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【第2部27章】星を呑む塔 (1/4)【生贄】

【目次】

【第26章】

「ああ、偉大なる皇帝陛下……今日も、いいえ、いつもよりいっそうたくましい御姿であります」

 吹き荒む風のなか、うっとりと蕩けるような女の声が響く。言葉を紡いだのは、メイヴィス・オードリー。『巫女』の異名を持つ、序列第3位のグラトニア征騎士。

 ウェーブロングヘア……というには手入れの行き届いていない、目元まで隠すぼさぼさの髪は、よどんだ血を思わせる赤紫色。病的なまでに青白い肌は、全身をおおう喪服のごとき黒いドレスとコントラストを描く。

 メイヴィスは、バイオレットの瞳を血走らせながら、すぐまえに立つグラー帝の背中に熱っぽい眼差しを注いでいる。帝国の専制君主は、ふと背後の女をあおぎみる。

 場所は、『塔』の天頂だ。急峻な山脈よりも、ゆうに高度は上回る。当然、酸素は薄く、気温も低い。およそ、まっとうに人間が活動できる環境ではない。がくがくと『巫女』の両手両脚が震えている。

「メイヴィス・オードリー……汝の体調に、問題はないか?」

「はうっ!? はい、はい……! まったく、なんの支障もございません……ましてや、偉大なる皇帝陛下より、お心遣いの言葉をいただいたとあれば……ッ!!」

 びくっと背筋を正した『巫女』は、豊満な乳房でふくらんだ胸元を両手で抑えながら、過呼吸気味に返答する。メイヴィスの眼前の偉丈夫も、赤いトーガを羽織ったていどの軽装であるが、極地環境を意に介する様子はない。

「である、か……ならば、よい。これより任せる、汝の責務に支障がないのならば」

「ああ……はいッ! 無論であります……ワタクシに与えられた、一世一代の晴れ舞台。仕損じることなど、できましょうか!?」

 過呼吸気味になり、声をうわずらせながら、『巫女』は皇帝の言葉に答申する。どこか卑屈な笑みのなかに、君主に対する狂信と陶酔の色が混ざりこむ。

 グラー帝とメイヴィスは、いま、第2フェイズを実現するため、『塔』の頂上にいる。グラトニア帝国の上層部、指で数えられるほどの人間のみで共有された極秘プロジェクトだ。

 旧セフィロト社の支配を退けたグラトニア帝国は、覇道侵略政策を国是とし、他の次元世界<パラダイム>を融合同化するグラー帝の転移律<シフターズ・エフェクト>、『覇道捕食者<パラデター>』をもって、版図拡大を押し進めてきた。

 それでも、他の次元世界<パラダイム>をひとつひとつ取りこんでいては、あまりにも悠長にすぎる。事態を察知した次元世界<パラダイム>の管理者たちが、結託し、グラトニア帝国に抵抗することも考えられる。この懸念は、現実のものとなりつつある。

 だからこその第2フェイズだ。半年をかけて、ひとつひとつの次元世界<パラダイム>を地道に領土と同化したのも、足下にそびえる『塔』を建造したのも、いま、このときのためだ。

 グラトニアという次元世界<パラダイム>の構成導子量を増大させることで、世界そのものを『重く』し、『塔』を増幅装置としてグラー帝の『覇道捕食者<パラデター>』を発動し、宇宙に存在する大部分の次元世界<パラダイム>を一気に同化する。

 多少は取りこぼす領土もあろうが、グラトニアが多元宇宙で優位いつの圧倒的規模を誇る次元世界<パラダイム>となれば、あとは虫を潰すようなものだ。ここに、覇道侵略政策は完成する。

 そして、この狂気じみて荒唐無稽な計画を実現するために必要となるキーパーツが、『巫女』メイヴィス・オードリーの転移律<シフターズ・エフェクト>だ。

 グラトニア征騎士序列第3位の照合を与えられた彼女は、どこからか『魔女』が連れてきた次元転移者<パラダイムシフター>だ。その出自は、当人たち以外、誰も知らない。

「偉大なる皇帝陛下……今日まで、お側に置いていただいたことに深い感謝を申しあげます。これより、ワタクシの血肉をお捧げし、陛下の世の礎となる名誉を与えてくださったことも……」

 深々と頭を下げたメイヴィスは、強風に髪を揺らしながら、グラー帝のまえに歩みでる。豊満な乳房のあいだに潜ませていた短剣を抜き取ると、『塔』の縁の断崖絶壁に向かって足を進めていく。

 ふたつ名にふさわしく、『巫女』の転移律<シフターズ・エフェクト>である『鮮血文書<ヴァンプリック・サイン>』は、問いを立て、自らの血を垂らすことで、予言の血文字を生じさせることができる。

 未来予測は、魔法<マギア>ならば『託宣』の呪文があるし、技術<テック>とてデータの蓄積に基づけば可能である。しかし、いずれも精度には難があるし、突拍子のない解は求めようがない。

 その点、メイヴィスの『鮮血文書<ヴァンプリック・サイン>』ならば、より遠くの、よりピンポイントな命題まで捉えることができる。ただし、複雑な質問や不確定事項の答を求めようとすると、文字列が長くなり、大量の血を消費し、失血死の可能性もある。

 そのため、国家と軍事の運営においてきわめて有用な能力でありながら、『巫女』に予知させる事案は、技術局長と陳情院議長が慎重に協議を重ねたうえで、最小限の数にとどめていた。

「偉大なる皇帝陛下──」

 地表も見えぬほどの高々度に位置する『塔』の屋上の縁に立ち、メイヴィスは自らの君主のほうを振りかえる。両目は涙にうるみ、狂気をたたえた口元に笑みが浮かぶ。

「──ワタクシは、ここでおさらばであります。どうか、どうか御武運を……グラトニア帝国とグラー帝に、栄光あれ……ッ!!」

 メイヴィスはためらうことなく、短剣で自分の心臓を貫く。『巫女』の身体が仰向けに倒れこみ、『塔』の壁面に沿って落下していく。

「刻みなさい! 『鮮血文書<ヴァンプリック・サイン>』──ッ!!」

 心臓から血をまき散らしながら、メイヴィスは叫ぶ。『巫女』の肉体をめぐる全血液量をもって、赤い魔法文字<マギグラム>が『塔』の壁面に這いまわっていく。

 メイヴィスが『予言』したのは、まだグラトニア帝国が同化していない次元世界<パラダイム>の座標情報──『アドレス』たちだ。これが、第2フェイズへ移行するための鍵となる。

「一言以ておおうならば、大儀である……『巫女』メイヴィス」

 ひとり、屋上に残されたグラー帝は、つまらなそうにつぶやくと、鷹揚にうなずく。顔をあげると、たくましい両腕を天に向かって掲げる。

「……呑みこめ、『覇道捕食者<パラデター>』」

 メイヴィスの刻んだアドレス群が、不可視の細い糸となって宇宙の果てに位置する無数の次元世界<パラダイム>につながっている感触を、専制君主は知覚する。

 グラトニアの空の様子が、変わる。『塔』を中心に、地平線の向こうまで、雲が左向きの螺旋を描く。空気が重くなる。天が落ちてくるような圧が満ちる。

 グラー帝の口元に、捕食者の笑みが浮かんだ。

【脱獄】

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