【第15章】本社決戦 (8/27)【無粋】
【逆向】←
アサイラは、『伯爵』の顔を踏み台にして、格闘戦の間合いに着地する。常人であれば首がねじ切れるほどの衝撃を受けてなお、スーパーエージェントは踏みとどまる。
もうろうとした意識のまま、体勢を立て直そうとする『伯爵』の胸ぐらを、青年はつかむ。相手の躯体を、ゼロレンジまで引き寄せる。
「ウラアッ!」
「おグぅ──!?」
燕尾服の伊達男の額に、アサイラの強烈な頭突きが炸裂する。『伯爵』の首が、おきあがりこぼしのように後方へ弾かれる。
それでも、歴戦のスーパーエージェントは戦意を失わない。右手を、礼服の懐へ潜りこませる。青年は、敵の目論見を阻止しようと、ボディブローを叩きこむ。
「ウラウラウラァーッ!!」
「……──励起せよ、『重力符<グラビトン・ウェル>』ッ!」
額と口元から流血する『伯爵』を中心に、強力な斥力フィールドが展開され、アサイラは間合いの外へと弾き飛ばされる。
あえて青年は逆らわず、ごろごろと橋梁のうえを転がると、中央地点で悠然と立ちあがる。にたり、と口元に不適な笑みを浮かぶ。
「そこは、もう安全圏じゃあないな。ヒゲ貴族?」
「『伯爵』と、呼びたまえ……と、何度、言わせる……気かね?」
燕尾服の伊達男は、咥内にたまった血のかたまりを吐き出すと、人差し指の先で乱れたカイゼル髭をなでる。その双眸には、少なからぬ驚愕の色が宿る。
手応えは、あった。アサイラは、拳を握りしめて、胸のまえで構えをとる。『伯爵』が、ふらつくのが見える。確かなダメージを、与えている。
「おまえなんざ、ヒゲ貴族で十分だ。ところで、失望はさせずに済んだか?」
「ふむ……正直、驚いた。実戦経験を通して、確実に、急速に成長している……まるで、ポーンからナイトにプロモーションしたかのようだ」
スーパーエージェントの右腕が、素早く空を切る。青年は、目を見開く。なにかが、自分の足元に投げつけられる。漆黒の符だ。
「無粋の極みであることは、自覚しているが……我輩も、任務と言う名の枷に縛られているのだよ。悪く思わないでほしい」
ぱちん、と『伯爵』が指を鳴らす。アサイラは、身構える。少しの間をおいて、円筒状の空間全体が揺れはじめる。ぱらぱら、となにかが頭上から落ちてくる。
「この場所が、セフィロト社のダストシュート……廃棄物投棄孔であることは、すでに貴公に伝えていたかね」
スーパーエージェントは、宙に浮かんでいたシルクハットをつかむと、頭のうえに乗せなおす。つばの影に双眸が隠れ、口元だけからでは、その表情は伺えない。
振動は、次第に大きくなる。比例して、落下物の質量も増してくる。鉄くずのかたまりが、青年の頭部めがけて迫り来る。
「ウラアッ!」
アサイラの拳が、鉄の破片を殴り飛ばす。廃棄物は、なおも上方から降り注ぎ、さらに量が増え、サイズも大きくなっていく。
「……ウラ、ウラァ、ウラアッ!」
素早く両腕を繰り出し、落下する粗大ゴミから身を守り続ける青年は、ようやく異常を察知する。
この円筒状の空間が、『伯爵』の説明するとおりセフィロト社のゴミ処理施設だとすれば、己の立つ一本橋は整備用の足場といったところだろう。
だとすれば、投棄物が橋梁に当たるように落ちてくるのは、おかしい。ゴミを捨てるたびに足場を傷つけ、壊すのは、あまりにも不合理だ。
セフィロト社ほどの技術<テック>を持ってすれば、特定の場所を避けて物体を落下させるなど、造作もないはずだ。
「ウラアァァ!」
自分の体重とさほど変わらない鉄塊を、アサイラは渾身の力で蹴りつけ、軌道をそらす。額から汗粒をまき散らしつつ、足元に視線を落とす。
黒い札。『伯爵』が重力を操作するための媒介が、張りついている。
「ふむ……さすがに、気がついたかね?」
振動音の向こう側から、『伯爵』の声がかすかに聞こえる。がれきの豪雨のなかから、巨大なスクラップが迫り来る。破壊は、間にあわない。
青年は、とっさにガードの姿勢をとり、体幹を守る。自分の十倍はある質量体が衝突し、アサイラにひざをつかせる。
「グヌウ……ッ!!」
シルクハットのスーパーエージェントが展開する引力フィールドに導かれ、さらに鉄くずとスクラップが、青年に向かってくる。
体勢を崩したアサイラは、破壊と回避はおろか、防御することすらままならない。無数の質量体が、青年の身を打ち据える。
アサイラを中心にがれきが集まり、スクラップの山を形作っていく。廃棄物に押しつぶされ、青年の視界から光が消え、やがて音も聞こえなくなる。
「……そろそろ、いいかね」
抑揚のない『伯爵』の声は、がれきの雨音にかき消される。燕尾服の伊達男はふたたび、ぱちん、と指を鳴らす。
ダストシュートを揺らす振動が次第に弱まり、廃棄物の投下が止まる。円筒状の空間に、静寂が戻る。残されたものは、橋梁の中心点にできたがれきの山くらいだ。
ステッキを手にし、『伯爵』は、青年がいた場所へと歩み寄る。礼服の内ポケットから『重力符<グラビトン・ウェル>』と取り出し、かざす。
「──フンッ」
斥力フィールドを展開し、うずたかく積みあがったスクラップを、橋梁の下の深淵へと弾き飛ばす。そこに、『イレギュラー』の姿はない。
無表情のスーパーエージェントは、身を屈めると、青年の足元に設置していた漆黒の符を回収する。
「この手みやげで、『社長』の怒りが鎮まってくれればいいのだが──ふむ?」
気配を察知した『伯爵』は、顔をあげる。正面側、青年が侵入してきたほうのゲートが勝手に開く。指示を出すまで、閉鎖を維持する手はずにもかかわらず、だ。
シャッターの向こうから現れたのは、紫色のゴシックロリータドレスに身を包んだ裸足の女──『淫魔』だった。
→【遅馳】
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