【第2部11章】地底にある星 (3/16)【軋轢】
【珍客】←
「……族長どの。こちらも奥方から、手みやげを預かって来たのだな」
靴を脱いでじゅうたんのうえに乗ったシルヴィアは、背負い袋をおろすと、なかから布につつまれたかたまりを取り出す。人の顔ほどの大きさがある。
獣人娘から差し出された布をエドヴィル族長がほどくと、なかからハーブを混ぜこんだヒポグリフミルクのチーズが出てくる。
「おお、上物たんな。さっそく、こいつを肴にいっぱいやるか……おい、なるたけよい麦種を持ってきてくれ」
「ララ、お酒は飲めないということね……」
いつの間にかシルヴィアの横に座りこんだ少女が、残念そうに、申し訳なさそうに口を開く。
「んん? ドヴェルグなら、子供でも酒は呑めるものたんな」
「族長。こいつら、ドヴェルグでもなければ、ヴァルキュリアでもないみたいだ……おい、嬢ちゃん。スープでも持ってきてやるよ」
「ん、んん。はぐれのドヴェルグかと思ったが……そんなら、おぬしさまら、何者たんな?」
指示を受けた若いドヴェルグが部屋を出て行き、族長は首をひねる。ララもまた、逆方向に頭をかしげる。
「うーん、なんと説明したらいいのかしら。人間、って言葉は知的種族全般を指すし、ホモ・サピエンス……は、もっと通じないだろうし」
「まあ、ウチらのことはおいおい説明すればいいだろ。グッドかバッドかはわからないが、少しのあいだ、世話になるんだ」
肩の力が抜けたナオミは、足を崩し、たき火のまえであぐらをかく。すぐにドヴェルグの若者が、金属製のジョッキを五つ手にして戻ってくる。
うち四つの中身は泡の立ったどろりとした液体で、ナオミやシルヴィアの知るビールとはだいぶ異なる、文字通り『液体のパン』と呼ぶのがふさわしいものだ。
「ほら、嬢ちゃんはこっちな」
「わあ、ありがとう。シーフードスープってことね!」
「それじゃあ、ま、ゆっくりな……族長、俺は見張りに戻るよ」
「んん。ご苦労だったんな」
一同は案内人の背を見送ると、たき火に視線を戻す。エドヴィル族長はナイフと鉄串を取り出すと、チーズを小さく切りわけて串に刺し、炎にかざす。
「わしゃ、こういう風に食べるのが好みたんな」
とろけはじめる直前に火から取りあげたチーズを、ぱくり、と初老のドヴェルグは口にふくみ、そのあと濃厚な麦種を一口すする。
うらやましげに見つめる三人の視線に気づいたのか、エドヴィル族長はチーズを刺した鉄串をそれぞれに回す。見よう見まねで、チーズをあぶる。
「……あつっ!」
「ぐっふっふ。おぬしさま、獣舌たんな。耳や尻尾と同じだ」
「ウチは好きだな、この食感。酒によくあうだろ」
「魚介のスープとの相性も、ばつぐんということね!」
熱せられた鉄串を敵のように凝視するシルヴィアの様子に、一同は笑う。どろどろの麦酒の強すぎない酒精が、ほどよく肩の力を抜いてくれる。
「しかし、だ……」
ナオミは、鉄串に次のチーズを刺してもらいながら、まじめな顔つきになる。ビョルン氏族の長が、たき火の向こうから視線を向ける。
「……この街の連中、ぴりぴりしすぎだろ。イクサヶ原の合戦まえの空気を思い出しちまう」
「おぬしさまらが、ヴァルキュリアの間者じゃないか、気にしているたんな」
エドヴィル族長は、ふたつめのチーズを口のなかに運ぶ。ナオミは溶け落ちそうになったチーズを火からおろしながら、顔をあげる。
「どうしてだ。まさか、戦争しているってわけじゃあ、ないだろ?」
ナオミは、どろどろになったチーズをこぼさないように冷ましながら、率直な感想を口にする。戦争状態なら、そもそも来訪の許可はおりないはずだ。
「厳重に警戒しているのはわかるが……戦争しているにしては、軍備や兵員の姿が見あたらないのだな」
火にあぶるのをあきらめてチーズをそのまま食べながら、シルヴィアが自分の軍事知識と照らしあわせた所感を述べる。
案内人のドヴェルグたちが手にしていたものも、純粋な武器というよりは戦闘にも転用できる採掘道具のようだった。
「戦争はしておったんな。わしゃ、産まれるまえよりもだいぶまえの話だが」
エドヴィル族長は、平然と言ってのける。初老のドヴェルグは、金属製のジョッキの中身を一気に呑み干す。
「もしかして、洞窟の入り口付近の迷宮もそのときの名残ということね? 敵の侵入を妨害するために……」
「嬢ちゃん、聡いの。正解たんな」
ビョルン氏族の長は、ララに感心したようなまなざしを向けると、天井をあおぐ。
「ドヴェルグは空を飛べないし、ヴァルキュリアは地下にもぐると身動きがとれない……互いに得るものがなくなり、戦争は自然消滅したんな」
「……それで、見張りを立てたりしているんだな」
「洞窟の入り口は、魔獣が棲みつきやすいのもある……いまはヴァルキュリアとは、鉱石と穀物との交易をやっとるたんな」
初老のドヴェルグは、産まれるまえのできごとを自ら経験したかのように感慨深くつぶやくと、深く息を吐く。
「もしかして……戦争の原因って、ドヴェルグ族に男の人しかいないのと、関係ある? 女の人をぜんぜん見かけないので、気になっていたということね」
無邪気な様子で質問するララに対して、ナオミとシルヴィアは血相を変える。戦争の理由を掘り起こそうなど、こちらから逆鱗にさわりにいくようなものだ。
「ララ、こちらにはドヴェルグの男女の区別がつかないだけだと思うのだな」
「ううん。見た目で区別がつかなくても、性別で服装や仕事をわけている文明が圧倒的に多数ということね」
「それじゃあ、たまたま家の奥にいて、ウチらの目のまえにいなかっただけだろ。まだ、この街に来たばかりなんだから……」
「いんや、女はおらんよ。そこの嬢ちゃんの言うとおりたんな」
ララの危なっかしい好奇心をどうにかなだめようと必死になるナオミとシルヴィアとは裏腹に、エドヴィル族長の声音は驚くほどに穏やかだった。
「ドヴェルグの女は、それはそれは美しくてなあ……昔のヴァルキュリアの女王が嫉妬して、あげく魔法<マギア>で一人残らず呪い殺されたんな」
数百年まえの出来事を、初老のドヴェルグはさも自分で見てきたかのごとく語りながら、目を細めた。
→【鬱屈】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?