【第2部2章】震える闇夜のその果てに (1/3)【旅路】
(いまにして思えば──あのとき、ああしていれば──そのように思うことが、いくつもある。これは……万人が抱く思考なのかしら)
「ミナズキさん、あぶないのね!」
背中ごしに声をかけられて、巫女装束に身を包んだエルフは我にかえる。足下にぽっかりと空いていた穴に、いまさら気がつく。
「ありがとうございます、メロ。助かりました」
「ぼーっとしていたみたいだけど……ミナズキさん、少し疲れてきたんじゃない?」
「そうかしら? でも、龍皇女陛下が此方らを導いてくださっているんです。せめて、足手まといにならないようにしないと……」
オーバーオールを着こんだ少女が、心配そうな視線を向ける。ミナズキは陥井をよけると振りかえり、微笑んでみせる。
少女の背中の向こうには、ぐねぐねと身をくねらせる巨大な蛇を思わせる岩石質の道がどこまでも虚空のなかに伸びている。
頭上……はおろか左右、はては宙に浮く細長い道の下も、漆黒一色に染めあげられている。気の遠くなるほどはるか彼方で、無数の星がまたたいている。
気を抜けば、方向感覚を喪失するどころか、上下の感覚すらわからなくなってしまいそうだ。
巫女装束のエルフは、あらためて前方をあおぐ。後方と同様に、よじれた道が果てしなく続いている。
ミナズキとメロより少し先行して、銀細工のように髪を繊細に編みこみ、豪奢な純白の衣装に身を包んだ女性が進んでいる。その足取りは、舞踏のように軽やかだ。
長耳の巫女は、舞踏のような軽やかな足取りで歩む眼前の女性の背を追いかける。と、その姿が視界から消える。
「ミナズキさん、うえなのね」
オーバーオールの少女が、指さす。自分たちの進んできた道が、まるで鎌首をもたげる蛇のように持ちあがり、絶壁になっている。
身長の数倍はある地形をやすやすと跳躍してみた銀髪の女性は、琥珀色の瞳で心配そうにミナズキとメロを見おろしている。
「二人とも、登れそうですか?」
銀髪の女性の問いかけに、ちらり、とオーバーオールの少女は巫女装束のエルフのほうを不安そうに見る。
「がんばれば、メロは登れそうだけど……」
「……もうしわけありません、龍皇女陛下。此方には、無理かしら」
龍皇女と呼ばれた女性──クラウディアーナは、慈母のような眼差しを二人に向ける。次の瞬間、音もなく絶壁のうえから飛び降りる。
「あわわ!!」
「はへ!?」
ミナズキとメロは、どこか間の抜けた声をあげる。目前に降り立った龍皇女は、左右の腕でそれぞれの少女をかかえる。
──バサリ。
クラウディアーナの背から、二枚の龍翼が現出する。ドラゴンの姫君にそぐわぬ力強さで、そのまま同行者とともに急峻な地形を飛びこえる。
「た、助かりました……龍皇女陛下」
「ディアナさま、すごぁい! さすがは上位龍<エルダードラゴン>なのね!!」
「うふふ、礼にはおよばないのですわ」
ミナズキは震えるひざに両手をあて、龍皇女に頭を下げる。メロは両目を輝かせて、クラウディアーナを見あげる。
「ねえ、ディアナさま。この調子で、ばびゅーん、と空を飛んでいけないのね?」
「とんでもないですわ、メロウ!」
うきうきとした口調の少女の提案を、龍皇女は屹然と否定する。
「短時間ならまだしも……虚無空間の長距離飛行は大変に危険ですわ。方向感覚を失って、ふたたび虚無空間を漂流することになってしまいます」
クラウディアーナは、前方を見やる。岩石質の大蛇のような道ははるか彼方まで続いていて、終わりが見えない。
「こうして『道』を見つけられただけでも、わたくしたちは幸運ですわ……虚無空間とは、それだけ危険な場所なのです」
しごくまじめな龍皇女の警句を聞いて、メロはうんざりしたようなため息をつく。ミナズキは足に重さを覚えて、視線を落とす。
「此方らが歩いてきた『道』、これはまるで……樹の根、みたいかしら」
巫女装束のエルフのつぶやきを聞きとめた人間態の上位龍<エルダードラゴン>は、瞳を丸くし、口元に微笑みを浮かべる。
「初見でしょうに、よく気がつきました……ええ、ミナズキの言うとおりですわ。これは、『根』です。おそらくは、まだ枯死して間もない……」
「こんなに長くてぐねぐねしたのが、植物の『根』なのね?」
オーバーオールの少女は怪訝な表情を浮かべ、足下の感触を確かめる。龍皇女は、巫女装束のエルフのそばに歩み寄り、岩石質の『道』の表面をなでる。
「はい。これは、世界樹の『根』に相違ないですわ。そもそも虚無空間で形を残せる物体は、そう多くはありませんから」
「世界樹……それは如何なるものなのかしら……?」
ミナズキは、知的好奇心に満ちた視線を己の足下に注ぐ。クラウディアーナは、そのすぐ横に顔を寄せる。
「世界樹とは、次元世界<パラダイム>を越えて繁茂する性質を持った植物ですわ。このように枯死して、長い時間をかけて風化すると、ユグドライト……すなわち、ミナズキの言うところの『霊墨』となります」
「ああ、なるほど! それで此方もどこかで見たような気が……」
巫女装束のエルフは、合点のいった表情で顔をあげる。至近距離に龍皇女の笑顔があることに気がつき、あわてて身を引く。
「も、申し訳ありません。龍皇女陛下……此方の無駄話で、よけいな時間を……」
「よいのです、ミナズキ。いかなるときも、学びと気づきは大切ですわ……さあ、もう少しだけ進みましょう」
「ええー! ディアナさま、まだ歩かなきゃいけないのね!?」
クラウディアーナの言葉に対して、メロはうんざりしたような弱音を吐く。ミナズキは、少し痛みはじめた両脚を叱咤して、背筋を伸ばす。
「メロ。龍皇女陛下は、千年以上の時を生きる偉大なる龍の姫君……此方らは、その言葉に従うべきではないかしら」
「ミナズキ。上位龍<エルダードラゴン>とはいえ、わたくしも女。年齢のことをいわれるのは、ちょっと……」
「ああ、申し訳ありません。龍皇女陛下……」
「うふふ。冗談ですわ、ミナズキ」
「ミナズキさん、ディアナさまには謝ってばかりなのね」
「もう、メロったら!」
巫女装束のエルフは、頬をふくらませながら一歩踏み出す。その瞬間、視界が傾く。ミナズキは、足をもつらせて、岩石質の地面に向かって転倒する。
「ディアナさま! ミナズキさん、だいぶ疲れているみたい……休憩にしたほうがいいと思うのね」
あわてて巫女装束のエルフを抱き起こしたオーバーオールの少女は、龍皇女に対して陳情する。クラウディアーナもまじめな顔で、肯首する。
「ええ、メロウの言うとおりですわ。ミナズキの疲弊に気がつかないとは、わたくしも迂闊でした」
「あうう……申し訳ありません、龍皇女陛下。それにメロ……」
「気にしちゃだめなのね、ミナズキさん……それはそうと、ディアナさま。ワガママばかり言っているみたいで申し訳ないのだけど……」
オーバーオールの少女は、へこたれたような声音と表情で己のへそのうえあたりに片手を当てる。
「正直なところ、メロも、とってもおなかがすいているのね……」
「どうやら謝らなければならないのは、わたくしのほうのようですわ。龍と人の違いを失念しているようでは……」
すまなそうに目を伏せるクラウディアーナは、岩石質の岩肌のうえにへたりこむミナズキとメロのまえで、ひざを曲げる。
「今日の行軍は、ここまでですわ。野営にして、体力の回復につとめましょう。まずは、二人に栄養を補給してもらわなければ……」
龍皇女はしばし思案顔になると、なにを思いついたような表情を浮かべる。細くしなやかな指先を、純白のドレスの胸元にひっかける。
→【魂跡】
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