【第15章】本社決戦 (24/27)【瓦解】
【蒼輝】←
「貴様……『伯爵』……やめろ……それは、儂の……」
メインリアクターとチューブに伝導していた赤い光が、消滅していく。人型を保っていたチューブの群れがほどけて、内側から白目をむいた老人の姿が露わになる。
オワシ社長は、ぱくぱくと口を開きながら、うわ言をつぶやく。見れば、メインリアクターの側面に、『伯爵』の手によると思しき大穴があいている。
「社長。そこの青年の言うとおりだ。そろそろ、幕の引き時ではありませんかね。それと、もとより『これ』は、我輩が社に提供したもののはず」
スーパーエージェントの掲げる右手のなかには、メインリアクターと同じ赤い輝きを放つ光のかたまりが握られている。
オワシ社長は、亡者のごとき動きで『伯爵』に向かって腕を伸ばす。スーパーエージェントだった男は、侮蔑の表情を浮かべて、老体を見おろし返す。
「……以前から申しあげようと思っていたのだが、社長。貴方は、老人としての品格を身につけるべきではないですかね?」
びくんっ、と老人が身を仰け反らせる。眼鏡が飛び出そうなほどに、目を見開く。そのまま倒れこみ、オワシ社長は動かなくなる。
くたびれた服装の『伯爵』の手に握られた輝きは、まるで安心したかのように、あるいは疲れ果てたかのように、弱々しい緑色の光へと変わっていく。
「ヒゲ貴族……おまえ、なにをしにきたッ!?」
大剣をかまえなおしつつ、アサイラは『伯爵』に尋ねる。使い手の意志に応じて、白銀の刀身が蒼い輝きをまとう。
社長を倒すために負った消耗は、大きい。青年の内的世界<インナーパラダイム>を抑える『淫魔』が、いつまで持つかもわからない。継戦は、厳しい。
「いや、なに……貴公に詫びを入れねばならない、と思ってね。『重力符<グラヴィトン・ウェル>』のなかが、あそこまで居心地が悪いとは……」
スーパーエージェントは、にいっ、と人なつこそうな笑みを浮かべてみせる。
「……何事も、まずは自分で試してみるべきだ、と教訓を得られたよ。あとは、ちょっとした私用かね。貴公と再戦する意図は、ない……なあ、ドク?」
「なんとなればすなわち……そういうことになるかナ。デズモント」
髭の伊達男の背後から、もうひとつの人影が現れる。白衣を羽織う、研究者然とした老人だ。かくしゃくと背筋を伸ばし、両目には赤く光る義眼をはめている。
老研究者の胸元には、『伯爵』同様、黄金色に輝く社員証が見える。こちらも、スーパーエージェントだ。
もう一戦やりあうには、あきらかに分が悪い。額に冷や汗を伝わせるアサイラを後目に、白衣の老人は両手で抱えるほどのサイズの、円筒のケースを取り出す。
委細を承知したような仕草で、『伯爵』は差し出された容器のなかに光の塊を納める。まるで安心したかのように、輝きの波長が穏やかになる。
アサイラは、いつでも応戦できるように大剣のかまえを維持し続ける。離れた地点では、シルヴィアが新手の二人に銃口を向けている。
「やれやれ。貴公にも、シルヴィア嬢にも、信用してはもらえないかね。くりかえしになるが、戦闘の意志はない。我輩も、ドクも、くたびれているのだよ」
──ブオン。
聞き慣れない奇怪な重低音が響いたかと思うと、二人のスーパーエージェントの背後に、電光とノイズが走る。楕円形に輝く、平面の光が現出する。
「次元転移ゲート……! 『ドクター』、なにを用意したのだな!?」
シルヴィアが、驚愕したかのように声をあげる。『ドクター』と呼ばれた白衣の男が、にやり、と口角をつりあげて見せる。
「個人用<パーソナル>モデルだよ。このワタシとデズモンドは、これで退出させてもらう……客人の送迎は任せてもよいかナ、ララ?」
白衣のスーパーエージェントは、アサイラでも、シルヴィアでも、周囲の女たちでもなく、その向こう側に赤く輝く義眼を向ける。
『ドクター』の視線の先には、水色のワンピースに身を包んだ少女の姿があった。ララと呼ばれた娘は、不安げな表情を浮かべつつ、うなずきかえす。
「うん。わかった、おじいちゃん……ララにおまかせ、ということね」
「それでこそ、このワタシの孫娘だ。ララ」
白衣の『ドクター』は、空色のワンピースの少女に微笑むと、淡い緑色の輝きを放つパーソナルゲートの向こうへと姿を消す。
「それでは、我輩も失礼するかね。青年、縁があったらまた会おう。シルヴィア嬢も、壮健であることを祈っているよ」
髪と髭の乱れた伊達男は、にやり、と笑いつつ、右手をかざすと、『ドクター』に続いて次元転移ゲートのなかに身を沈める。
──ブォオン。
空中にノイズが走り、楕円形の超次元力場が消失する。本社全体に響く振動が、社長室にも到達する。ぱらぱら、と小さな瓦礫が落ちてくる。
「ララちゃん! さっきのおじいちゃんが言っていたこと、本当なのね!?」
メロはよろめきながら、この場でもっとも年下であろう少女のもとへと駆けよる。ララは、少し緊張したような、不安なような面持ちでうなずきかえす。
「のんべんだらり……つまり、さっきの二人みたいな抜け穴を、ララも持っているってことか?」
刀を鞘に納め、それを着流しの帯に差したリンカが、振り返らずに問う。束ねられた艶やかな黒髪に向かって、少女は首を横に振る。
「メインリアクターが完全停止したってことは、次元転移ゲートを展開する導子エネルギーも供給できないということね。だけど……」
「別の方法が、あるのね?」
「……うん、メロお姉ちゃん」
ひざを曲げ、視線の高さをあわせて問うメロに対して、ララは力強くうなづいた。
「……ナオミは、どうするんだ?」
アサイラが、誰に向かうともなく声を発する。大剣を肩にかつごうとして、青年は思わずよろめく。
「『龍剣』は、わたくしが持ちましょう。我が伴侶」
龍態から人間態へと姿を変えたクラウディアーナが、アサイラの大剣を受け取る。その背後で、ミナヅキが懐から一枚の呪符を取り出す。
「探せ。そして、導け……」
長耳の符術巫が、霊紙に吐息を吹きかけると、フクロウの式神が現れる。ミナズキは、その場にいる皆を見まわす。
「此方の式神にナオミどのを探させ、見つけたら案内をさせます」
龍皇女がうなずきをかえすと、フクロウの式神は翼を羽ばたかせて、女ライダーが吹き飛ばされてできた大穴の向こうへと飛んでいく。
社長室の振動は止むことなく、次第に大きくなっていく。ナオミの消えた横穴は崩落してふさがり、超硬質ガラスのドーム天井にもひびが走る。
アサイラは、ふらつきながら、金属質の床に身を横たえる『淫魔』のもとへ歩みよる。ひざ立ちになった青年は、ぴたぴたとその頬をたたく。
「んあ、アサイラ……? 終わったのね」
「ああ、終わりだな……帰るぞ、クソ淫魔」
寝起きの貧血のように動きが鈍い『淫魔』に対して、クラウディアーナは不本意そうな表情を浮かべて、手を伸ばす。
露骨な嫌悪感を顔に張りつけつつ、『淫魔』は龍皇女の力を借りて身を起こす。
「このままじゃ、本社の崩壊に巻きこまれちゃう……ともかく、詳しい説明は後ってことね! みんな、ララについてきて!!」
空色のワンピースの少女は、社長室の扉に駆けよると、手早くロックを解除する。ララは、後を振り向きつつ、揺れる廊下を駆けはじめる。
少女に続くように、二輪のフラフープを握ったメロが、『龍剣』を預かったクラウディアーナが走り始める。アサイラは、『淫魔』に肩を貸しつつ、あとを追う。
破滅の音がとどろく社長室のなかに、狼耳を垂らしたシルヴィアは仲間たちに続くことなく、立ちすくんでいる。
オートマティックピストルを握った獣人娘の視線の先には、絶命したオワシ社長の姿がある。骨と皮だけの亡骸には、苦悶と怨嗟の表情が張りついている。
「……おシル。アンタの得物、貸してくれよな」
茫然自失とするシルヴィアに声をかけたのは、リンカだった。着流しの女鍛冶は、獣人娘の手のなかから、拳銃を取りあげる。
「さもありなん。まえに使い方を教えてもらったはずなんだが……どうにも、アタシには向かないシロモノよな」
リンカは、シルヴィアから見れば危なっかしい手つきでオートマティックピストルをかまえると、オワシ社長の死体へと近寄っていく。
──パンッ。
セフィロト本社の崩壊音に混じって、乾いた銃声が響く。リンカの手によって発砲された銃弾は、至近距離から拍動を止めた老人の心臓を撃ち抜いた。
「おシルも、やっておくかい?」
リンカの言葉に、ためらいがちにうなずきかえしたシルヴィアは、差し出された拳銃のグリップを握る。
弾倉が空となっていることに気がついた獣人娘は、女鍛冶とは対照的な洗練された手つきでカートリッジを交換し、スライドを引く。
──パンッ。
もう一発の銃声が社長室に反響し、亡骸の脳天に無機質な孔をうがつ。どちらからともなく、二人の女は視線をあわせる。
「……シルヴィア、リンカ! なにをしているのだわ!? 早く来なさい!!」
扉の向こう、廊下の先から、二人を呼ぶ声が聞こえる。シルヴィアとリンカは、天井からの落下物を回避しつつ、先行する仲間たちを追い始めた。
→【崩壊】
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