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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (23/24)【縫合】

【目次】

【瘴気】

──ザンッ!

 アサイラの投擲した『龍剣』は、不可能物体を形作る石材製の骨組みの『遺跡』をくぐり抜け、その中央の地面に刀身深々と突き刺さる。

「あやとれ! 『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』ッ!!」

 漆黒の瘴気にかすみ、見通せぬ視界のなか、黒髪の青年は上空から右腕を伸ばす。目視による確認はできないが、己の意志が剣に通じた手応えはある。

 その証拠に、闇の荒海のなかを、蒼銀の輝きが無数に走っていく。刀身の変じたワイヤーが、ぱっくりと開いた大地の裂傷を、縫合糸のように結びあわせ、ふさごうとする。

 黒い亀裂の幅が、狭まっていく。このまま、地表を修復できるか──そう思ったとき、拡幅と収縮、ふたつの力が拮抗し、大地の動きが止まる。

「グヌ──ッ!?」

 次元世界<パラダイム>の割れ目から噴き出す漆黒の瘴気に身をあおられながら、アサイラはうめく。

 闇の荒海のなかから、巨大な魚影のようなものが、大地の割れ目に頭突きを繰り返している。影をまとった蜘蛛のような生物の脚の先端が、亀裂を押し開こうと力をこめている。

 黒髪の青年は、背筋が凍りつくような感触を覚える。ひび割れた地面の向こうにいる得体の知れない存在たちは、明確な意志を持って、こちら側へと這い出ようとしている。

「なんだ、これは……そもそも、次元世界<パラダイム>の裂け目の外には、虚無空間が広がっているんじゃないのか……ッ!?」

『なとなればすなわち、アサイラくん、その現象は──』

 黒髪の青年の疑問に答えようとしたドクター・ビッグバンの通信が、途絶する。まるで何者かが、聞かれては困る、という意図を持っているかのように。

「なにか……虚無空間とは違う、得体の知れない場所に、ねじ曲がってつながってしまっているのか……?」

『──ルガアッ!』

『──ドオウッ!』

 アサイラから少し離れた地点で咆哮が響き、クラウディアーナの白銀の光とヴラガーンの圧縮空気の吐息<ブレス>が、闇の荒海のなかへと撃ちこまれる。亀裂の向こう側の異形に命中し、その勢いをひるませる。

 しかしながら、ふたたび大地の裂傷は広がりはじめる。黒髪の青年が剣にこめた導子力が、早くも尽きはじめ、地面を結び直そうとする力が弱まっている。

「グヌウ。やはり……直接、剣を握らなければダメか……ッ!」

 黒髪の青年は、大波に揉まれる1枚の葉っぱのごとく翻弄されながら、思案する。だが宙を舞うまま、制動すらままならないアサイラは、それどころではない。

 周囲に満ちる漆黒の瘴気が、愛撫するような気色悪い感触で四肢に絡みつく。剣に手を触れるどころか、このまま、闇の荒海に引きずりこまれる数秒後の自分を幻視する。

「……相変わらず、蛮勇のごとき無茶をする男だ、アサイラ。翼なき者は、戦乙女<ヴァルキュリア>ほどにも、空を自由に飛ぶことなど、かなわないのだから……」

「アンナ……ッ!?」

 両脇から自分の身体を持ちあげられるような感触を覚えて、振り返った黒髪の青年は、背中に純白の翼を広げる、たなびく金髪の女性の顔を見る。

 アサイラを救出した戦乙女<ヴァルキュリア>──アンナリーヤは、漆黒の瘴気のなかから脱出を試みるべく、双翼を羽ばたかせ、高度をあげようとする。

「離れるのは、だめだ……アンナ! 俺を、『遺跡』へ……この次元世界<パラダイム>の中心へ、運んでいってくれッ!!」

「どこまでも無理を重ねる男だ、アサイラ。だが……つき合おう! どうせ、自分が言葉を重ねたところで、貴殿は己の意志を曲げるなどあり得ないだろうから……!!」

 黒髪の青年をぶら下げたまま、戦乙女の姫騎士は滑空姿勢をとり、闇の荒波をかすめながら、アサイラの指し示す方向を目指す。

 眼下では、一度は影の底へと潜った異形どもが、ふたたび浮上の機会をうかがっている。クラウディアーナとヴラガーン、2頭のドラゴンが断続的に吐息<ブレス>を撃ちこみ、牽制する。

『気に喰わんぞ、貴族かぶれめ……オレの背に乗るならば、相応の働きをせんか!?』

「ふむ。貴龍の言い分は、至極もっともなのだが……我輩、完全な魔力切れだ。これでは、葉っぱ1枚動かせないかね……」

『そなたもですわ、『淫魔』ッ! いつの間にやら、当然のように、わたくしの背中にしがみついて!!』

「グリン。私が、空を飛ぶの、そんなに得意じゃないの、龍皇女なら知っているはず。足手まといにならないための、私なりの配慮だわ」

 視界の通らない離れた地点から、別働隊の面々のわめき声が聞こえてくる。アサイラも含めた全員、グラー帝の打倒を最終目標に据えていた。故に、ロスタイムのために残された余力は、ごくわずかしかない。

 闇の瘴気の噴き出す隙間から、ちらりと石造りの『遺跡』の姿が、かいま見える。ヴァルキュリアの王女と、抱えられる黒髪の青年の身体が、大きく揺れる。

「悲憤慷慨だが……これ以上の接近は、困難だ! 瘴気が濃すぎるから……せめて、迂回路を……!!」

「わかった。アンナは、先に艦へ戻っていてくれないか……? ウラアッ!」

「……ふえッ!?」

 戦乙女の姫騎士が身につけた魔銀<ミスリル>の胸当てを、アサイラは両足で蹴って、跳躍する。身にすがりつく闇を勢いで振り切りながら、『遺跡』に向かって飛ぶ。

「見えた……かッ!」

 黒髪の青年は、古代グラトニア王国に造られた構築物の真上に出る。身をひねって、軌道を下降方向へと曲げると、不可能物体を形作る『遺跡』をくぐって、落下していく。

「ウラアアァァァ──……ッ!!」

 闇の荒海に浮かぶ、わずかな地表が迫ってくる。アサイラは、右腕を振りかぶる。握りしめた拳に、あらんかぎりの導子力をこめる。

『遺跡』の地表に深々と突き刺さった『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』の柄頭を、アサイラは全力で殴りつける。拳にこめた存在のエネルギーがたたきこまれ、波紋のような輪を描きながら、周囲を満たす闇の瘴気のなかへ広がっていく。

 一度は緩みかけた蒼銀のワイヤーに、ふたたび強い輝きがよみがえる。次元世界<パラダイム>を縫い止めようとする力が強まり、亀裂が急速に狭まっていく。

 世界法則そのもに穿たれた割れ目が修復されていくのを見た、影のなかの異形どもは悔しげに身じろぎすると、深淵のなかへと潜行していく。

 持てる力を搾り尽くしたアサイラは、己の身体の一部ともいえる『龍剣』を抱き抱えるような格好で、意識を失った。

───────────────

「……こういうのも、枕元に立つ、って言うのか?」

 夢か現かも判然としない状態で、アサイラはつぶやく。大の字に身を投げ出す黒髪の青年のかたわらには、白ひげの老師が立ち、見下ろしている。

「よくやった。これで御身も、基本は修めた、と言っていいじゃろうて」

 翁は、人なつっこく柔和な、それでいて、どこかいたずら気な微笑みを浮かべる。

「……ここまでやって、免許皆伝どころか、初級卒業がせいぜいか? とんだスパルタトレーナーも、いたもんだ」

 白ひげの老師に対して、黒髪の青年は弱々しく口角を吊り上げて応じる。仙人を思わせる翁は、かか、と声をあげて笑った。

【望郷】

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