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【第2部17章】ランデヴー・ポイント (3/4)【完成】

【目次】

【介入】

「やってくれました。さすがは、あのセフィロト社の隆盛を支えたドクター・ビッグバン……一筋縄では、いかないので」

 顔の上半分をおおうフードの下で、『魔女』がため息をこぼす。二本の触手を大きく素振りしながら、周囲をうかがう。

 こしゃくな妨害をしてくれた老博士の姿は、見つからない。深紅のローブの女は、いらだちながら歯ぎしりする。

「いい加減、姿を現したらどうなので? さもなくば、この小舟をばらばらに解体したうえで、あなタの愛しい孫娘の五体を引き裂きます」

「おお、怖い怖い……そんな物騒なことを言わずとも、そろそろ対面で挨拶しようかと思っていたところかナ」

 導子通信機越しではない、老博士の肉声が深紅のローブの女の背後から聞こえてくる。『魔女』はとっさに振りかえる。

 白衣を羽織り、両目に赤く輝く精密義眼をはめこんだかくしゃくたる老人が、深紅のローブの女と上下反転するような体勢で、ガス雲に浮かぶように立っている。

 姿を現したドクター・ビッグバンへ向かって、『魔女』は右手を伸ばす。老博士の上下前後左右を包囲するように、無数の小さな魔法陣が現れる。

「なんとなればすなわち……召喚魔法というものかナ?」

 ドクター・ビッグバンは、いまだ余裕の笑みを口元に浮かべている。なんらかの行動をとる素振りは見せない。

 深紅のローブの女が右手をにぎりしめると、魔法陣から蛇口を開いたように、小型の触手たちが溶解液をしたたらせつつ、あふれ出す。

 異形の群れは、瞬く間に老体の身を貪り尽くすだろう。『魔女』は、離れた地点に生じさせた触手のむらがりを見つめつつ、確信する。

 10秒ほど待って、深紅のローブの女は右腕をおろす。連動するように、魔法陣と異形たちが消滅する。『魔女』は、己の目を疑う。

「……いまので、終わりかナ?」

 先刻までと全く変わらぬ様子で、老博士が立っている。傷ひとつ負っていない……どころか、白衣の汚れすら確認できていない。

「いや、違うかナ。このワタシの予測どおりならば……キミは、もう一度、同じ攻撃を繰り出そうとしている!」

 ドクター・ビッグバンは人差し指を立てて、にいっ、と笑みを浮かべる。ほぼ同時に、『魔女』は左腕を老博士へ向かって伸ばす。

 さきほどと同じ、ピンポイントの全方位攻性召喚術式。深紅のローブの女は、今度は触手の群れとの感覚共有を試み、白衣の老人の行為を把握しようとする。

 なんらかの妨害を受けている感覚は、ない。目標も、動いてはいない。ただ、攻撃だけが当たらない。

 触手のうめきのわずかなそれが重なりあい、まるで万にひとつの偶然が生じて、安全地帯を作り出しているかのようだ。

「だとしても……奇跡が二度も起きるなど、あり得ないので!?」

 いらだちを隠すことなく、『魔女』はつぶやく。結果は、一回めの攻撃と同じだった。触手の塊のなかから、無傷の老博士が姿をあらわす。

「『奇跡』呼ばわりとは、心外かナ。同じ条件で、同じ試行をすれば、同じ結果を得られる……これこそが再現性であり、なんとなればすなわち、れっきとした『科学』というわけだ」

 ドクター・ビッグバンは、先刻と同じように笑みを浮かべ、人差し指を立てる。まるで学舎で気さくに生徒に話しかけているような、リラックスした素振りだ。

 対する『魔女』は、身をこわばらせる。相手の防御行動の正体が、つかめない。アサイラの捕獲を妨害したときと、同質のものか? 攻撃にも、転用できるのか?

「……キミに、わかるかナ? 思考は尊き営みだが、前提知識を伴わなければ、解答への到達はかなわない」

 深紅のローブの女の自問自答を読みとったかのごとく、少しばかり挑発するような言いぶりで、老博士は問いかける。『魔女』は無言を貫く。誘導尋問の可能性を危惧する。

「なにも、そこまで意固地になる必要はないかナ。ちょっとした即席講義を開こうというだけだ」

 ドクター・ビッグバンは肩をすくめ、言葉を続ける。

「いま、このワタシに起こっている現象を理解するためには、『バタフライ・エフェクト』の知識が必要だ。世界のかたすみで蝶が舞えば、もう反対端で嵐が起こる、という一種の思考実験なのだが……」

「……それが、どうかしたので?」

 深紅のローブの女は、生返事をしながら、当初の攻撃目標である次元跳躍艇のほうをあおぎ見る。なにを考えているのか理解しがたい老博士のペースに乗ってはならない。

 次元世界<パラダイム>を渡る小舟は、先刻よりも距離がひらいているが、まだ十分に『魔女』の操る触手の射程範囲内だ。

「……なんとなればすなわち、この世界の森羅万象を把握することができれば、演算によって過去の完全な再現も、未来の正確な予測も可能になる。このワタシの導子理論の基本コンセプトでもあるかナ……」

 勝手に独演会を始めたドクター・ビッグバンのことは無視して、先に次元跳躍艇を潰すか。しかし、妙な感覚もある。その気になればすぐにでも破壊できそうな相手に対して、なぜか攻撃を当てられる確信を持てない。

「……このワタシは、まさに現在進行形で『バタフライ・エフェクト』を実証している。その手法は、Trial And Selection……略して『T.A.S.』と呼んでいるかナ」

「いま、なんと言ったので……!?」

 滔々と持論を語る老博士を無視しきれず、『魔女』はドクター・ビッグバンへ向きなおる。精密義眼が赤い光を放ち、しわの刻まれた口元が、にやり、とゆがむ。

「ようやく、講義の内容に興味を持ってもらえたかナ?」

「完全な過去再現、完璧な未来予測……そんなことが、人間ごときにできるわけなどあり得ないので!!」

「ミュフハハ! 基本的な、しかし、よい着眼点かナ。キミは、なかなか見所がある!!」

 老博士は、興奮したかのように声をあげ、深紅のローブの女を指さす。明確な殺意を持つ『魔女』をまえにして、まるでドクター・ビッグバンは心の底から会話を楽しんでいるかのようだ。

「なんとなればすなわち、人間はおろか、高位のドラゴンの知性を総動員したとしても、とうてい追いつくような演算量ではないだろう! では、どうするか!? そこを考えるのが、科学者の仕事でもあるかナ!!」

 老人の声に熱がこもり、言葉を吐き出すスピードが速くなる。『魔女』はドクター・ビッグバンの独演を、自身を惑わすためのブラフ、あるいは単なる妄言と思っていた。

 違う。この老博士は、学会の発表に臨むように本当のことを口にしている。だとすれば、すでに──

「このワタシは、37兆個におよぶ自分の体細胞をナノマシンによって改造、マイクロコンピュータとしての機能を持たせ……これらを並列コンピューティングさせることで、セフィロト社のメインフレームをも凌駕する演算能力を実現した。名付けて……『人体演算装置<マン・フレーム>』!!」

 深紅のローブの影に、冷や汗が浮かぶ。『魔女』は、セフィロト社の繁栄の理由を理解する。

 なめていたわけではない。むしろ、注意すべき対象の上位ではあった。しかし、想定以上にこの老博士は尋常ではない。

「なんとなればすなわち……キミは、このワタシが伊達や酔狂のみで、講釈をおこなっていたと思うかナ? 無論、楽しい一時ではあったことは間違いないが」

 深紅のローブの女は右腕を振り、大量の触手を召喚し、ドクター・ビッグバンへ向かって飛びかからせる。

 だが、案の定と言うべきか。攻撃は、ことごとく当たらない。デブリに衝突し、あるいは理由もなく軌道がそれ、目標へと到達しない。

「『人体演算装置<マン・フレーム>』をフル稼働したとしても、『T.A.S.<Trial And Selection>』の演算には……一定の時間がかかるかナ」

「時間かせぎなのでッ!?」

 深紅のローブの影で女は苦虫をかみ潰したかのように口もとをゆがめ、触手召喚による攻撃を継続する。平衡感覚が狂ったかと思うほどに、命中しない。

「ミュフハハ! この言葉は嫌いなのだが、『無駄』というのが適切かナ! すでに、このワタシが目標を達するために必要となる安全は、確保させてもらった!!」

 ドクター・ビッグバンの立つガス雲のなかから、巨大かつ複雑怪奇な機械群が浮上してくる。遠目に見ると、銀色の輝きを放つ一輪の花のようだ。

 執拗な妨害攻撃をものともせず、機械群は次元跳躍艇へと向かっていく。銀色の花弁のうえに立つドクター・ビッグバンは、『魔女』を挑発するように人差し指を立てて、左右に振ってみせる。

「ミュフハハ! なんとなればすなわち……自慢の孫娘であるララの作品と、このワタシの追加研究を融合した……次元巡航艦『シルバーブレイン』の完成であるッ!!」

 やがて、機械群は次元跳躍艇『シルバーコア』をつぼみのように包みこむ。ドクター・ビッグバンは、ドッキングを果たした船のうえで両手を広げてみせた。

【再会】

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