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【第2部16章】戦乙女は、凍原に嘆く (1/4)【売国】
──ヒュオッ。
鋭い風切り音が、雪原に響く。白い大地のうえを亀裂のように走るクレヴァスのなかから、なにものかが飛び出してくる。
それは、サーフボードのように大盾のうえに乗り、宙を滑空している。背には、雪や雲と同じ純白の翼が一対。頭部からは、金色の髪がたなびく。
飛び手は、空のうえでゆっくり一回転してから、下降軌道へと移る。大盾の前面が雪と氷をまき散らしながら接地し、すべり、やがて停止する。
人影は、右手に抱えていた円錐状の大槍──ランスを雪のうえに突き立てる。その身は、肩と胸部を重点的に守る甲冑に包まれてる。
武具はいずれも、光の加減で青から緑に輝きを変える不可思議な金属でできている。この次元世界<パラダイム>の特産である魔銀<ミスリル>製だ。
有翼の者が兜を脱ぐと、端正な乙女の顔があらわとなる。戦乙女<ヴァルキュリア>と呼ばれる種族だ。彼女──アンナリーヤは、碧眼を頭上へと向ける。
抜けるような蒼天に、爪のあとを引くような銀色の筋が見える。光条は、流星と真逆の天へ昇るような軌跡を描き、やがて空の頂点に到達すると消滅する。
次元跳躍艇『シルバーコア』の旅立ちを見送ったアンナリーヤは、どこか物寂しげな表情を浮かべながら、視線を落とす。
珍しく氷原の吹雪がやんでいることに、いまさらながら気がついた。空のうえならとともかく、地上にさんさんと陽光が降り注ぐことは珍しい。
蒼い空に、綿毛のような白い雲が浮かんでいる。冷たくも穏やかな風が、戦乙女の額をなでる。
アンナリーヤがまぶしい光をさえぎろうと手をかざそうとすると、上空を浮遊島が横切り、戦乙女の周囲に影を落とす。
「あの男は──この世界に戻ってくるだろうか?」
誰に言うでもなく、アンナリーヤはつぶやく。銀色の軌跡の先……次元跳躍艇に乗って去っていった男の顔が、脳裏によみがえる。
ぶんぶん、と戦乙女は頭を左右に振る。冷静に思えば、戻ってくる筋合いはない。理論的に考えれば、返ってこない理由のほうが圧倒的だ。
「さて、他の戦乙女たちにはどう説明したものか……」
アンナリーヤの脳裏に、現実的な問題が持ちあがる。アサイラたちを保護した動機は、彼らの乗っていた次元跳躍艇を利用するためだ。
天空城の戦乙女たちの総意を、独断で台無しにしてしまった。いくらヴァルキュリアの王女であっても、糾弾されれば文句は言えない。
「……まあ、正直に言うしかないだろうな」
アンナリーヤは、小さくため息をつく。戦乙女の姫君は、嘘と魔法<マギア>が苦手だ。つたない虚言では、すぐにぼろが出るだろう。
──ピョオオォォォ……
氷原の果てから、グリフォンの遠鳴きが聞こえてくる。ヴァルキュリアの姫君は、重い気分を呑みこむ。
錨のように雪原へ突き立てた突撃槍を引き抜き、兜をかぶりなおす。
帰還のための飛行状態に入るため、アンナリーヤは大盾のうえで離陸体勢を整える。雪を蹴り、滑走を始めようとして、ぎりぎりで中断する。
「──ッ!?」
背筋に、怖気が走る。戦乙女の王女は身構えつつ、背後をふりかえる。突撃槍をにぎる右手に力がこもる。
つつっ、となにもない空中に縦方向の線が伸びる。はじめは、目の錯覚かと思う。違う。縦線は、見間違えのないほどに太くなる。
ぐにゅり、と内側から押し開かれるように縦線が割れる。そこには生物の内側を思わせるような肉の穴が、人一人が通れるほどの大きさに広がっていく。
アンナリーヤは、眼前に現れた超常の肉坑に吐き気と生理的嫌悪感を覚えつつも、ヘビににらまれたカエルのように目を離すことができない。
「──久しぶりね、アンナ」
「その声……エルヴィーナかッ!」
肉坑の奥から聞こえてきた女の声に、ヴァルキュリアの姫君は声を荒げる。超常の穴のなかから歩み出てきたのは、深紅のローブを目深にかぶった黒髪の女だ。
「相変わらずの壮健なので、安心しました。我が妹」
「黙れ、罪人猛々しいッ! この裏切り者、売国奴……『魔女』ッ!!」
「まあっ!」
ローブの女は、驚いたように口元を開き、わざとらしく手でおさえる。
「昔のように『エル姉さま』と呼んで? 我が妹からそんなに口汚くののしられると、傷ついてしまうので……」
「悲憤慷慨! どの口が言うッ!?」
アンナリーヤは、深紅のローブの女に対して、ランスの穂先を向ける。双翼を広げ、前傾姿勢となり、いまにも飛びかかるような体勢となる。
刹那、さらなる圧が戦乙女の王女をその場に縛りつける。エルヴィーナと呼ばれた女が、無言で横にのける。
超常の肉坑の奥から、もうひとつの人影が現れる。屈強でありながら均整のとれた体躯の男だった。
ヴァルキュリアのなかでは体格に恵まれたアンナリーヤよりも、さらに大きい。
赤地の布に金糸の精緻な刺繍が施された衣装をまとい、頭髪はアメジストの原石のような奇妙な色合いをしている。
男は、つまらなそうな表情で周囲を一瞥する。戦乙女の王女は、臓腑のそこから冷えるような重圧感の発生源が、この男だと理解した。
→【姉妹】
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