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【第2部21章】蒸気都市の決斗 (3/8)【閉塞】

【目次】

【後塵】

「むー……」

 ぶかぶかの雨具のフードの影から、追跡者は不満げなため息をこぼす。

 ストリートを挟んで向かいに立地するボロアパートの屋根には、巫女装束のエルフ。その背後を、ターゲットである白銀のドラゴンがよろめきながら飛び離れていく。

 ここまで来て引き離されるのは気にくわないが、あの程度のスピードならば帝国本土へ侵入されるまえに、ふたたび追いつける自信がある。

 曇天から振りそそぐ雨粒が次第にサイズを増していくのも意に介さず、往来を行き来するスラムの住人たちが顔をあげ、ざわめきながら、輝く龍を目で追っている。

「野次馬根性、ってやつかな? 好奇心は猫を殺す、なんて言うんだけどさ」

 レインコートの追跡者は、侮蔑の感情の混じった眼差しで、ストリートの人々を一瞥する。

「相変わらず、薄汚くてゴミゴミした街……美的センスってものが、欠片もないのかな……っと、ボクも余所見していないで任務に集中しないと」

 追跡者は、羽織っていた雨具を脱ぎ捨てる。大きすぎるレインコートの下から、グラトニアの国章が刻まれた赤い外套が現れる。

 紅のマントの下には、過剰なほどのフリルで飾りたてられたワンピース。スカートの丈はひざのややうえほどだが、スパッツを着用している。歳の頃は、十代後半。

 フードの奥に隠れていた髪は、ピンクとグリーンのビビッドカラーに染められ、一本の長い三つ編みにまとめあげられている。両目には、蒸気都市の灰色の空と対照的なライトブルーのカラーコンタクト。

 鮮やかでエキセントリックな衣装をあらわにした追跡者は、ストリートの住人の幾人かから奇異の視線を向けられ、露骨な嫌悪感をもってにらみ返す。

 続いて追跡者は、対面のアパートに立ちふさがるターゲット一味のひとりを、目を細めて値踏みする。いまのところ、向こうから仕掛けてくる気配はない。

 長く伸ばした黒髪から、よく見れば、とがった耳が真横に伸びている。エルフと呼ばれる種族の身体的特徴だ。服装は、映像資料で見たイクサヶ原の巫女のものと酷似している。

「ずいぶんと無国籍な取りあわせかな。ま、似合っているとは思うけど」

 わざとらしく独りごちながら、フリルワンピースの追跡者は、エルフ巫女の戦闘スタイルについて推測する。

 ドラゴンの背に乗っていたときの様子より推測するに、身体<フィジカ>能力はさほど高くないと思われる。エルフは、魔法<マギア>適正が高いとも聞いている。典型的な魔術師タイプか。

「……なのに、自分からしかけてこないってことは、このボクを相手にして早撃ち勝負でも挑むつもり? すこし、いや……かなり無謀じゃないかな?」

 フリルワンピースの追跡者の口角が、にい、と吊りあがる。次の瞬間、エルフ巫女と往来の人々の視界から、その姿が消滅する。

 並の動態視力では捉えられないスピードで、追跡者は跳躍した。ストリートを飛び越え、エルフの娘の真横に着地する。

 長耳の巫女の反応は、遅い。眼の動きを見れば、わかる。明らかに速度についてこれていない。

「こう見えて、ボクも忙しいんだ。君のことは放っておいて、ドラゴンの追跡を優先させてもらおうかな……ぴょーん、と!」

 フリルワンピースの追跡者は、視線を前方へ向けて、再度の跳躍のために屋根を蹴ろうとする。そのとき、エルフの娘が巫女装束の懐からなにかを取り出す。

 黒い呪符だ。おそらくユグドライトを削りだして作られたもので、精緻な魔法文字<マギグラム>が刻みこまれている。追跡者の第六感が、異常を察知する。

「──閉ざせ。月詠祭壇<ムーンライト・シュライン>」

 小さくささやくような、それでいて凛とした声音でエルフ巫女はつぶやく。踏み切りよりも、異変の現出のほうが早い。フリルワンピースの追跡者の視界が暗転する。

「うわっぷ……ッ!?」

 追跡者が次に着地したのは、スラムの壊れかけた建物の屋根ではなかった。草の茂る地面だ。足場の感覚が変わり、思わず前のめりに倒れこみそうになり、踏みとどまる。

 周囲の風景が、蒸気都市とは似ても似つかぬものに変化している。濃霧の代わりに、夜闇の帳が満ちている。蒸気の臭いが消えて、草木の青い香りが鼻孔をくすぐる。

 自分の立つぽっかりと開いた草むらは、背の高い樹々の森に囲まれている。蓮の花の咲く池が淡い光を放つ水をたたえており、その中央には見たこともない様式の木造の神殿が建立されている。

 フリルワンピースの追跡者は、振りかえる。おそらく、この状況を作り出した張本人であるエルフ巫女と10メートルほどの距離を挟み、あらためて対峙する。

「むー……瞬間移動か、それとも亜空間構築かな? これが、君のシフターズ・エフェクト<転移律>? なるほど、これ以上ないほど足止めに最適だよ」

 エルフ巫女に対して、追跡者は人なつっこい笑みを浮かべながら、話しかける。長耳の符術巫は、油断なき眼光で見つめかえしてくる。

「ボクは、グラトニア征騎士序列9位のジャック・クロフト。君の名前と肩書きを教えてもらってもいいかな?」

「名は、ミナズキ。肩書きは……名乗るほどのものはないけれど、縁あってクラウディアーナ龍皇女陛下のお供をさせていただいています」

「クラウディアーナ! 龍皇女! そう、それかな!!」

 まるで友人に語りかけるように、ジャックと名乗った征騎士は手を叩きながら声をあげる。

「あのドラゴンを追跡して、帝国への侵入を阻止するのが、ボクの任務なんだ。ねえ、ミナズキちゃんだっけ。どうすれば、ここから蒸気都市に戻れるのかな?」

「……此方が、教えると思っているのかしら?」

「むー。そうかな。まあ、そうだよね」

 フリルワンピースの征騎士は、わざとらしく不機嫌な表情を顔に浮かべながら、思案する。

 いま、ジャックを捕らえている異能は、グラトニア征騎士たちのなかにも類似するものがない、初めて見るタイプの転移律<シフターズ・エフェクト>だ。

(もし一方通行の瞬間移動、それも次元をまたいだ転移<シフト>だったら打つ手無し。亜空間だとしても、行使者を殺しちゃったら解除されなくなって、閉じこめられる可能性もあるかな……むー。思ったより厄介な能力だぞ、これ)

 フリルワンピースの征騎士は目をつむり、頭を左右に振り、ビビッドカラーの三つ編みを大きく揺らす。しばしの思案のあと、まぶたをふたたび開くと、瞳の奥に獰猛な輝きが宿っている。

「ま、いっか……口で聞いても教えてくれないなら、身体に聞くだけかな。拷問、ってことだよ! ついでに言うと、ボク、君みたいなカワイイ女の子を見ると、イジメたくなっちゃうんだよね!!」

 ジャックの脚が、地面を蹴る。刹那、対峙する征騎士の姿がミナズキの視界から消えた。

【発条】

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