【第8章】獣・女鍛冶・鉄火 (6/12)【憤怒】
【躊躇】←
「……さもありなん!」
野牛の部族の集落にたどりついたリンカは、思わず声をあげて、口を抑える。なにが待ち受けているかわからない。迂闊に音を立てるのは、得策ではない。
草原の住人の住居は、灌木の枝を組み合わせて、干し草の屋根を敷いた簡素なものだ。建ち並ぶいくつかの家屋を、建材と同じ木製の柵で囲っている。
ところどころ、集落を巡る囲いが壊されている。住居にも損傷が見られ、かまどから飛び火したのか、ぼやの煙があがっている。
放っておけば大火事にもなりかねないが、消火しようとする住人の姿はない。そもそも、リンカから見える範囲に、生きている人間の気配がない。
「う、うぅ……ッ」
女鍛冶の脳裏に、かつて故郷で見た戦の惨状がよみがえり、恐慌状態に陥りかける。リンカは、意志の力で無理矢理に精神の平衡を保つ。
「すうぅぅ……ふうぅぅ……」
リンカは、瞼を閉じ、丹田で深く呼吸する。聴覚と、なにより集落内の『気』に対して、神経を研ぎ澄ます。
「……案の定、というか。不幸にも、というか」
女鍛冶の眼が、開かれる。住人の明確な『気』を感じ取ることはできない。だが、集落の中心のあたりから、うめき声のような音を聞き取った。
「アタシは、サムライでも、ニンジャでもないんだけど……」
それでも、いまは自分一人しかいない。リンカは、鞘から刀を引き抜くと、いつ狼藉者とはち合わせてもいいように覚悟を決めて、集落のなかへと踏みこんでいく。
女鍛冶が横切るどの家屋からも、人の気配は感じ取れない。そのまま、さほど広くない村の中央へと向かう。確か、共用の井戸が掘られた広場があるはずだ。
「……ッ!?」
集落の中心を見たリンカは、息を呑む。
踏みならされた赤土の地面に、黒く変色した血が染みこんでいる。そのうえに、野牛の獣人たちが、老若男女問わず群がっている。
草原で相対した男のように、肌は土気色に変色し、瞳は濁り、口元からは唾液がだらだらと垂れ落ちている。
ただし、すべての獣人が病的な様相と化しているわけではない。うごめいている多くは、若く屈強な男たちで、それ以外の住人は彼らの輪の内側に積あげられている。
「……共食いッ!」
リンカは、思わず声をあげる。それでも、獣人たちが背徳の行為から意識をそらす気配はない。
女鍛冶が口にしたとおり、若い男の獣人たちは、積みあげられた老人と女子供の死体に群がり、リンカに気がつく様子もなく、同族の肉を一心不乱に貪っている。
狂ったように屍肉を貪る獣人のなかには、となりで動いている仲間の身体に食らいついている者もいる。子供のころに絵巻で見た、餓鬼道地獄のような光景だった。
「なんだって……こんなことに……」
呆然とつぶやく女鍛冶は、獣人たちのほかに、明確な人の気配を感じ取る。死体の山の向こう、井戸の影に向かって、刀を構える。
「んん、なんだぁぜ。お客さんかぁ?」
男の声が聞こえたかと重うと、井戸の石積みの向こうから、のっそりと何者かが姿を現す。一瞬、リンカは熊の獣人かと思う。
違う。口元にたくわえた黒髭ともみあげがつながり、熊面なのは確かだが、リンカと同じ、獣の相を持たない人間だ。
「さもありなん。この地獄絵図は、アンタの仕業ってことでいいのかい?」
「んん? さぁて、どうだろうなぁ」
刀を構え、油断なく問いかける女鍛冶に対して、熊面の男はにやにやとした笑みを浮かべ、はぐらかすような返事を口にする。
「それよりも、きさまこそ何者なんだぁぜ。この次元世界<パラダイム>の原始人どもじゃないなぁ……パラダイムシフターかぁ?」
「ぱらだいむ、しふたあ……?」
初めて聞く言葉に、リンカは思わず問い返す。
あらためて見てみれば、熊面の男の服装も妙だ。獣人たちの装束とも、自分の着物とも異なる。まるで、別の世界から来たかのような──
「ま。パラダイムシフターなんだろうなぁ、きさまは……こいつは、行幸だぁぜ。おい、おまえら! お客さんを、もてなしてやれ!!」
髭面の男が、号令をあげる。屍肉を貪っていた獣人たちが一斉に立ちあがり、女鍛冶に対して向きなおる。
リンカは目を細め、口元をゆがめる。ちらほらと、知り合いの顔が混ざっている。宴席をともにした男もいる。
(アタシは、刀鍛冶にも、剣士にも向いていないのよな)
内心、女鍛冶はため息をつく。
「ヴオオオォォォォォ──ッ!!!」
野牛の獣人たちが、一斉に咆哮を響かせる。眼前の女の顔も忘れ、命令のままに組み伏せようと、殺到する。
「……フッ!」
リンカは、身軽に跳躍する。獣たちの腕を、寸前で上方向にかわし、手短な男の顔を踏みつけて、さらに高く跳ぶ。
チョウかトンボのように、女鍛冶は刀を握ったまま軽々と空を舞うと、死体の山も飛び越えて、熊面の男の前へと着地した。
「さもありなん……アンタの命令で、コイツらが動いた。ということは、アンタが首魁ということなのよな」
リンカは、熊面の男に刀の切っ先を突きつけながら言い放つ。
三歩踏みこめば、相手を斬り捨てられる間合いだ。炎の筋を飛ばすなら、距離を詰める必要すらない。
「ゲルハハ……さぁてなぁ?」
にもかかわらず、髭面の男は相変わらず、にやにや笑いの余裕の表情を浮かべている。なにか、リンカの知らない武器を隠し持っているのか。
──パチンッ。
熊面の男が、指を鳴らす。女鍛冶の死角となっていた家屋の裏から、小柄な人影が飛び出してくる。目の前の男に意識を集中していたリンカは、反応が遅れる。
女鍛冶に向かって駆けこんできたのは、野牛の獣人の子供だった。歳の頃は、マノと同じくらいか。ほかの獣人同様に、病的な風貌と化している。
「ヴオーッ!」
「──あグッ!?」
獣人の子の突進をかわし損ねたリンカは、わき腹に頭突きの直撃を受ける。成人には劣るが、力自慢の野牛の部族、少年であっても十分な膂力を持ち合わせている。
女鍛冶は、そのまま吹っ飛ばされる。踏み固められた地面のうえを転がりながら、受け身をとって衝撃を逃がす。
「ゲルハハ! ガキは役に立たないと思っていたが、一匹だけ、気まぐれでゾンビにしておいて助かったぁぜ」
ずきずき、と痛むわき腹を左手でおさえながら、リンカは立ちあがる。少年は、髭面の男を守るように立ちふさがる。
もう一方からは、獣人の青年たちが死体の山を迂回し、あるいは同胞の躯を踏みにじりながら、女鍛冶へと迫りくる。
リンカは異貌の獣人の群れは意に介さず、真紅の瞳で髭面の男を見据える。
「アンタだけは、許さない」
「ンンー。きさま、おれさまに構っている余裕があるのかぁ?」
熊面の男の嘲笑が、周囲に響きわたる。リンカの周囲は、ゆっくりと確実に、病的な獣人たちによって包囲されていく。
女鍛冶は、己の刀を両手で握る。荒れる心を意識して鎮め、『気』を刃へと流しこむ。円を描くように、切っ先が宙をなぞる。
──ボボウッ!
地を這うように、渦を巻くように、螺旋状の炎の筋が周囲へ伸びる。炎熱の刃が、獣人の足首を難なく焼き切っていく。
「おおっとぉ!」
髭面の男は、寸でのところで危機を察知し、井戸の石積みのうえに避難することで、地を這う赤焔を回避する。
「弔いは、あとでする」
リンカは、両足を喪失し、周囲でもがく獣人たちを一瞥する。正面を向き、人を見下すような笑みを浮かべる熊面の男を、まっすぐに視線で射抜く。
「いまは、アンタ以外にかまっているひまはないんだよ」
女鍛冶は、瞳に憤怒の熱を宿し、刀身に焔をまとわせたまま、一歩ずつ首謀者に向かって間合いを詰めていく。
「こいつは、驚いたんだぁぜ……きさまの持っている武器、『龍剣』かぁ!」
(……『龍剣』を知っている?)
リンカの眉根が、ぴくり、と動く。髭面の男への警戒から、一度、歩を止める。
「『龍剣』は、本社の連中も詳細をつかめていないんだぁぜ。貴重なサンプルになる……こんな原始時代の次元世界<パラダイム>でお目にかかれるとはなぁ!」
女鍛冶の怒気とは裏腹に、熊面の男はいっそう耳障りな笑い声をあげる。
「僥倖だ! パラダイムシフターも捕獲して、ダブルで査定ボーナスだぁぜ!!」
リンカは、気づく。声音に反して、髭面の男の双眸は笑っていない。その眼は、獰猛な略奪者……故郷で見た荒武者と、同じ輝きを宿していた。
→【土塊】
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