【第12章】龍たちは、蒼穹に舞う (11/12)【伴侶】
【奉迎】←
「試練を乗り越え、『龍都』にたどりついた人と龍よ。わたくし、クラウディアーナは、そなたたちに心よりの祝辞を送ります」
最後に中央へと降りてきたドラゴンの背のうえから、凛とした女性の声が響く。水を打ったように、周囲の人々のざわめきが消え、あたりが静寂に包まれる。
「うふふふ。今日は、祝祭の日ですわ。無礼講、とまでは申しませんが、そこまでかしこまる必要もないのですよ」
声の主──クラウディアーナは、周囲を見回し、龍の背から地面に降り立つ。ドラゴンではなく、幻影の中継と同じ、人間の乙女の姿をしている。
銀色の髪を編みこんだ頭部に金細工の装身具を身につけ、真珠のような純白のドレスを身にまとった龍皇女は、うなだれるアリアーナのもとに歩み寄る。
アサイラは、息を呑む。龍皇女が側近龍の腹部に手をかざすと、淡い輝きが浮かび、見る間に裂傷がふさがり、翼の破れ目が修復されていく。
クラウディアーナは、アリアーナに微笑みかけると、民衆たちを見回しながら、アサイラに背を向ける。
「わたくしは、これより勝者たちを宮殿へと案内します。『龍都』の民たちよ。あとに続く参加者たちにも、是非、言祝ぎを」
龍皇女は、来たときと同じように、白龍の背に登る。真珠色のドラゴンたちが、一斉に飛び立っていく。
市民たちは、神妙な表情で胸に手を当て、クラウディアーナと側近龍たちの姿を見送る。なかには、ひざまづき、涙を流す者までいる。
『参りましょう。アサイラさま』
アリアーナが、乗り手の青年にささやく。アサイラは、うなずきを返す。灰色の翼を羽ばたかせ、ドラゴンの躯体が浮上する。
灰色の龍の身体には、レース開始前と変わらぬ力強さが戻っている。龍皇女と側近龍たちに続き、アサイラを乗せた灰色のドラゴンは、『龍都』上空を飛翔する。
アサイラは、眼下に視線をめぐらせる。『龍都』北側の台地のうえに深い緑の森の広がり、その中心に築かれた白亜の宮殿が見える。
龍皇女を運ぶ側近龍たちは、宮殿に向けて降下していく。アサイラを乗せたアリアーナも、そのあとに続く。
クラウディアーナたちが着地したのは、複数の龍が着地できるように広大な平面を形作るバルコニーのうえだ。
龍皇女を降ろした側近龍は、次々、龍態から人間態へと変化していく。髪や瞳の色は様々だが、皆、一様に気品のある白いドレスを身につけた女官たちだ。
アサイラが背のうえから飛び降りると、アリアーナもまた人間態へと姿を変える。『淫魔』の幻術は人間態に影響を与えず、他の側近同様の風貌となる。
黒髪の青年は、呆然と宮殿を見回す。魔術に関する知識がゼロのアサイラでもわかるほどに、不可視の力が、龍の聖堂を濃く、強く満たしているのがわかる。
「アサイラさま」
アリアーナに、背後から声をかけられる。青年は我に返り、背をただす。真正面には、口元に微笑みをたたえ、琥珀色の瞳を細めた龍皇女の姿がある。
アサイラと視線が合うと、龍皇女、クラウディアーナは小さく首をかしげる。
「そなたとアリアーナの苦労をねぎらうのに、立ち話もなんですわ。わたくしの宮殿のなかへ、どうぞお入りください」
龍皇女は、側近たちを引き連れて、白亜の大廊下へと歩き出す。アリアーナに促され、アサイラもそのあとに続く。
龍態であっても問題なく通れるのではないか、と思えるほどの大回廊を通り抜け、謁見の間へとたどりつく。
クラウディアーナは、周囲の床より数段、高い場所にしつらえられた玉座へと、スカートのすそをつまみながら登り、腰をおろす。
「上下の立場をつけるような間柄ではありませんが、習わしというものがあるのですわ。ご勘弁くださいまし」
豪奢な座具に腰かけたクラウディアーナは、少しだけ申し訳なさそうに笑う。
「まずは、アリアーナ。こたびの大儀、ご苦労でした。命を落としかねない危険な任を果たしてくれて、ありがとう」
「身に余るお言葉、恐悦至極にございます。龍皇女殿下」
「そして、稀人殿。わたくしたちに協力の手を差し伸べてくださったことに、まずは、感謝を申しあげるのですわ」
「気にするな。互いの利害が一致しただけだ。それよりも……」
「ああ。込み入った話をする前に、少しばかりお時間をいただくのですわ」
龍皇女は、アサイラの少しだけ後方を鋭い視線で射抜く。青年は、自分の背中側の空気が震えるの感じる。
アサイラの肩越しの空間に、ノイズが走る。やがて、白亜の宮中に不釣り合いな、古ぼけた木製の扉が、すうっ、と姿を現す。
「盗み聞きをされるのは気分がよくないですわ。観念して出てきなさい。『淫魔』」
「いちいち言われなくても、そのつもりだったのだわ。龍皇女」
扉の隙間から、アサイラにとっては聞きなれた女の声が聞こえてくる。きしみ音を立てながら、ゆっくりと、木戸が開いていく。
虚無空間の向こう側から、紫色のゴシックロリータドレスに身を包んだ、アサイラの協力者、『淫魔』が姿を現す。
側近龍たちの無表情な視線が、『淫魔』に注がれる。当人は居心地が悪そうに、紫がかった髪を指先でいじる。玉座のうえの龍皇女は、ため息をつく。
「アリアーナ、本当に苦労をかけたのですわ……つらかったでしょう?」
「はい、龍皇女殿下……辱めを、受けたのですよ……」
琥珀色の瞳を向けられたアリアーナは、己の目元を潤ませ、手の甲で涙をぬぐう。ほかの側近龍たちも、もらい泣きし、同僚への同情の念を示す。
「なにを言っているの! 双方、同意のうえだったじゃない……これだから、龍皇女たちのまえに出てくるのは、いやだったのだわ……」
謁見の間に沈痛な空気が満ちるなか、心底うんざりした、といった様子で『淫魔』は天井を仰ぎ見た。
「……おまえたちが、たいそう仲良しなのは、よくわかった」
「はあッ!?」
「誰が!?」
「ですって!?」
アサイラの何気ないつぶやきに対して、前後左右の女たちが一斉に抗議の声をあげ、射殺さんばかりの視線を向ける。
当の青年は、小さくホールドアップして見せ、観念した様子で首を振る。アサイラの背後では、『淫魔』がへそを曲げたように、そっぽを向いている。
「……本題に移ってもいいか? 皇女さま」
「……ええ、どうぞ」
「この次元世界<パラダイム>にあるという、原初の『龍剣』を譲ってもらいたい。問題があるなら、一時貸与という形でもいい」
「はい、かまいません。差しあげますわ」
「は──?」
龍皇女の迷いないふたつ返事に、アサイラは思わず目を丸くする。玉座のうえのクラウディアーナは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「そう驚かれることもないですわ。わたくしどもの至宝ではありますが、同時に、当然の贈り物でもあると考えています……我が伴侶への」
「──は?」
アサイラは唖然として、玉座を見あげる。一度は元に戻りかけた青年の眼球が、ふたたび見開かれる。視線の先のクラウディアーナが、怪訝そうな表情を浮かべる。
「そなたは、婿選別の競技会の勝利者ですわ。もちろん、世の中には同性を愛する者もいると聞きますが、わたくし自身は、男性を夫にしたいと考えています」
「ちょっと待ってくれ……どういうことだ、アリアーナ?」
青年は真横を向き、ともに戦った側近龍に助けを求める。名指しされたアリアーナは、目を伏せつつ、同僚たちのなかから、一歩前に出る。
「龍皇女殿下の婿となる権利は、当然、アサイラさまのものなのですよ。側近であることを差し引いても、女龍では殿下のご希望に添えませんし……」
「その権利、辞退することはできないのか……?」
「わたくしは、そなたの妻として不足ですか? もしや、英雄、色を好む、ということですか? ならば、側近龍一同も誠心誠意、我が伴侶に奉仕する準備が……」
龍皇女の言葉を肯定するように、アリアーナを筆頭とする側近龍たちが、首を縦に振る。アサイラは、否定するように、ぶんぶん、と頭を左右に振る。
視界のすみに、風船みたいに頬を膨らませる『淫魔』の姿が見える。黒髪の青年は、呼吸を整え、あらためて、玉座のクラウディアーナに視線を向ける。
「そうじゃない。そういう問題じゃないんだ……俺は、かえらなければならない。この次元世界<パラダイム>に、腰を据えるわけにはいかないんだ……」
自ら龍皇女に視線をあわせながら、アサイラは先に視線をそらす。クラウディアーナの琥珀色の瞳は、青年に負けず劣らずの硬い意志の輝きを宿している。
次元世界<パラダイム>の管理者に気圧され、困り果てたアサイラはうなだれる。青年の真横に、助け船を出すように、『淫魔』が歩み出る。
「龍皇女。アサイラの目的は、自分の故郷に帰ることだわ。そこは、徹頭徹尾、一貫している。原初の『龍剣』も、そのための一行程にすぎないわけ」
きっ、と緑色の光を宿した瞳で、『淫魔』は玉座をにらみつける。龍皇女は、首をかしげながら、ため息をつく。
「難儀ですわ。婿候補に逃げられたとあっては、わたくしも示しがつきません……ああ、もちろん、メンツで求婚しているわけではない、とご理解を。我が伴侶」
「柄にもなく、色目を使っているんじゃないのだわ。龍皇女」
「……それに『淫魔』も、この男性を手放したくはないようですし」
「はあ……ッ!?」
肘掛けに身を預けながらつぶやいたクラウディアーナの言葉に、『淫魔』は隠すことなく激情を露わにする。
「……わかったのだわ、龍皇女。私は、あなたとアサイラの結婚を認めます」
「おや。『淫魔』が、わたくしの提案を呑むとは意外ですわ」
玉座のうえのクラウディアーナは、わざとらしく目を見開き、挑発的な声をこぼす。荒く鼻息をこぼす『淫魔』に対して、アサイラは向き直る。
「おい、クソ淫魔! なにを勝手な……」
「仕方ないのだわ、アサイラ。こうしないと、原初の『龍剣』は手に入らなそうだし……ただし、龍皇女ッ!」
ゴシックロリータドレスの襟首をつかまれそうになった『淫魔』は、右手でアサイラを制し、左手の人差し指を玉座に突きつける。
「……アサイラの正妻の座は、保証しないのだわ」
静かに、凛とした声音で宣告した『淫魔』の言葉の意味を、その場に居合わせた全員がすぐには呑みこめず、呆然とした表情を浮かべていた。
→【天命】
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