【第2部13章】少年はいま、大人になる (6/16)【内省】
【叛逆】←
「ぎゃむ──ッ!?」
フロルは、あわてて起きあがった。意識を失っていた。どれくらいの時間だ? 一秒でも命取りだ。トゥッチは、『魔女』は、グラー帝は、いま、なにをしている?
きょろきょろと少年は周囲を見まわして、ようやく異常に気がつく。いま自分が認識している空間は、先刻まで死闘を繰り広げていた戦場と違う。
いけ好かない先輩征騎士も、深紅のローブの女も、皇帝も、その姿は見あたらない。近衛兵もいなければ、装甲オープンカーもない。原生林や泥の臭いもしない。
「なんなんだよ、ここ……」
いっさいの起伏のない真っ白な地面。高さのわからない無色の空。空間の果ては見渡せず、狭いのか広いのかすら判然としない。
「そうか、僕は……死にかけたんだ。臨死体験ってやつだよ、これ」
少年は、ぶつぶつとつぶやきながら思案する。もっとも直近の記憶は、トゥッチの一撃をさばき損ねた瞬間だ。
内的世界<インナーパラダイム>という以前聞いた言葉が、ふとフロルの脳裏に浮かぶ。
征騎士として、次元転移者<パラダイムシフター>として己を鍛えるにはどうしたらいいか。征騎士序列二位にして、導子工学の権威だという通称『プロフェッサー』に相談を持ちかけたとき、出てきたフレーズだ。
次元転移ゲートをはじめとする技術を支える導子理論において、世界も人間も本質的な違いはなく、人間を世界として認識したときに現れるものが深層心理とも言い換えられる『内的世界<インナーパラダイム>』だ、と。
だが通常、人間が自身の内的世界<インナーパラダイム>を認識することは不可能に近く、いわゆる臨死体験のとき垣間見ることがある……とも言っていた。
「これが、僕の……汚いのよりはマシかもしれないけど、なんにもないってのも辟易するんだよ……」
一瞬まえまで繰り広げていた死闘のことも忘れて、フロルはあぐらをかきつつ、ため息をつく。それほどまでに、ここにはなにもなかった。
「まあ……仕方ないか。ほかならぬ僕自身がからっぽだった、ってことだよ」
少年は二度めのため息をこぼしつつ、なにも描きこまれていない白いキャンバスのごとき天井をあおぐ。自分自身に対する失望と同時に、妙に腑に落ちる納得感があった。
フロルの故郷である次元世界<パラダイム>──グラトニアは、少年が産まれたときから次元間巨大企業セフィロト社の支配者にあった。
血の代わりに資本を循環させて動く化け物の搾取からの解放を目指し、グラトニア人たちはレジスタンスを結成して、対抗した。
フロルも年長者たちに言われるまま、当たりまえのように反体制活動に身を投じた。十年と少し経ってセフィロト社は崩壊し、自治を取り戻した。
こうして産まれてまだ半年も経たない国家が、グラトニア帝国だ。急に手持ちぶさたとなった少年は、それでも自分の存在意義を求めて、グラトニア征騎士に志願した。
「……その結果が、このざまだよ。競争率数百倍の選別の儀式を突破しておいてさ。なさけないなあ」
三度めの嘆息がこぼれる。それも、自業自得だったのかもしれない。征騎士を志したのだって、テレビのプロパガンダ放送の影響だ。
虚無感が、心に満ちる。涙を流す気も起きない。結局のところ、どんな未来を描き出すのか、一度たりとも自分で考えたことはなかったのだから。
「──ッ!!」
そのとき、フロルは背後の気配を感じとる。とっさに振りかえる。自分以外なにも存在しないと思っていた広漠な空間に、ひとつの異物の姿があった。
出来損ないの針金細工のような錆色の異形だった。弱々しく身を震わせつつ、地面を這いながら、少年から離れていこうとする。
「待って……!」
フロルは反射的に呼び止める。少年は、みじめな異形の正体を直感的に心当たる。
「きみ……僕の『龍剣』だろ! 違う!?」
ぶるぶると蠕動しつつ、針金細工の異形が動きを止める。フロルの直感が、確信に変わる。
本来『龍剣』とは、ドラゴンの骨から削り出される由緒正しい魔法<マギア>の武器であり、強大な力を秘めているという。だが、少年の得物に関しては、事情が異なる。
フロルが振るっているバスタードソードは、『龍剣』の模造品だ。憎きセフィロト社が、正当な『龍剣』をコピーしようとして造ったらしいが、詳細は知らない。
それでも、少年は正式な征騎士として叙勲とともにこの剣を渡されて以来、常にともに過ごしてきた。
先輩の征騎士たちに追いつこうと数え切れないほど素振りをこなし、半人前とは言え危険な任務へおもむいてはともに死線を越えてきた。
時間の長短は、関係ない。この剣は、すでに自分の一部になっていた。だからこそ、ここ──フロルの内的世界<インナーパラダイム>にいる。
「力を貸してくれ……ッ!」
少年は、衝動的に叫んでいた。針金細工の異形は、びくっと身を震わせたかと思うと、もぞもぞと動く。前後はわからないが、フロルのほうを振り向いたのだろうか。
「僕やきみのようなものであっても! 弱くても、いびつでも、空っぽでも……存在を許される世界がほしい!! だから、力を……」
それ以上の言葉は不要だった。異形から、いまにも折れそうな一本の触肢が伸びてくる。フロルは、慈しむように自分の半身の突端を両手でつつむ。
「……そうか、きみの名前は」
少年は微笑みながら、つぶやく。気がつけば、両目から涙が流れていた。その足元から四方に緑色の草原が、頭上には蒼い空が広がっていく。
そこで、フロルの意識はふたたび途絶えた。
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「なにをしているのです、征騎士トゥッチ。早くとどめを刺しなさい。陛下の御前、万が一があってはならないので」
「そう急かすなよ、『魔女』。どのみち致命傷だ、これがな」
まず、はじめに戻ってきたのは聴覚だった。次に触覚がよみがえる。フロルはいま、横に倒れた巨大な石柱の下敷きとなっている。
まぶたを開く。かすんだ視覚が徐々に焦点を取り戻していく。泥水と針葉樹の臭いが混ざりあって、嗅覚を刺激する。
「ぶげ……ぐッ」
少年は四肢に力をこめ、わずかに石柱を浮かすと、隙間から転がり出る。トゥッチが顔色を変え、銃口を向ける。フロルはせきこみつつ、剣をかまえる。
「動くんじゃねえーッ! 死に損ないのクソガキが!!」
「肉は鋼に、命は火に。我を導くその手にゆだね。実存の壁に爪立てよ──」
先輩征騎士の怒鳴り声が、どこか遠くに聞こえる。少年は、自分の奥底からあふれ出す言葉を、静かに口にする。
「──龍剣解放、『機改天使<ファクトリエル>』」
フロルがその名を口にした瞬間、『龍剣』の模造品であるバスタードソードが、まばゆいばかりの鈍色の輝きを放った。
→【落前】
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