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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (24/24)【望郷】

【目次】

【縫合】

「しっかりするのだわ、アサイラ! 気を強く持って……早く目を覚まして!!」

「うるさいですわ、『淫魔』ッ! 詠唱の邪魔ですから、治療魔術が使えないなら、黙っていなさい!!」

「──グヌッ」

 黒髪の青年は、小さくうめく。かしましい声が耳元に響き、眠りが妨げられる。まぶたを薄く開くと、白と黒、それぞれのドレスにおおわれた、ふたりぶんの豊満な乳房が、ぼやけた視界に映し出される。

「ああ、意識が戻ったみたいだわ! だいじょうぶ、アサイラ!?」

「まだ、だいじょうぶなわけ、ありません! 『淫魔』は、下がってらっしゃいッ!! コホン……我が伴侶は、身体を楽にして、動かないでくださいまし。『鎮痛』と『治癒』に続いて、『安寧』と『賦活』の魔法<マギア>をかけますわ」

 黒髪の青年は、龍皇女クラウディアーナにひざ枕をされる格好で、身を横たえている。かたわらから、ゴシックロリータドレスの女──リーリスが、アサイラの右手を握りしめて、顔をのぞきこんでくる。

「グリン。偉そうにも、ほどがあるのだわ。龍皇女ったら……ちゃっかり、ひざ枕のポジションまでとっちゃって。目ざといったら、ありゃしない……まさに、年の功ってヤツ?」

「我が伴侶。『淫魔』の戯れ言は、お気になされませんよう……次は、『再生』の魔法<マギア>ですわ」

 頬をふくらませて、にらみつけるリーリスを無視して、クラウディアーナは、アサイラに治療のために複雑な魔術を重ねて施していく。龍皇女が一言、二言の詠唱をするだけで、黒髪の青年の苦痛と疲労が軽減されていく。

「だいたい、なんでそんなに偉そうなのだわ。龍皇女……あのあと、アサイラを真っ先に見つけだしたのは、私のほうでしょ?」

「あの状況で、『遺跡』以外の場所にいるなど、考えられません。そもそも、我が伴侶と『淫魔』が精神の結びつきを作っているのならば、発見できて当然ですわ……ああ、念のため『清浄』の魔法<マギア>も」

「グリン。その通りだわ、龍皇女……だから、アサイラ。なにかして欲しいことがあったら、しゃべらなくてもだいじょうぶ。思い浮かべてくれれば、私が、すぐに用意するから」

 いやらしく両手の指を動かしながら、にやりとリーリスは笑う。クラウディアーナはあきれたように、ふう、とため息をつく。

 人間態の上位龍<エルダードラゴン>が、高度な治癒魔術を重ねがけしてくれたおかげで、持てる力を搾り尽くして衰弱死寸前だった黒髪の青年は、首を動かせる程度まで回復した。

 周囲には、古ぼけた石のかたまりが転がっている。少し離れた場所に、アサイラの『龍剣』が地に突き刺さっている。あの『遺跡』は、動乱のなかで崩壊したか。

「グヌ……ッ!」

 起きあがれるか試そうとした黒髪の青年は、身を裂かれるような激痛を覚えて、せきこみながら、けいれんする。ゴシックロリータドレスの女は、鼻同士がこすれあいそうなほど顔を近づける。

「ほら、まだ動かない! 絶対安静だわ、アサイラ!!」

「『淫魔』は下がって、と言っているでしょう? 『弛緩』の魔法<マギア>をかけますわ……」

 黒髪の青年は、自分の脚で立ちあがるのはあきらめ、もうしばらく龍皇女の施術に身を任せることにする。

 クラウディアーナの人差し指が白銀の魔力を輝きを放つと、アサイラ自身も気づいていなかった筋肉の緊張がほどけていく。

 さすがに一朝一夕で快癒とは、いかないか。黒髪の青年は、内心、嘆息する。それでも、グラー帝との死闘を思えば、五体満足なだけでも奇跡的だ。

「グヌ……いま、シルヴィアの声が聞こえたか……?」

「幻聴……ではないようだわ。ナオミやリンカも一緒みたい。たったいま、到着したところ」

 ようやく声を出せるようになったアサイラの質問に応じつつ、リーリスは別働隊の女たちに向かって手を振る。ジープのクラクションとエンジン音が、遠くから近づいてくる。

「ディアナどの……メロとミナズキは、どうした。一緒では、なかったか……?」

「フォルティアの宮殿で、待っていてもらおうと思っていたのですけど、どうしても一緒に来る、と言って聞かなくて……ふたりとも、道中でグラトニアの手の者の足止めを、自ら買って出ましたわ」

「……そう、か。ふたりらしい、な」

「ご安心なさいまし。メロとミナズキなら、きっと、だいじょうぶですわ。我が伴侶の治療が一段落つきましたら、わたくしが責任を持って、迎えに行きます」

 龍皇女が言うのならば、そうなのだろう。クラウディアーナの言葉を聞いて、アサイラはあらためて、グラトニアの空へ視線を向ける。

 旋回する戦乙女<ヴァルキュリア>──アンナリーヤに先導されるように、ゆっくりと次元巡航艦『シルバーブレイン』が高度を落とし、着地する。タラップが大地へ向かって伸びて、乗組員たちが降りてくる。

「なんとなればすなわち……ご苦労だったかナ、デズモンド! このワタシの特製エナジードリンクで、疲れを癒してくれたまえ!!」

「ふむ……我輩、ドクの発明品の数々には実際のところ助けられたし、感謝もしているのだが……その飲み物だけはどうしても好きになれない、と言わなかったかな」

「まあまあ。つれないことは言わず、試してみてくれないかナ。デズモンド! 日々、レシピはバージョンアップしているのだ!!」

 艦から先陣を切って飛び出してきたドクター・ビッグバンは、アサイラたちから離れた地点で待機していた『伯爵』に、蛍光色の液体で満たされたビーカーを押しつける。

 白衣の老科学者は、飲み物とは思えない液体をひとなめして、しかめ面を浮かべる伊達男の隣にたたずむ、山のような巨龍を興味深げに見あげる。全身に深く切り傷が刻まれ、とくに両翼の火傷は痛々しい。

『……なんぞ、老人。かみ砕かれたいのか?』

「なんとなればすなわち……フロルくんから、話は聞いている。ヴラガーン、と言ったかナ……キミも、我々の協力者だろう? 礼と言ってはなんだが……もしよければ、その傷の治療、このワタシが引き受けよう」

『フン……初対面の相手に身を任せるほど、オレはお人好しではないぞ』

 満身創痍のドラゴン──ヴラガーンは、荒く鼻息を鳴らす。アサイラをひざ枕するクラウディアーナが、そのやりとりに気がつき、首を巡らせる。

「うふふ……ならば、ヴラガーン。消去法でわたくしが、そなたの手当をすることになりますが? 無論、我が伴侶の施術が済んでから……ああ、メロとミナズキも探してきて、そのあとですわ」

『気に喰わん連中ばかりぞ……この程度の傷、自分でなめていれば、治る』

 暴虐龍の異名を持つドラゴンは大地を揺らしながら、毒気を抜かれたように、その場で丸くなる。

 ドクター・ビッグバンに続いて、ふたつの小さな人影が次元巡航艦のタラップから降りてくる。ギプスと包帯で全身の負傷をおおった少年──フロルが、キャプテンハットをかぶった少女──ララに、身を支えられている。

 グラトニアの大地に降り立った少年は、申し訳なさそうな視線をヴラガーンに向けたあと、草原に身を横たえるアサイラのもとへ近づいてくる。

「アサイラお兄ちゃん。こちら、フロルくんということね……協力者のひとりで……」

「……見下ろすような格好で失礼します、アサイラさん。僕のほうも、身をかがめることもできないような有り様で」

「お互い様か……気にするな」

「まず……アサイラさんにお礼を言わなくては、と思っていました。あなたには、2度も助けられました」

 フロルの言葉に、アサイラはけげんな表情を浮かべる。この少年とは、初対面のはずだ。いや、わずかながら見覚えのある顔だ。だとしても、すれ違った程度だと思うが。

「まず1度めは、僕の命をセフィロトのエージェントから。そして2度め……今回は、僕の故郷、グラトニアをグラー帝から……助けていたきました。ありがとうございます」

 深々と頭を下げようとして、傷の痛みにバランスを崩しそうになったフロルを、ララが慌てて支える。

 ばか丁寧な少年の礼の文言に、黒髪の青年は面食らい、まぶたを閉じて、深く呼吸をする。冷涼な微風が、頬と髪を撫でる。

「……そうか。故郷、か」

 アサイラは、目を開く。陽が傾きはじめ、深い蒼色となった空に、かすかに一番星が輝いたような気がする。黒髪の青年は口元に微笑みを浮かべ、なにかをつかもうとするように、天へ向かって右手を伸ばした。

【The END】

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