6年越しの映画:「AnyDayNow」 (ネタバレ含みます)
見続けるのがとても辛い。
それが私の最初の気持ちだった。
映画「AnyDayNow」(邦題:「チョコレートドーナツ」)
1979年のアメリカでショーガールとして踊るルディー
そこへポールがやってくる場面から物語が始まる
ルディーから投げかけられる視線に目を逸らせないポール
舞台後の控室にルディーを訪ねる時には自分に素直な恋に落ちる覚悟をしていた
愛情深いルディーは、戸惑いながらも好意を寄せてくるポールを軽快なジョークと優しい眼差しで包み
ポールと出会った翌日に計らずして救済の手を差し伸べてしまったマルコに海より深い愛を惜しみなく注ぎ続ける
最初はほんの少しのウソと弁護士ポールの尽力の結果、州の法律の下で正式に保護者のいない孤児のマルコを保護する形でルディーとポールが引き取ることができた
しかしポールの上司にルディーとの関係性が知られ、ついに三人の生活が壊される
一度は家庭裁判所でマルコを保護する事が認められたにもかかわらず
裁判所は、ポールの上司からの訴えにより、薬物使用で刑務所に入っていたマルコの母親に薬物からの更生とマルコの保護責任を約束させ、再び親子 一緒に生活する事を認める
マルコの保護を巡っては裁判所で 公共の場で晒し者のように様々な質問に答えてきたルディーとポール
必死にマルコとの暮らしを守る マルコの人生そのものを守るべく闘ってきた彼らに血縁者というだけで下された判決はあまりに厳しすぎた
判決後再び薬物に手を染め、男と家を空けた母親
マルコは家に留まることなく 夜の街に出ていく 知能に障害のあるマルコは来た道を覚えられず数日ただひたすらに歩き回り 歩き疲れてたどりついた橋の下で息を引き取る
後日、ポールから裁判の関係者へ手紙でマルコの訃報が伝えられる
――――――――――――――――――――――――――――――――――
70年代、いや、今も劇的な変化をしたとは言い切れない世間の偏見の中で
愛する人の為にたくさん傷ついて
いとおしい存在を自分たちの手で守ろうとして公共の場所で闘い続けた
ルディーとポール
法の前では誰もが平等だけど
血縁の繋がりを重要視し、法で繋がれた家族の中に他人が介入する事を
安易に認めない法律は
時に血の涙を流すほどの痛みを与える
感情論では法律は作られない
政治家を目指す方が口にしていた言葉を聞いて、複雑な気持ちになったけど
その通りだと思った
ただ、色々な事情で保護される子たちに対して
迎え入れますと手を挙げてくれた人達には偏りのない判断をしてほしい
切なくて 複雑で
愛に溢れていた日々が 二度と戻らない時間を想い
胸が裂かれるような苦しさを倍増させる
ルディーの涙に誘われて何度も泣きはらし
ポールの激しい胸の内を覆う冷静な行動に
余計に泣かさせながらも
一筋縄で感情に訴えようともびくともしない法律の壁は
誰を守り 何を排除するためにあるのだろうと考えずにはいられなかった
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?