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【第2部28章】竜、そして龍 (5/8)【経験】

【目次】

【寒波】

「く……グ……ドウッ!」

 背中に一撃を喰らったヴラガーンは、よろめきつつも、反撃の後まわし蹴りを放つ。遠心力に乗せて、足の指の先から龍爪を伸ばす。

「チイ……ッ!」

 人間態のドラゴンは、忌々しげに舌打ちする。暴虐龍の背中に無数の傷を刻みこんだプテラノドンは、大きく翼を羽ばたかせ、悠々と浮上していた。致命的な龍爪の一撃が、むなしく宙を切る。

 ヴラガーンはバランスを崩して転倒し、鏡面のごとく凍りついた地面のうえに沸騰する龍血を塗りつけながら、無様に転がる。じゅうじゅう、と音を立て、赤い鮮血の跡が白くくすぶる。

 上空へと飛び去っていく有翼恐竜をにらみつけながら、人間態のドラゴンは手足の龍爪を納めつつ、ゆっくりと立ちあがる。鼻孔から吐き出される濁った呼気は、荒い。

 プテラノドンにいいようにいなされて苛立つヴラガーンは、己の背中に意識を向ける。やりたい放題に痛めつけられたが、思ったよりも傷は浅い。

「しょせんは、翼竜モドキと言うことか……身体<フィジカ>能力は、さほどでもないぞ……」

 口元についた血を手の甲でぬぐいつつ、人間態のドラゴンは独りごちる。極寒の空気のうえをホバリングするプテラノドンと、2本の足で地面に立つ暴虐龍はふたたびにらみあう。

「シュー、シュー、シュー……小賢しい翼竜モドキめ。多少の知恵を身につけても、しょせんはトカゲのたぐいか……オレにとっては、この程度、かすり傷のようなものぞ」

 地の底から響くような重苦しい声音で、ヴラガーンは上空の有翼恐竜を挑発するような言葉を口にする。実際は、自身の怒りをなだめ、闘志を奮い立たせる意味合いが大きい。

「ドンナ、生物デモ……体温ヲ、失エバ、死ヌ。龍ヨ……我ハ、オマエノ、凍死ヲ、待ッテモ、イイ……」

「……そも寒波ごときで、ドラゴンをどうにかできると思うたか? 冷えて冬眠するのは、それこそトカゲのすることぞ」

 表情のうかがえないワニのような顔に、あざけりの笑みが浮かんだように、ヴラガーンは見える。人間態のドラゴンの口角から、歯ぎしりの音がもれる。

 うとましい現実だが、有翼恐竜の言葉は正鵠を射ている。暴虐龍が動きまわれば動きまわるほど体温を奪われ、かといって、その場にとどまり機をうかがえば足元から凍りつき、やがては身の自由を封じられる。

「シュー、シュー、シュー……気に喰わん、気に喰わんぞ……」

 ヴラガーンは己自身に対する苛立ちを、口からこぼす。手のひらから沸騰する血がにじみ滴るほどに、拳を握りしめる。

 相手の転移律<シフターズ・エフェクト>である『摂氏反転<アイスエイジ>』によって産み出された氷が、ドラゴンの圧倒的身体<フィジカ>能力による格闘攻撃を無効化している。

 かといって距離をとって戦おうにも、先刻、撃ちこんだ吐息<ブレス>に至っては、どのような手段で回避されたかすらわからない。

 いかにプテラノドンの攻撃が致命傷とならずとも、暴虐龍の側も決定打を欠いている。まさしく千日手であり、持久戦の果てに勝利の光が見えているのは、有翼恐竜のほうだ。忌々しい現実だが、いま、ヴラガーンは敵の手中にいる。

「ふん。自分から近づいてこないとは、怖じ気づいたか……凍死などと言うまどろっこしい手段で勝って、『龍殺し<ドラゴンスレイヤー>』を名乗る気か……?」

 自身の言葉を、我ながら安い挑発だと思いつつ、ヴラガーンは頭上を見あげる。プテラノドンが、悠々と旋回をはじめる。すると、周囲からくぐもった音が聞こえてくる。

「ギャアッ」「ギャア、ギャア」「クギャアッ」

 人間態のドラゴンをあけるようなうめき声が、四方八方から反響する。暴虐龍は刮目し、あたりを見まわす。いつの間にか、無数の有翼恐竜がヴラガーンを包囲している。

「──ドウゥ!」

 暴虐龍は怒りに眼球を血走らせ、龍尾を振りまわし、全方位をなぎ払う。手応えは、ない。いずれの相手も、命中したかと思った瞬間、霞のようにかき消える。

「やはり、幻術のたぐいだとでも言うのか!? ありえんぞ……ッ!!」

 戸惑いつつも、ヴラガーンは全身の筋肉を緊張させる。五感を研ぎ澄まし、プテラノドン本体が、どこに潜んでいるか探ろうとする。

「……ぬう?」

 人間態のドラゴンの口から、いぶかしむ声がこぼれる。頭上から、落下物の気配を拾う。上目遣いで様子をうかがうも、なにも見えない。音だけが、近づいてくる。

「どこだ……ッ!!」

 頭上におおざっぱな目星をつけて、大蛇のごとき龍尾を振りまわす。なにかに、ぶつかった。刹那、へし折れた氷の銛が姿を現し、霜の大地に転がる。そのままの軌道で落ちてきたならば、ヴラガーンの首筋を貫いていた。

 体勢を崩した暴虐龍の頭上から、さらなる落下物の気配が迫る。相変わらず視認はできず、尾による迎撃も間にあわない。人間態のドラゴンは、とっさに左右へステップを踏む。

「ク……ぐう!」

 巨大なつららが幾本も、凍りついた地面のうえに突き刺さる。ヴラガーンの肉体を鋭利な氷刃がかすめ、龍血が飛び散り、沸騰する赤い染みが霜を溶かす。

 人間態のドラゴンは、傷の具合を確かめる。かろうじて回避できたおかげか、さほど深くはない。しかし、直撃していた場合、どうなるかわからない。

 氷柱を作り出すためには、多少の準備時間が必要となるのだろう。対地攻撃が、いったん止まる。暴虐龍はよろめき、たたらを踏む。

 頭上ではプテラノドンが、相も変わらず悠々と旋回を続けている。しかし、その姿もまた、本物である保証はない。ともすれば、疑心暗鬼に囚われそうになる。

「シュー、シュー、シュー……幻術のたぐいとは、思えない……ほかに、伏兵が潜んでいる気配もないぞ……」

 ヴラガーンは、ぶつぶつとつぶやきながら思案する。暴虐龍が好み、また得意とする、圧倒的膂力によって正面から相手を粉砕する戦法が通用しないことを、あらためて理解する。

「気に喰わぬこと、このうえないが……止むをえぬぞ。オレも少しは、頭を使った戦いというものを試してみるか……」

 大小さまざまな無数の戦闘経験を、ヴラガーンは思い起こす。フォルティアという名の次元世界<パラダイム>の荒野を棲み家とする暴虐龍は、同じドラゴン同士の縄張り争いや、彼を狩ろうとする冒険者たちとの戦いに明け暮れていた。

 己の身に刻まれた過去の実体験に、状況打開の手がかりを求めるヴラガーンは、やがて千年まえの記憶にたどりつく。フォルティアの支配者をめぐる龍戦争、そのときの、のちの勝者である龍皇女クラウディアーナと対峙した経験だった。

【屈折】

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