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【第2部28章】竜、そして龍 (4/8)【寒波】

【目次】

【併走】

「く……グ……ッ?」

 ヴラガーンの視界が、かすむ。全身の肌をさいなむ痛みの質が変わる。はじめは、何らかの錯覚か幻術のたぐいかといぶかしむ。違う。背筋の冷える感触を味わう。

「面妖ぞ……なにをした、翼竜モドキめ」

 先刻まで熱波にされされて乾ききった大地を、霜がおおっている。ダイヤモンドダストの粒が、大気に舞う。高温の熱波から極寒の空気へ、カードをひっくり返したかのごとく、周囲の環境が一変している。

 上空で羽ばたくプテラノドンの翼が氷を帯びて、白銀に光を反射する。人間態の暴虐龍は、因縁のある龍皇女の鱗の輝きを思い出し、不機嫌そうに眉根を寄せる。

「コレガ、我ニ与エラレタ異能……名ヲ『摂氏反転<アイスエイジ>』。周囲ガ熱ケレバ、熱イホド……低温ヲ作リ出ス、コトガ、デキル……!」

「ふん、なるほどな……ウヌの小細工だということは、わかったぞ」

 ヴラガーンは、鼻を鳴らす。蒸気機関のごとく、白い呼気が噴き出す。いけ好かない有翼恐竜に向かって飛びかかろうと、跳躍姿勢に入ろうとする。

 できない。両脚が、動かない。足の裏が凍りつき、ぴったりとアウトバーンの路上に張りついている。暴虐龍の圧倒的怪力をもってしても離れないほどに、拘束されている。

「ご……ガ……ッ!」

 人間態のドラゴンは、凍てつく地面から足を引きはがそうと踏ん張る。霜におおわれたアスファルトが、みしみしと音を立てる。極低温によって締めかためられた氷の強度は、予想以上だ。下手な金属よりも、はるかに手強い。

「ク……ッ!?」

 思ったよりも足をこまねいているなか、ヴラガーンは頭上に奇妙な影が現れたことに気がつき、顔をあげる。暴虐龍は、双眸を刮目する。プテラノドンが、冷気を操る転移律<シフターズ・エフェクト>によって、空中に巨大な氷塊を造りだしている。

「グ、ごガあッ!?」

 氷結した質量体が、ヴラガーンの真上から落下してくる。足の動かない人間態のドラゴンに、回避のすべはない。とっさに頭頂に向かって両腕を交差し、ガードの姿勢をとる。氷塊が、直撃する。暴虐龍の意識が、一瞬、吹きとびかける。

 巨大な質量による衝撃は、ヴラガーンに対するダメージのみならず、アウトバーンの高架をも粉砕する。コンクリートの瓦礫や氷の破片とともに、人間態のドラゴンは高速道路の真下を流れる川へと落下する。

 無数の水柱が立つなか、ヴラガーンの肉体は川底近くまで沈んでいく。ごぼごぼと口元から空気の泡を吐き出しながら、暴虐龍は軽く頭を振って意識を覚醒させる。水流を妙に生温かく感じる。それだけ、空気が凍てついている証拠だ。

 河床に足をついた人間態のドラゴンは、とっさに水面を見あげる。ばきばきばき、ときしみ音を響かせながら、瞬く間に川の表面が凍りつき、みるみる氷のふたが厚くなっていく。

(気に喰わんぞ……トカゲ頭の分際で、小賢しい真似をするッ!)

 このままでは、さほどの猶予もなく、ヴラガーンごと川全体が凍結するだろう。規格外の身体<フィジカ>能力を誇る暴虐龍と言えども、厚い氷の棺に閉じこめられては身動きはとれない。

「──ドウッ!」

 ヴラガーンは、肺腑のなかに残っていた空気を圧縮して、吐息<ブレス>として吐き出す。呼気の弾丸は氷結した水面を破壊し、脱出路をうがつ。川面に空いた穴が、ふたたび凍りついていくなか、勢いよく水中から飛び出す。

 ひときわ大きな水しぶきをまき散らし、人間態のドラゴンは凍土と化した大地のうえに降り立つ。酸素を取りこもうと息を吸えば、凍てつく冷気が肺腑を痛めつける。

「シュー、シュー、シュー……」

 それでも、ヴラガーンは深い呼吸を繰りかえす。口腔と鼻孔から、白煙のごとき熱い空気が立ち昇っていく。熱波から寒気へ、優に100℃を越えるであろう温度変化は、暴虐龍の身であっても容赦なく体力を削り落としていく。

 極低温の空気が、濡れそぼった肌が凍りつかせ、人間態のドラゴンの体温を奪おうとする。暴虐龍はへその下に力をこめ、新陳代謝を強引に向上させる。脈拍が早まり、体温が急上昇し、体表からしたたる水分が蒸発して、もうもうと湯気を立てる。

「はらわたが煮えくりかえって、かなわんぞ……いますぐにでも飛びかかって、あの翼竜モドキを、八つ裂きに刻んでやりたいところだが……」

 ヴラガーンは両目を見開き、血走った眼球をぐるぐると回転させながら、苦々しく上空を見あげる。頭上では、ダイヤモンドダストにかすむ太陽の下を、プテラノドンが悠々と旋回している。

 有翼恐竜の高さまで跳躍するのは、容易だ。しかし、氷の盾を張られては、決定打を与えるのは難しい。寒波のなかで激しく動けば、それだけ体温も奪われる。

 人間態のドラゴンは不本意げに舌打ちすると、ふたたび足の裏が凍りついて動きを封じられるのを防ぐため、霜を踏みしめながら走りはじめる。

 ひゅおっ、と風切り音が響き、地面に落ちる影が有翼恐竜の揺らぐ。人間態のドラゴンは、背後から敵の接近を察知する。急ブレーキをかけ、きびすを返す。

 予想通りだ。プテラノドンが、滑空しながら迫ってくる。待ちかまえたかいがあった。憤怒の感情に早鐘を打つ心臓をおさえながら、ヴラガーンは腰を落とし、両手を突き出す。

「ドウーッ!」

 暴虐龍の咆哮とともに、10本の指から大剣のごとき龍爪が顕現する。暴虐龍は、ドラゴンの鉤爪を振るい、有翼恐竜を細切れに裁断しようとする。

 刹那、ヴラガーンは眉根を寄せる。プテラノドンは、巧みに制動し、龍爪をかすめ、紙一重で回避する。同時に、人間態のドラゴンの両腕が急に重くなり、自由を奪われる。

「ご……ガ……ッ! 翼竜モドキが、味な真似をするぞ……ぐうアッ!?」

 むき身の刃のごとき暴虐龍の鉤爪は、氷の鞘におおわて、切断力を喪失する。それどころか、凍結の波はヴラガーンの胴体へ向かって迫り、前腕に氷の手枷を作り出す。

 人間態のドラゴンはバランスを崩し、ひざをつく。左右の手首をからめとる氷塊が、地表の霜と一体化し、その場に暴虐龍を固定する。

「クギャア──ッ!!」

 けたたましい雄叫びをあげたプテラノドンが、すれ違いざまにヴラガーンの首筋を後脚で蹴りつける。コンパクトな旋回半径で、人間態のドラゴンの直上を奪った有翼恐竜は、背へ、後頭部へ、執拗に鉤爪を突き立てて、痛めつける。

「く……グッ!?」

 ヴラガーンは、苦悶のうめき声をこぼす。霜におおわれた白銀の大地に、龍の鮮血が飛び散り、じゅうじゅうとマグマのごとき湯気を立てる。氷の手枷によって両腕を拘束された状態では、反撃も防御もままならない。

「……ドウッ!」

 人間態のドラゴンは、頭突きで氷の手枷を粉砕し、どうにか身の自由を取り戻す。岩のごとき筋肉に怒気をたぎらせて背後を振りあおげば、すでにプテラノドンは上空へと逃れている。

 激情に身を任せ、ヴラガーンは痛いほどに冷え切った寒気を大きく吸いこむ。肺腑のなかで空気を圧縮し、呼気の弾丸として吐き出す。

「ドォウ──ッ!!」

 暴虐龍の吐息<ブレス>が、急上昇する有翼恐竜の腹を捉える。刹那、ヴラガーンは己の目を疑う。

 渾身の圧縮空気弾は、狙い違わずプテラノドンに命中した。しかし、手応えはなく、はじめからそこになにもいなかったかのごとく、有翼恐竜の姿は雲散霧消していた。

「……ぐうアッ!?」

 暴虐龍が、苦悶の声をあげる。沸騰する龍血の飛沫が、周囲にまき散らされる。上空に逃れたはずのプテラノドンが、人間態のドラゴンの背を蹴りつけ、鉤爪で横一文字の斬り傷を刻みこんでいた。

【経験】

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