【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (10/16)【遡上】
【海嘯】←
「ディアナさまー! どうだったのね!?」
六枚の龍翼を羽ばたかせてクラウディアーナが『聖地』へと着地すると、魔法少女装束に身を包み、両手にそれぞれリングを握った臨戦態勢のメロが駆け寄ってくる。
『メロ。こちらのほうは、いかがでしたか?』
龍皇女は少女の質問には答えず、問いかえす。光そのもののようなたてがみを揺らしながら、首をめぐらせて『聖地』の様子を見まわす。
蓮の浮かぶ沼沢地の中心には、エルフによって建設途中の祭壇の姿。周辺には、オークたちが切り出してきた丸太が積みあげられている。『聖地』の整備が順調に進んでいる証拠だ。
だが、ふたつの人型種族はいま、完全に浮き足立っていた。森の民たちは矢筒を背負い、弓を握り、弦の具合を確かめている。豚頭たちは、エルフから提供された斧や山刀を両手で握りしめて、素振りしている。
「メロは、止めたんだけど……エルフさんも、オークさんも、『落涙』と戦って『聖地』を守る、って言って聞かないのね!」
いまにも泣き出しそうな様子で龍皇女に主張する魔法少女のよこへ、エルフの族長が駆け寄ってくる。革鎧と弓、それに短剣を腰に差し、完全武装の出で立ちだ。
「あんたたちが、ドラゴンだったとはな。どおりで、ほかの二人の嬢ちゃんとは雰囲気が違ったわけだ……ところで、もう一頭のドラゴンはどこに行ったんだ?」
宝玉のごときクラウディアーナの瞳が、メロを、続いてエルフの族長を見つめる。魔法少女が不安がるのも当然だ。森の民も、豚頭も、戦いの熱気にあてられている。
『族長どの。エルフもオークも、いったん『聖地』から避難してくださいな』
「どうしてだ!? あんたみたいなドラゴンが味方してくれるんだ……俺たちや、オークどもだって戦えるさ!!」
『だからこそ、ですわ。わたくしは、ただの龍ではなく上位龍<エルダードラゴン>。全力で戦えば、そなたたちを巻きこみかねません。その手にした武器は、いまは己の身を守るため、お使いなさい』
エルフの族長は不満げに息を呑むが、白銀の上位龍<エルダードラゴン>が抗戦を否定しなかったため不承不承従い、その決定を伝えるべく背を向けて走り出す。
そのかたわらで魔法少女は、ほっと一息つき、クラウディアーナを見あげる。
「助かったのね、ディアナさま。メロがなにを言っても聞いてくれるような雰囲気じゃなかったから……」
『メロ。そなたは、わたくしの背に! すぐに離陸ですわ!!』
「うん、ディアナさま!」
魔法少女は身軽に跳躍し、龍皇女の背に飛び乗る。クラウディアーナは六枚の龍翼を羽ばたかせ、垂直方向に急上昇する。
雲を突き抜けるのではないかと思う速度で高度を増す上位龍<エルダードラゴン>は、すぐ近くの山を越えたあたりで制止する。
「あわわ……!?」
魔法少女は、思わず腰を抜かしそうになる。猛禽や翼竜<ワイバーン>など羽を持つ生き物たちが『落涙』から脱がれようと、クラウディアーナとメロのすぐそばを横切り、一目散に飛び去っていく。
クラウディアーナとメロは赤く染まった空の下、山の頂の向こうを這いまわる粘体の姿をあらためて捉える。
まっすぐこちらに向かってくる巨怪なる存在が通過したあとは、やけどの痕のように原生林が更地になっている。
「あわわ……とんでもないことになっているのね。ディアナさま、どうすれば、あれをやっつけられるの?」
『おそらく無理ですわ。カルタから聞いたところによると、攻撃は逆効果となるそうです』
龍皇女の簡潔な返答を聞いて、メロは呆気にとられる。白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、大地にできた水膨れのような『落涙』を凝視している。
「えっと、ディアナさま……それじゃあ、メロたち、どうすれば……」
『いまは、エルフとオークたちが避難するための時間稼ぎに専念ですわ。それに……ミナズキがどこにいるか、わかりますか?』
龍皇女が、長い首をめぐらせて魔法少女に問う。メロは、申し訳なさそうに首を左右に振る。
「ごめんなさい、ディアナさま。ミナズキさん、『聖地』の聖別は自分一人でやる、差し入れとかもいらない、って言ってたから……」
『ならばこそ、いまは、あれの足止めが最優先ですわ。メロ、しっかりつかまっていてください』
白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、山を越えて滑空する。魔法少女は、クラウディアーナの輝く龍鱗にしがみつく。
『聖地』とは反対の山すそ、中腹のあたりをうごめく『落涙』の上空に到達した龍皇女は、つかず離れずの距離を保ったまま旋回する。
「うえぇぇ……ナメクジのオバケみたいで、気持ち悪い……ディアナさま、こんなのを足止めするにしても、なにかアイデアがあるのね?」
『ないですわ。だからこそ、メロに一緒に来てもらったのです』
「あわわ……そんなあ。メロには、荷が重いのね……」
泣き言をこぼしながら、魔法少女は龍の背より周囲の地形をしきりに観察する。やがて、なにかに気づいたように山すその一角を指で示す。
メロの指の先には、地形の崩落でできたものか、窪地のような谷間があった。
「ディアナさま! この気持ち悪いウネウネ、向こうのほうへ誘導できるのね?」
『やってみますわ──』
龍皇女は、山の中腹に向かって光の吐息<ブレス>を撃ちこむ。土煙とともに崖崩れが発生し、巨大スライムの進行路となっていた河川をふさぐ。
勢いよく遡上を続けていた『落涙』が急停止することはできず、あふれ出した水とともにメロの指し示した窪地へと流れこんでいった。
→【決壊】
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