【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (15/16)【聖別】
【手玉】←
「ほら、次の材木!」
「ヴルヒッ!」
足場のうえから槌を持ったエルフが、眼下に向かって声をかける。待ち受けていたオークが、肩にかついでいた建材を軽々と差し出す。
蓮の花開く『聖地』の沼沢に浮かぶような形で建設されている祭殿は、すでに完成間近の状態だった。
森のなかからはオークたちが、切り出した材木を背負って運んでくる。エルフたちは、様々な工具を手にして木材を精緻に加工していく。
建築作業に従事する頭数は開始時の数倍に増え、それに比例して作業速度も加速している。
先日の『落涙』の被害にあった避難民を、衣食住と引き替えに労働力として受け入れているのだ。
「薬草を持ってきて! 化膿止めと熱冷まし!!」
「傷口を洗うのに必要だ……じゃんじゃん湯を沸かせ! どんどん薪を割れ!!」
「ヴヒ! ヴヒヒイ!!」
祭殿の建築現場から離れた場所に、もうひとつのざわめきがある。大きめの天幕が張られ、水を沸かす鍋がたき火にかけられ、薬草を詰めこんだかごが並んでいる。
即席の救護所が『聖地』の一画に設けられ、医術や治癒魔術の心得のあるエルフたちが同族はもちろん、オークのけが人も分け隔てなく治療にあたっていた。
にぎやかな『聖地』の上空を、大きな影が横切っていく。手隙のエルフとオークが顔をあげる。
六枚の龍翼から燐光をまき散らす白銀の上位龍<エルダードラゴン>が、ぐるりと旋回すると、ゆっくりと下降して着地する。
その大きな背には逃げ遅れたエルフやオークのけが人たちが乗せられ、前腕の龍爪には荒縄を巻かれたいくつもの大樽がぶらさげられている。
龍態のクラウディアーナは、無事だった集落に要請して提供してもらった支援物資の数々──食料や酒、薬草で満たされた大樽を地面に置く。
手すきの者たちが集まり、けが人たちを龍皇女の背から降ろして、救護所に連れて行く。クラウディアーナは、その姿を見送ったあと、人間態へと変じる。
「メロ! 先日、大立ちまわりしたばかりだというのに、精が出ますわ」
「えへへ……ディアナさまこそ!」
人間態の龍皇女は、自身の身長ほどはある大樽を左右の腕にひとつずつ、計ふたつを軽々と持ちあげて、オーバーオールの金髪少女のもとへと運んでいく。
メロと呼ばれた少女は右手に包丁、左手におたまを持ち、宿泊させてもらっている村からはもちろん、近隣の集落からも借りた無数の大鍋を相手に格闘している。
いずれの大鍋も即席のかまどから燃え立つ炎にかけられて、内側では肉やきのこ、山菜など、様々な食材がぐつぐつと煮込まれていた。
「シスター・マイア直伝の特製スープ……とは、材料が違うからぜんぜんいかないけど、悪くない出来だと思うのね」
メロは、木製の碗に具だくさんのスープをすくうと、クラウディアーナへ差し出す。龍皇女は少女の手料理を一口すすり、微笑みを浮かべる。
旨みは濃いがクセも強い野獣の肉を、山菜の香味で上手に御し、きのこの出汁もよく効いた一杯だった。
「ええ、美味ですわ……正直なところを言いますと、上空にも良い香りが漂っていました」
「やったあ、ディアナさまのお墨つきなのね! 皆にも安心して食べてもらえる!!」
メロは、快哉をあげる。近場のオークたちはもちろん、エルフの男のなかにも、ちらちらとかまどのほうに視線を向けてくる者がいる。
「元気な人は、少し待って! まずは、けが人や病気の人から……次は、子供とお年寄り! 手の空いている人には、配膳を手伝って欲しいのね!!」
重労働で腹を空かして鍋の中身を渇望する大人たちを、メロは大声をあげて牽制しつつ、スープを盛りつけはじめる。
少女の呼びかけに応じて、救護所の世話人たちが炊事場に集まってくる。メロはエルフの女衆と一緒に流れ作業でスープをすくっていく。龍皇女も、そのなかに加わる。
「カルタさん、どこに行っちゃったのかなあ? メロのスープ、食べて欲しかったのに……」
配膳の第一陣をさばき、わらわらと寄ってくる子供たちを一列に並べながら、オーバーオールの金髪少女は残念そうにぼやく。
「どこか安全な場所で休んでいるのでしょう。あれだけの戦いの後ですわ。ひどく疲弊しても無理はありません」
「あわわ……食器が足りなくなってきたのね!?」
「蓮の葉を丸めて、椀の代わりに使ってもらうのは? やけどせぬよう、わたくしが魔法<マギア>をかけますわ」
「ディアナさま、グッドアイデアなのね! はいはい、スープを受け取った子供たちは離れたところで食べて!! 次は、大人の番……あぁ!?」
子供たちに食事を配り終えたメロは、祭殿建築に従事する者たちへ声をかけようとしたところで、目を丸くする。驚きのあまり、手にしたおたまを取り落としそうになる。
がさがさっ、と音を立てて『聖地』の入り口の茂みが揺れる。葉と小枝にまみれて、ひとつの人影が姿を現す。
「──ミナズキさん!」
「だめですわ、メロ!」
過酷な儀式から戻ってきた旅の仲間のもとへ駆けつけようとしたメロを、クラウディアーナが制する。聖別はまだ、完全に終わったわけではない。
「森羅万象、天地万物、諸事万端……」
憔悴しきった様子のミナズキは、小さくもはっきりとした声音で呪言を唱えながら、歩を進めていく。
エルフとオークが息を呑み、無言で見守るなか、黒髪の巫女は九割型完成した祭殿の正面にたどりつく。ミナズキは、両手をあわせつつ、深々と頭を下げる。
「もう良いですわ、メロ。行っておあげなさい」
「うん、ディアナさま……ッ!」
ふらり、と倒れこみそうになったミナズキを、オーバーオールの金髪少女が抱きささえる。メロの心配そうな眼差しに、黒髪のエルフ巫女は弱々しく微笑む。
「ミナズキさん、これで儀式は完成なのね? これを……食べて!」
「ありがとう、メロ……」
十日間の儀式のため、水のみを口にして一切の食事を絶ってきた黒髪のエルフ巫女は、差し出された椀のなかから滋味深い汁を口にふくむ。心なしか、その頬に生気が戻る。
「……うわあ、なんだ!?」
祭殿のすぐそばにいたエルフの族長が、驚嘆の声をあげる。ほかのエルフやオークたちも、『聖地』の沼沢地へ目が釘付けとなる。
蓮の花が咲き乱れる池が、まるでオーロラのような柔らかい輝きを放ちはじめる。その神秘的な光景は、粗野な次元世界<パラダイム>の住人の心すら魅了する。
「成しましたか、ミナズキ。なんと柔らかい結界……しなやかで、それでいて強い。まるで……柳の枝のようですわ」
龍皇女は静かな声音でつぶやきながら、目を細める。この世界──アーケディアを護る聖別の結界が、確かに完成した瞬間だった。
→【惜別】
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