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【第2部22章】風淀む穴の底より (1/8)【穴蔵】

【目次】

【第21章】

「のんべんだらり……なんとも、まあ、陰気くさいところなのよな」

 闇のなかに、女の声が響く。声の主は、地下施設の階段を底へ底へと向かって降りていく。照明の類は機能していない。唯一の光源は、女が手にした刀に宿る超常の炎。

 ドラゴンの骨より削りだした龍剣の一振り、『炉座明王<ろざみょうおう>』という銘を与えられた刀は、火焔を操る力を持つ。持ち主のリンカは、それを松明のように掲げ、地下の暗闇を照らしている。

 女の瞳は燃える炎のように赤く、長い黒髪を馬の尾のように後頭部でまとめ、着流しを身にまとう。イクサヶ原の装束だ。

 ただ、足元だけは不釣り合いに重厚なブーツをはいている。リンカは、むずがゆそうに己の足先を一瞥する。『ドクター』から提供された、登山用を思わせる靴だ。

「さもありなん、消音ブーツって言ったか? 足を丸ごとくるまれるのは、どうにも落ちつかないのよな……ま、足音が消えるってのは本当だ。ニンジャにでもなった気分だ」

 着流しの女は含み笑いをこぼして、己の気のゆるみを自覚し、へその下に力を入れなおす。ここは敵地、それも拠点のなか。胃袋のなかに飛びこんだも同然だ。

 次元巡航艦『シルバーブレイン』から離脱し、マム・ブランカの戦車『スカーレット・ディンゴ』によって運ばれて、指揮官である『ドクター』の指定ポイントであるこの地下施設へ侵入した。

 入口は、草原の岩影に偽装されて隠されており、当然というべきか施錠されていた。リンカは、『炉座明王<ろざみょうおう>』の炎で焼き切り、無理矢理、解錠した。それで警報が鳴った気配も無し。

 拠点といいながら、見張りはおろか、いまのところ人の気配のひとつすらしない。マム・ブランカによる輸送のあいだも敵影は乏しく、戦闘らしい戦闘もなかった。

 もっとも、科学者親子の情報分析と、初老の戦車乗りの勘と経験がそれだけ卓越していたということだろう。余計な戦闘を避けられたのは僥倖だが、ここから先の油断や楽観を許す理由とはならない。

「のんべんだらり。こんなところに敵将のひとりが潜んでいるのとは……それはそうと、こちらの頭数が足らんとはいえ、サムライじゃない一介の鍛冶職人のアタシに無茶をさせるものよな……」

 リンカの潜る地下施設は、旧セフィロト社の大型シェルター、兼、軍事訓練場だったという。グラトニア・レジスタンスの決起時に籠城戦の舞台となり、その後、再利用されることもなく放置されている……らしい。

「さもありなん。まるで、巨大な墓穴なのよな……人死にがたくさんあっただろうに、ちゃんと弔いはしたのかねえ?」

 階段の先に満ちる暗黒を見つめながら、リンカはつぶやく。まるで夜中に井戸の底をのぞきこんだような怖気を覚え、持ち主の感情と連動するように刀に宿った炎が揺らぐ。換気もろくにされていない空気は淀み、いまにも息が詰まりそうだ。

「のんべんだらり。あのじいさん、伏兵でも沸いてきたら、どうしろって言うのよな。いや……多勢を相手取るなら、火攻めが手っ取り早い。それで、アタシか」

 リンカは、気乗りしない様子で独りごちる。正直、無益な殺生を好む性質ではない。とはいえ乗りかかった船、任された仕事を投げ出すつもりもない。

 ドクター・ビッグバンを名乗る老科学者の考えることは、イクサヶ原出身の女鍛冶には理解の及ばないところがある。なし崩し的とはいえ半年間ほど行動を共にした、いまでも、だ。

 次元巡航艦からの最後の指示によれば、グラトニアの導子通信を解析して現地点を割り出したと言う。ここに、グラトニア帝国軍の要となる人間がいる。敵陣の屋台骨とも言える重要人物が。

 にわかには信じがたい話だったが、反論や質問をしようものなら、その数倍は難解な返答をまくし立てられることが火を見るよりも明らかだったので黙っていた。

 なにより、あの老科学者の見識は不可解に聞こえても、驚くほど的確に正鵠を射ることを、ここ半年間でいやと言うほど思い知らされていた。

「さもありなん……ともかく、ここに敵将が潜んでいる。アタシは、ソイツをしとめる……そういう話なのよな」

 リンカは、自分自身に言い聞かせ、現状に意識を集中させる。人の気配のしない途中の扉はすべて素通りし、最下層を目指す。龍剣の灯火を照らせば、突き当たりに隔壁が見えてくる。

「のんべんだらり。ようやく奥の間なのよな。ここまで雑兵の姿は無し……さあて、底から上に向かってしらみつぶしに探していくか、手っ取り早く火を放ってあぶり出すか……」

 攻め手を思案する着流しの女の手に握られた龍剣、その刀身に宿った炎が、ぶすぶす、と音を立てたかと思うと、煙を立てながら消滅する。リンカは、双眸を見開く。

「……ッ!? さもありなん!!」

 リンカは、イクサヶ原の刀鍛冶一族の出身だ。ゆえに、火と風の関係を経験的に熟知している。炎の燃えない淀んだ空気では、人間も呼吸ができず、死に至る。ドクター・ビッグバンは、酸素がどうのこうのと言っていたか。

 灼眼の女鍛冶は、地下施設の最深部を目前にして身をひるがえし、もと来た階段を駆け登ろうとする。突き当たりの隔壁が、不気味な沈黙とともに侵入者のことを睥睨していた。

【不燃】

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