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【第2部30章】阻止限界点 (3/4)【確証】

【目次】

【隔壁】

「なんとなればすなわち……こんなことになるならば、デズモンドのトレーニングにも、もう少し、腰を入れて、つきあうべき、だった……かナッ!?」

 ドクター・ビッグバンは、息を切らし、よたよたとよろめきながら通路を走る。進行方向の隔壁が落ちてくる。背後からは、スライムの濁流が迫ってくる。

 白衣の老科学者が、すべりこむように間隙をくぐると同時に、機密シャッターが廊下をふさぐ。半透明の粘菌どもの侵攻は、食い止めた。とりあえずのところは。

「はあっ、はあ……まったく、この歳になって、全力疾走などをするはめになるとは……」

『それは、こっちのセリフということね! おじいちゃん!? ララだって、生きた心地がしなかったんだから!!』

 少しばかり隔壁から距離をとって、壁に背を預けるドクター・ビッグバンは、額に浮いた汗を白衣のそででぬぐう。館内放送を通して、孫娘の少女が抗議の声を響かせる。

 疲労の色を隠せない老科学者は、それでも次の一手を検討しはじめる。双眸に埋めこんだ精密義眼の各種センサー機能が、すでに、さきほどのスライムの各種データを取得している。

「なんとなればすなわち……どういうことかナ、これは……?」

『なにが起こったということね、おじいちゃん?』

 いぶかしむドクター・ビッグバンの声に、天井のスピーカー越しにララが問う。

「あのスライムだが……センサーの捉えた構成導子量の観測値が、マイナスを示している。あり得ない数値だ。動力不足による誤作動の可能性も、否定はできないが……ともあれ、せっかく手に入れた帝国の機密データに、さっそく照合してみるとするかナ……」

 白衣の老科学者は、胸騒ぎを覚える、しかし当座の課題には直結しない疑問から意識をそらし、導子コンピューターとしての機能を持つ己の肉体──『人間演算装置<マン・フレーム>』を使って情報を検索する。

 目当てのファイルは、コンマ秒でヒットする。侵略候補としてリストアップされた次元世界<パラダイム>の環境の予備調査のレポートだ。

 アーケディアという名の世界特有の『落涙』と呼ばれる現象。天から降ってくる粘液は、生命体の導子力、および『苦痛』を吸収して増殖。大地を荒らしまわる。

「なんとまあ、厄介きわまりない性質であることかナ! 接触も、攻撃も、許されないとは……兵器として運用するにも、問題山積きわまりないだろう!?」

『……ねえ、おじいちゃん。負担でなかったら、だけど……『塔』の外観図、見せてもらってもいい?』

 盛大にあきれたような嘆息をこぼすドクター・ビッグバンに対して、また別のことが気になっている様子のララが、館内放送から声量を絞ってささやきかける。

「ああ……もちろんかナ。ララ。内部構造までは不要ならば、容量はさほどでもない。なんとなればすなわち、無線通信回線でも、問題なく転送できるだろう」

 孫娘の少女に話しかけながら、すでに白衣の老科学者は目当てのデータを探りあて、次元巡航艦へ向けて送信する。数秒の間も置かずに、ララが息を呑んだのがわかる。

『やっぱり……! この『塔』、不可能物体になっているということね!!』

 スピーカーから、孫娘の少女の声が響く。ドクター・ビッグバンは、もたれかかっていた壁から身を起こすと、眉根を寄せる。

「どういうことかナ、ララ……?」

『おじいちゃんも、『塔』の三面図を見てみて……まったく寸法が噛みあわないということね!!』

「なんとなればすなわち……ララの言うとおりかナ。XYZの値が、ことごとく矛盾している。このままでは、立体構造物を組み立てるどころではない。通常であれば、単純な設計ミスを疑うところだが、そんなことをモーリッツくんがするはずもなし……」

『そもそも、機動エレベーターサイズの建造物なら、ちょっと角度がずれただけで崩落の原因になるということね! つまり……』

「……数理的に成立し得ない、この設計図通りに『塔』は造られているということかね?」

 今度は、白衣の老科学者が息を呑む。数学はおろか、算数レベルの値の矛盾。通常の建築であれば、単純な間違いと否定される設計図。しかし、導子理論の見地から考えると、先がある。

「グラトニアという次元世界<パラダイム>は、『不可能物体』が成立しうる、してしまう特性を有している……ということかね?」

『たたっよたったた! 以前、おじいちゃんにも見せたということね……古代グラトニア王国時代の『遺跡』の写真!! あれも『不可能物体』だった……』

「なんとなればすなわち……待ってくれないかナ、ララ! 帝国の機密データから、『遺跡』に関する情報を検索する!!」

 ドクター・ビッグバンは、自身の内に収納した膨大な電子情報をかきわける。数理的に矛盾した構造物、その先例が存在し、最重要施設である『塔』にも応用されている。

 ならば、実在する『不可能物体』を利用した、なんらかの計画、もしくは実験がおこなわれていたはずだ。

「……あった。計画書の名は……征騎士、選別の……儀式? 候補者を『遺跡』内部を通過させることで……次元転移者<パラダイムシフター>の適正のある人間を、取捨していた……?」

『導子理論的に考えるなら、正しい数理モデルは、次元世界<パラダイム>の世界法則の影響下にあるということね。逆に言えば……』

「『不可能物体』が成立するということは、世界法則の影響が弱い……次元世界<パラダイム>の壁が薄い、とも言える……征騎士選別の儀式とやらは、『遺跡』を通して人間を虚無空間に放り出して、耐えられる人間を探していたということかね!?」

 白衣の老科学者は、吐き捨てるように言うと、あきれたように天井をあおぐ。次元転移者<パラダイムシフター>は、そうでない人間と比べて、存在としての『強度』が高い。人為的に選別したくなる心情は理解できる。しかし方法が、ずさんすぎる。

『そして……この『塔』も次元世界<パラダイム>の外……宇宙、虚無空間に対して、なにか働きかけようとしているということね。ここ半年間のグラトニアの構成導子量増加、現在進行で進んでいる上空の導子圧の急上昇をあわせて考えると……』

 一気にまくしたてたララが、息継ぎする。ドクター・ビッグバンの頭のなかで、パズルのピースがはまる。おそらく、孫娘の少女も同じことを考えている。

「この『塔』は……ほかの次元世界<パラダイム>をグラトニアへ引きずりこみ、大規模な次元融合を実現するための……誘導器のようなものかナ!?」

『そういうことね! おじいちゃん!!』

 次元世界<パラダイム>の構成導子量は、すなわち世界の『重さ』であり、ほかの存在や次元に対しては引力として働く。すべてのつじつまが、あう。

 ようやく、グラトニア帝国の不可解なほどに強引な侵略政策の先に目指すものが見えた。同時に、現実的な問題が立ちあがる。

 自分たちが、敵の最終目標に気づくのが遅すぎた。阻止限界まで、どれだけの時間的猶予が残されている? そもそも、どうすれば阻止できる?

『ちょっと待って、おじいちゃん! 隔壁が──』

 ララが遠隔ハックした監視カメラが、首をめぐらせる。館内放送越しに、少女の警鐘が響く。白衣の老科学者の意識が、思索から現実に引きずり戻される。

 封鎖された通路の向こう側にいたはずのスライムが増殖し、体積を増大させ、水圧をかけることで、非常シャッターをひしゃげさせる。機密性を失った隔壁の隙間から、死滅的な力を秘めた粘液があふれ出してきた。

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