【第8章】獣・女鍛冶・鉄火 (2/12)【昼餉】
【獣人】←
「さもありなん。これだけの量、さすがにアタシ一人じゃあ食べきれないのよな」
眼下に並べられた山盛りの食材をまえに、リンカは腰に手を当てる。
「というわけで、二人とも! ここで、一緒に食べていくかい?」
「わぁい、やったー!」
マノとリシェは、歳相応の子供らしい歓声をあげる。
「当然、料理は手伝ってもらうよ!」
「もちろんもな、女神さま!」
「もちろんだよ、リンカさま!」
言い終わるが否や、リシェはマノを連れ立って、洞窟近くの水汲み場に山菜を洗いに向かう。
リンカは、洞窟のなかに向かい、土器の鍋と種火をもって戻ってくる。穴居の横に積み上げていた薪をなれた手つきで組みあげて、たき火をおこす。
「リシェが持ってきてくれた食材をいっしょに食べるなら、焼き鳥よりも寄せ鍋のほうがいいのよな」
着流しの女は、土器のなかを水で満たすと、たき火にかける。包丁を用意して、湯が沸くまでのあいだ、食材さばきにとりかかる。
マノは、猛禽の羽をむしり、山刀を抜いて、食べやすい大きさに肉を切り分ける。リシェは、懐から小刀を取り出し、堅果の皮をむいていく。
リンカは、平らな石をまな板代わりにして、山菜の束に包丁を叩きつける。三人が手にする刃は、高い製錬技術によって産まれる鋭利な光を放っている。
「……あいたっ!?」
黙々と食材をさばいているなか、突然、猿耳の少年が声をあげる。リンカとリシェが目を向けると、手元を誤ったのか、マノの指先に血がにじんでいた。
「マノ! 肉のほうはもういいのよな。アンタは水場で指を洗って、たき火の塩梅を見ていておくれ」
「これくらい、だいじょうぶもな! 女神さま!」
「だめだよ、マノ。リンカさまの言うことは、ちゃんと聞くの」
「ぎゃふん……」
血のつながった姉のごとくリシェから諭された猿耳の少年は、観念したようにとぼとぼと水汲み場のほうへ歩いていく。
リンカとリシェは互いに顔をあわせて、少し笑うと、ふたたび食材へと向きなおる。やがて、鳥肉は切りわけられ、山菜は切りそろい、堅果の皮は取り除かれる。
二人の女は、リスの獣人のかごに食材を移すと、猿耳の少年が待つたき火のほうへと向かう。
「おやおや。なにをしているのよな、マノ?」
「女神さま!? ちゃんと、火の番をしていたもな!!」
慌てふためいてみせる獣人の子は、ぱちぱちと爆ぜ音をたてる薪たちから、ずいぶんと離れた場所に座りこんでいた。
幼いながらも勇敢な狩猟者であるマノだが、それでも、炎は怖いらしい。
「まあ、火に慎重になるのはいいことなのよな」
リンカは、笑みを浮かべながら、食材を入れたかごを抱えて、たき火のそばに腰をおろす。リシェもまた、リンカの背で燃える炎から微妙に距離をとっている。
「……獣の本能、というやつなのかねえ?」
着流しの女は独りごちながら、火にかけた土器のなかに視線を落とす。ぼこぼこと泡を立てて、湯が沸騰している。
「よしよし、いい塩梅なのよな」
リンカは、堅果、山菜、鳥肉の順番で、鍋のなかに食材を入れていく。表面に浮かぶ灰汁をすくって捨てるうちに、沸き立つ湯気には食欲をそそる匂いが混ざりこむ。
「ごくり……」
マノとリシェが、生唾を飲みこみながら、たき火にかけられた土器のそばまで近づいてくる。旺盛な食欲にはあらがえないのも、また獣の本能か。
「のんべんだらり。もう少し煮込んだら出来上がりだから、二人とも待つのよな。アタシは、食器をとってくるよ。そうだ、せっかくお客さんも来ているんだし……」
たき火に背を向け、洞窟に向かうリンカの思わせぶりな言葉に、二人の獣人は期待に目を輝かせる。
やがて、着流しの女は右手に三人分の木椀を、左手に壷を抱えて戻ってくる。二人の視線が注がれる容器のふたを開けると、なかには粒が粗くて白い粉が入っている。
「むおーっ! お塩だよ!」
「さすが、女神さま! 太っ腹もな!!」
「あははは。アタシの腹の肉は、べつに出っ張っちゃあいないのよな」
リンカの冗談も聞こえない様子で、マノとリシェは大喜びする。技術レベルも未熟なこの次元世界<パラダイム>においては、塩も貴重品だ。
期待を隠しきれない笑顔で土器のなかを見つめる二人の獣人を横目に、リンカは味見しながら、少しずつ塩を加えていく。
やがて、鳥の出汁に、山菜の香りが混じり合った素朴な汁の味わいが、着流しの女の舌を満足させる。
「……よぉし、できあがりなのよな! 二人とも、たぁんとお食べ!!」
「わーい! いただきまーす!!」
リンカは、木椀に鳥塩鍋をよそい、リシェとマノに手渡す。二人の獣人は、ふーふーっ、と熱い汁に息をふきかける。着流しの女は、そんな友に木製の匙を差し出す。
「はふっ、はふっ! 熱いけど、美味いもな!」
「本当に、おいしい……リンカさまは、料理も名人だよ」
「さもありなん。食材の質が良かったおかげなのよな」
三人は、たき火を囲み、和気藹々と鍋の中身をつつく。
「それに、リンカさま。そんな細い棒で、よくものを食べられるね?」
匙を使う二人の獣人とは異なり、箸で木椀の中身を口にはこぶリンカを、リスの獣人は不思議そうに見つめる。
「ああ……アタシの故郷では、これが普通なのよな。使い慣れているんだよ」
「ふぅん。こっちは、とても使いこなせる気がしないなあ」
「女神さまも、これを使えばいいのに! こっちのほうが絶対ラクもな!」
感心するリシェに対して、猿耳の少年は己が手にした匙を振り回す。
「マノ、汁が飛び散っている、食器で遊んじゃだめだよ! あと、肉だけじゃなくて、他の食材もちゃんと食べるの!」
「だって、肉が一番美味いもな!」
「食事は、いろんな食材を、釣り合いがとれるように。これも、リンカさまの教えなんだよ?」
「ぎゃふん……女神さまが言ってたんじゃあ、しかたないもな」
獣人の子は、あきらめて、火が通ってしおれた山菜や、煮詰まって柔らかくなった木の実に匙を伸ばす。
リンカは、よく出汁の利いた汁をすすりながら、本当の姉弟のような二人の様子を目を細めて見つめていた。
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「のんべんだらり。結局、きれいさっぱり食べちまったのよな」
「満腹もな、女神さま!」
「リンカさま、ごちそうさまだよ」
三人の前には、白い灰となり火の消えかかった薪と中身をあらかた食べ尽くしてほとんど空になった土器がある。
リンカは手元の木椀を地面に起きつつ、わずかな汁が残っただけの鍋を見やる。
「んー、食事に文句があるわけじゃないんだけど……たまには味噌の味付けも恋しくなるのよな」
「ミソ? それは、なにもな?」
「なんだろう。リンカさまでも、作れないもの?」
「さもありなん。作り方を聞いたことはあるけど、実際にやったことはないのよな。今度、試してみるか、どうするか……」
リンカは、満たされた腹をなでながら、上天をあおぐ。抜けるように青い空を、綿毛のような雲がのんびりと流れていった。
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「悪いのよな、リシェ。食べ物をもらったばかりか、お使いまで任せてしまって」
「いいんだよ、リンカさま。いつも、お世話になっているんだから……でも、マノは別にいっしょに来なくてもいいんじゃない?」
「オイラもついて行くもな!」
猿の獣人の子は、リスの耳の娘に対して、拳を振りあげてみせる。
「リシェが獣に襲われるといけないから、守ってやるもな。それに、大切な女神さまの届け物を、無くさないように見張るもな!」
「むおー! 忘れ物は、マノのほうが多いくせに」
「女神さまの刀だけは、無くしたことがないもな!」
「のんべんだらり。他はいろいろ失せものにするのよな。いつぞやなんか、腰布をどっかにやってしまって……」
「ぎゃふん! 女神さま、その話はやめるもな!」
リシェがリンカから引き受けたのは、鉄製の腕輪を草原に住む野牛の獣人の部族に届ける仕事だ。
なんとはなしに話題にあげたら、リシェはもちろん、マノまで行くと言いだした。
「それじゃあ、リシェは届け物、マノは用心棒だ。二人とも、よろしく頼んだのよな」
「はーい!」
リンカがひざを曲げて、マノと視線の高さを合わせると、猿の獣人の子は満面の笑みを浮かべて返事をする。
二人の獣人が仲良く連れ立って丘陵を降りていく後ろ姿を、リンカはしばらくのあいだ見守った。
リンカは、この次元世界<パラダイム>に住む獣人のために、自前の鍛冶技術で様々な鉄製品を作ってやっている。
山刀や鉈、小刀のような刃物はもちろん、斧や鍬、それに装飾品のたぐいも頼まれれば作っている。
この次元世界<パラダイム>には、リンカの故郷にあったような貨幣経済は存在しない。しかし、獣人たちは女鍛冶の仕事に満足し、様々なお礼をくれる。
マノやリシェのような食料はもちろんのこと、住処として使っている洞窟も、湧水を引いて設えた水汲み場も、獣人たちが村総出で作ってくれたものだ。
「食欲旺盛なのは、よいことなのよな」
リンカは、きれいさっぱり平らげられた土器の中身を見下ろす。木製の食器は手製だが、素焼きの鍋のほうは『贈り物』だ。
「のんべんだらり。どっこいしょ」
リンカは、木椀と匙、箸を土器のなかに入れて、水汲み場へと運ぶ。食事の後かたづけをすますと、今度は使ったぶんの薪割りをする。
自分で鍛えた斧を振りあげ、たたき降ろしながら、リンカは住処の洞窟横の断崖に小刀で刻みこんだ文字列を横目に見る。
獣人たちからリンカへの、鉄製品の注文だ。この次元世界<パラダイム>には文字や筆記用具のたぐいが無いため、こうして依頼を記録するようになった。
ここ最近、注文がたまり気味だ。もとより、おっとりとした気質の獣人たちが仕事を急かすことは無いが、女鍛冶にも矜持はある。
「鍛冶仕事用にも、少し多めに薪を割っておくのよな」
鋭い斧の刃が、丸太を叩き割る小気味よい音が、岩山のふもとに響きわたる。
故郷に比べれば、無いものは多い。それでも、着流しの女鍛冶は今の暮らしに満足していた。獣人たちは、リンカによくしてくれる。
獣人たちにとって貴重品である塩や蜂蜜、酒に反物を贈ってくれるのは、もちろん、なにより彼らはリンカの鉄製品をとても喜んでくれる。
「……ふう」
リンカは薪割りを中断し、斧を地面に置いて、手の甲で額の汗をぬぐう。腹ごなしになる、心地よい疲労だった。
→【不穏】
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