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【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (3/16)【旧知】

【目次】

【別働】

「ふむふむ、これが……なんとなればすなわち……」

 白く冷たい照明が照らす無機質な通路に、緑色の輝きを放つ次元転移ゲートが現れ、そのなかからドクター・ビッグバンがキャリーバッグを引きずりながら歩み出る。

「周辺に、人の気配はないかナ。転移座標の誤差は許容範囲内。グラトニア帝国側の導子攪乱を、上手くくぐり抜けられたようだ」

 白衣の老科学者は、きょろきょろと周囲を見まわし、状況の把握に努める。通路の高さは10メートル強、横幅は二車線道路ほど。床にも壁にも飾り気がなく、目がすべる。

「なんとなればすなわち、人が通るための回廊というよりは、機材の搬送路として設計された印象を受けるかナ……少なくとも、外部向けに公表されていた『首都機能アーコロジー』のような居住施設とは思えない……」

 ぶつぶつとつぶやくドクター・ビッグバンは、壁面と天井の接続点に設置されて通路を見おろす監視カメラを発見し、挑戦的な笑みを浮かべつつ、顔をあげる。

「見ているのだろう……このワタシの見立てが正しければ、この施設を管轄しているのは、モーリッツ・ゼーベックくんだろうと考えているが……どうかナ?」

 かくしゃくたる老人は、わざとらしい大声で話しかける。監視カメラからの返事は、ない。代わりに、それまで小さな機械駆動音しか聞こえなかった通路に、突如として慌ただしい靴音が反響し、近づいてくる。

 通路の前後から挟みこむように、パワードスーツ甲冑兵たちが姿を現す。総勢20名ほどの重装兵は、一斉に手にしたアサルトライフルを構え、警告もなしにドクター・ビッグバンに対して銃口を向ける。

「なんとなればすなわち、じつに迅速な急行、あまりに統率のとれた動作……旧セフィロト本社の警備兵でも、こうはいくまい。まるで、コンピュータで直接、制御されているかのような印象を受けるかナ……」

 命の危機をまえにしながら、心の底からリラックスした様子で白衣の老人は、所感を口にする。フルフェイスヘルムに表情をおおい隠された兵士たちは、正確無比に同じタイミングで引き金を絞る。

「実地での戦術運用に関しては、デズモントのほうが専門だが……通常、このように僚兵が向かいあった状態での射撃はあり得ない。簡単に同士討ちを誘発してしまうからだ。その甲冑型パワードスーツの装甲で銃弾は防げるという算段かナ。しかし……ッ!」

 ドクター・ビッグバンは、まるで壇上から講義するかのように朗々と語る。無数の帝国兵たちがかまえたアサルトライフルの銃口から、大量のマズルフラッシュが瞬き、白い閃光で通路を染めあげる。

「グ……うォ」

 にぶいうめき声が、通路に響く。殺意の輝きが晴れ、硝煙がたゆたうなか、無傷のドクター・ビッグバンの姿が現れる。かわりに白衣の老科学者の進路と退路をふさいでいたはずのパワードスーツ甲冑兵たちが、血だまりを作りつつ、その場へ倒れ伏す。

『雑兵でしとめられるとは、到底、思ってはいなかったが……これが『ドクター』の転移律<シフターズ・エフェクト>、『状況再現<T.A.S.>』か。銃撃の軌道を完全に予測し、一歩も動くことなく回避したばかりか、着弾地点を装甲の隙間に誘導し、同士討ちを誘った、というところだろう……』

 館内放送用と思しきスピーカーから、神経質そうな男の声が、かすかな歯ぎしりの音とともに聞こえてくる。白衣の老人には、聞き覚えのある声音だ。ドクター・ビッグバンは、懐かしい友人と再会したかのような、人なつっこい笑みを浮かべる。

「なんとなればすなわち、セフィロト社時代に余人に披露した記憶はないのだが……例の『魔女』とやらにでも聞いたかナ? その鋭い思考力にも、ますますの磨きがかかっているようで、なによりだよ。モーリッツくん」

『黙れッ! ぼくに見せなかったということは、それだけ信頼していなかったことの証左だろう……セフィロト社が壊滅したあとも、わざわざ『塔』までバカにしに来たのか!?』

 モーリッツと名を呼ばれた男が、スピーカーの向こう側で声を荒げる。

「ここまで身を危険にさらして皮肉を言いにくるほど、このワタシも酔狂ではないかナ……なんとなればすなわち、誰であって秘密のひとつやふたつはあるものだ。セフィロト社時代のキミが、『魔女』と内通していたようにね」

『……いつから気づいていた。なぜ、社長に密告しなかった。ぼくのすることなど、とるに足らないだろう、と見くびっていたのかッ!?』

「そんなことはないかナ。このワタシとて、他者を糾弾できるほど、模範的な社員とは言えなかったからね」

 スピーカーの向こう側から、舌打ちの音が聞こえてくる。実時間にして数秒、体感では相当な間のあと、先に口を開いたのは離れた場所でマイクをまえにした男のほうだった。

『いまさら、到底、どうでもいい……ぼくにとっての問題は、『状況再現<T.A.S.>』のほうだろう。完全な未来予測と過去再現……驚異以外のなにものでもないが、その演算のために消費される導子力も相当なもののはずだ……ッ!』

 一度は沈んだ声音に、ふたたび怒気がこもり、ボリュームも大きくなっていく。ドクター・ビッグバンは、返事をすることなく、小さく肩をすくめてみせる。

『どうやって、莫大なエネルギーをまかなっている……ブレイクスルーレベルの徹底した省エネか、小型化した核熱球の体内インプラントか、はたまたその両方か……』

「両方! ほう、組み合わせか……」

 白衣の老人は、赤い精密義眼をはめこんだ相貌を見開き、ぽん、と手を打つ。

「ハイブリッドという発想は、なかったかナ。なんとなればすなわち、若い技術者との対話は、よい刺激となる!」

『黙れ! また、ぼくのことをバカにしただろう……既存技術との組み合わせでしか成果物を産み出せない劣等生だと……ッ!!』

 スピーカーから、激昂した怒声が響きわたる。ドクター・ビッグバンは、ふう、と小さくため息をつく。

「なんとなればすなわち、素直に褒めたつもりで、愚弄する意図はみじんも無かったのだが……」

 白衣の老人の言葉が、監視カメラの向こう側に届いた様子はない。代わりに、通路の向こうから足音と金属のこすれる音が近づいてくる。パワードスーツ甲冑兵の増援だ。

 今度は、前方のみに戦力が集中されている。重装甲に身を包んだ兵士たちが、バリケードのごとく並び立つ。このまま袋小路に追いこみ、退路を断とうといったところか。

『まずは『状況再現<T.A.S.>』を起動するための導子力が干上がるまで、飽和射撃を続けさせてもらう……貴方は、単純極まりない戦術だ、と愚弄するだろう……『ドクター』ッ!』

「そうは思わないかナ、モーリッツくん。シンプル・イズ・ベストという標語は、導子理論にも、いや、科学全般にも当てはまる……故にッ!」

 規則正しく横に並んだパワードスーツ甲冑兵たちが、前列はひざを突き、後列は直立し、アサルトライフルの射撃体勢をとる。ネズミ1匹通さぬ、と言わんばかりのスクラムが通路をふさぐ。

 じつに統率がとれている。精鋭といって申し分ない動きだ。格闘戦に長けたアサイラですら突破に手こずり、銃撃戦の得意なシルヴィアであれば迂回を検討するであろう。

「なんとなればすなわち……それでも、いま、このワタシに後退の二文字は存在しないかナ! そのためにも、シンプルを追求した秘密兵器を用意した!!」

 帝国兵たちがアサルトライフルのトリガーに指をかけると同時に、ドクター・ビッグバンは前方へ向かってキャリーバッグを蹴り転がす。

 無数の銃弾が飛来するなか、床をすべるバッグは大きく口を開き、ばちばちと青い白い電光を放ちつつ、老科学者を守る遮蔽となるように内部から白い物体が膨れあがった。

【披露】

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