巨蛭の背にひざを突く。

「花は桜木、人は武士! 児戯は死舞いにて御座候、小童<こわっぱ>ッ!!」

 初老の剣士が大きく右脚をあげ、魔銀<ミスリル>の大盾の上端に足をかける。フロルの身を守る目障りな障壁を乗り越えて、直接、とどめを刺すつもりだ。

 少年は盾の握り手にトリュウザの体重を感じながら、挑むように顔をあげ、修羅の覇気をまとう初老の剣士をにらみ返した。

【未来】

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