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【第2部16章】戦乙女は、凍原に嘆く (2/4)【姉妹】

【目次】

【売国】

「うおあぁぁァーッ!」

 身が凍りつくような恐怖を振り払うように、アンナリーヤは雄叫びをあげる。ランスをかまえ、大地を蹴って、地表すれすれを滑空する。

 姫騎士は、一直線に空中突撃をしかける。狙いは深紅のローブの女──エルヴィーナだが、経路を阻むように男が立っている。

 構うことはない。魔銀<ミスリル>の穂先で、もろともに串刺しとする。アンナリーヤは、低空飛行の速度をいっそう増していく。

──ガンッ!

 鈍い音が響いたかと思うと、ヴァルキュリアの王女の突進が不意に停止する。姫騎士は、慣性の衝撃に目を閉じて耐える。

 少し遅れて、アンナリーヤは刮目する。円錐状の突撃槍の先端が、それを右腕に抱える自分の身体が、空中に静止している。

 巨岩すらやすやすと砕く魔銀<ミスリル>の穂先は男の肩にぶつかり、傷ひとつ負わすことも、その体躯を揺らすことすらもできていない。

 男の視線が、明確にアンナリーヤのほうを見る。戦乙女の姫君は、総毛立つ感覚を味わう。男はすぐに首をめぐらせ、エルヴィーナのほうを向く。

「『これ』は、なにか。エルヴィーナ?」

 アンナリーヤのまえで、男は初めて口を開く。いつのまにか深紅のローブの女は、男に対してひざまずき、深く頭を下げている。

「我が妹にございます、陛下。なにぶん、世間知らずなので……」

「黙れ、エルヴィーナ! 姉面をされる理由はない……もう、貴様の妹などではないからだ!!」

 わめきちらすアンナリーヤを、男は気にとめる様子もない。

「『これ』は好きにしてかまわないな、エルヴィーナ? 一言以ておおうならば……喧噪である」

「ご随意に。陛下」

 黒みがかった血のような色合いのローブの下で、女の口元がにたりと歪む。ヴァルキュリアの姫騎士は背中の双翼を羽ばたかせつつ、吼える。

「好きにする? 言ってくれるな、猛々しいッ! 自分の名は、アンナリーヤ……勇敢なる戦乙女<ヴァルキュリア>たちの統率者だ!!」

「ずいぶんと威勢のよいこと。母君からの『継承』も受けていないのに?」

「黙れ! 貴様がどの口で言うのだ、『魔女』ッ!!」

 腹の底から声を張りあげ、戦乙女の王女は名乗りをあげる。その敵意は、男の背後にかしずく深紅のローブの女へと向けられている。

 一方、突撃槍の穂先を突き立てられた男のほうは、わずかも動じる様子はない。それどころか、眼前のヴァルキュリアを歯牙にかける気配すらない。

『陛下』と呼ばれる男は、悠々と周囲の風景を見回す。敵を前にした警戒心はみじんもなく、散歩の途中のようなくつろいだ雰囲気すら漂わせている。

「そういえば汝の故郷であったな、エルヴィーナ? 良い次元世界<パラダイム>である。『食べごたえ』がありそうだ」

「ありがとうございます、陛下。ここには、大量の魔銀<ミスリル>資源も埋蔵されておりますので」

「それを活かすか殺すかは、臣民の任である」

 目の前の二人は、ヴァルキュリアの姫騎士の存在を無視して話を進めるばかりか、まるですでに征服を済ませたかのような口振りだ。

「……悲憤慷慨だからだッ!」

 憤怒にかられて、アンナリーヤは歯ぎしりしつつ目を見開く。最突撃をしかけて二人ごと串刺しにせんと、ランスの先端を引こうとする。

 そう思った矢先、愛用の突撃槍が強い力にからめとられる。円錐の先端部を、男の右手が無造作に握りしめている。それだけで、こゆるぎもしない。

「ふえ──ッ!?」

 ヴァルキュリアの王女の身体が、空中で一回転する。少し遅れて、男がランスを穂先からひねりあげたのだと気がついた。

 姫騎士はかろうじて得物を手放さずにすんだが、その身は赤子の手をひねるように軽々と宙を舞って、氷原のうえに仰向けで叩きつけられる。

「──むぐぅ!!」

「アンナ、やんちゃが過ぎますよ。ひざまずき、こうべを垂れなさい。偉大なる陛下に対して不敬なので」

「黙れ、『魔女』! 猛々しいにもほどがあるからだ!!」

 天地逆転した体勢で目を回す戦乙女の姫君に、頭上の方角からどこか醒めたような女の声が聞こえてくる。

 アンナリーヤは激高のあまり、自分の血が煮えたぎるほどに熱くなるのを感じる。反撃をあきらめず、槍と盾を手にしたままひざ立ちになる。

 ヴァルキュリアの王女の視線の先には、妹に手本を示すようにひざまずき、屈強なる男に対して臣下の礼をとる深紅のローブの女の姿があった。

「余は、グラトニア帝国皇帝、グラトニオ・グラトニウスである」

 アンナリーヤを見下ろす男が、重々しく口を開く。業火のように燃えあがった闘争心を、あっという間に吹き消すような『圧』が背筋を突き抜ける。

「この次元世界<パラダイム>は、これより余の版図の一部となる。その栄誉に歓喜し、むせび泣くがいい」

 すでに決定事項であるように、皇帝を名乗る男は冷たく言い放つ。それだけで、戦乙女の姫君は臓腑が凍りつくような感触を味わった。

【悲憤】

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