消費されないアイドルとは

最近

大倉さんの言う『消費されないアイドル』というものが頭からから離れない。

私のように関ジャニがいないと生きられない人がいる一方で、別に関ジャニに頼らずとも生きていける人間もいる。後者はリスク分散の上手な人であり、アイドルをコンテンツとして楽しめる人たちである、と私は思う。

大きな話になるが、娯楽のコンテンツはどんどん増えていく。最近らしいものも流行れば、かつてのブームにも火が付く。今は流行を予測していくのがとても難しい。また、給料や税金、物価高などによって娯楽に回すお金が捻出しにくい人もいるはず。そして、少子高齢化という面から考えて先細りの時代であるために古参に応援し続けてもらうこと、新規獲得ということ、どちらの面でも客の取り合いになる。

私は

骨盤矯正に通っている。ホットカーペットみたいなものを背中において体を温めて、指圧で筋肉をほぐしてから背骨や骨盤、太ももの骨の位置を正しい位置に整えていくという流れで1時間~1時間半ほど。

接骨院では音楽が流れている。先日行った時には2022年に大流行りしていた曲が沢山流れた。

tik tok  で何度スワイプしてもこれしか流れてこない、、というくらい流行った曲。

一か月前には流行りの曲として受け入れていた曲も、その時私は(今別の曲流行ってるのに、、時代遅れ、、)くらいのことを思いながら施術を受けた。

その時私はその曲を消費していると実感した。


一方で、Your WURLITZERは私が高校生の時、塾の帰りに聞いていた曲。

「だるい もうヤダ 帰りたい 眠い 熱い 寒い 全部終わらせたい。つくろわなくていい、ありのままで、すり減ったココロ、見せてごらん。まだいけるよ、やれるよ、君は弱くない。」

お前が受かる大学なんかないと高校の担任に相手にされず、塾の先生からも希望の大学から偏差値を下げないと浪人すると脅され、私は数学と物理と化学が苦手で、国語と英語と社会の得意だった。そのため、文理選択してから2年経っている高3の受験直前期に『なんで理系に進んだの?』と先生たちからたくさん聞かれ、受験生としての心は本当にズタボロだった。

私にやさしくしてくれるのは関ジャニだけ。Your WURLITZERは本当に優しく沁みた。

帰りのバスを待ちながらずっとこればっかり聞いては、励まされて泣きながら帰っていた。

関ジャニが心の支えだった。

Your WURLITZERはjukeboxの曲だから2013年とかに発売された曲。私が高3の時は2016年。

今でもつらい時には頼りにしている曲。

思い出のある曲で、いつ聞いても大事な曲。

決してこれは消費しているとは言えないと思う。

昨日

幌山あきさんのマーブルチョコレートという漫画を読んだ。

行き詰った女性の小説家がパパ活をしている女性のパパになる話。

パパ活女子の事をピエロにして面白い話を書こうとしたけれど’面白い話’にはならなかった。

世間は人の下世話なゴシップを好む。きれいで頭を使う文は面白いと思われない。彼女の小説は’面白くなかった’ のだ。

パパ活女子のほうから『私の事を面白く書けばいいよ、あばずれでもビッチでもすきに書けばいい。』といわれ小説家は『貴方は私の大切な人だから大事にしたいんだ!』と答える。

これだ

と思った。

母親からジャニーズの英才教育を受けたためジャニーズが好きであることは小学校の頃から息をするようなことであった私。ジャニーズだから関ジャニも好きだった。でも私にとって当時は特別な人たちではなかった。ジャニーズで好きなグループは?と聞かれ、意志をもって関ジャニが好きだと答えるようになったのは中学生の時。

今でこそ売れてるけど、間宮祥太朗とか山田裕貴とか志尊淳とか、戦国鍋テレビ、テレビ局中法度とかに出てるころの知名度で言えば知る人はごく一部。私は彼らを推してたけど、芸能人で好きな人は?と聞かれたときに中学のクラスメートへの説明がめんどくさいので素直に答えず、とりあえず関ジャニと答えていた。

答えたときに中身のない話をするわけにもいかないのでそれなりに関ジャニの事は知っているようにしていた。

だから普段聞く曲は関ジャニ。その中で受験期にも関ジャニを聞いて救われ、私にとって大事なものになって、今に至る。

つまり、ただ好きなだけでは消費をする。大事なものになれば消費はしない。ということだ。

関ジャニは

誰にとって大事なものになろうとしているのだろう。

エイター?事務所?世間?

難しい。

私の心に残っているツイートがある。
『関ジャニがズッコケ男道、無責任ヒーローしか歌わない!と文句をいったら旦那が北島三郎の祭りだと思えばいいんだよ!といった』というようなツイート。

北島三郎さんといえば、紅白の最後にみんなで歌って年こして、お年を召して数年前に紅白から引退されたときには悲しいさみしい思いをした人はたくさんいたように思う。今でもなんか締まらないと感じる。

これは世間に大事にされているパターン。

また、ドリフターズもそう。オマージュで若い芸人さんが同じようにネタをやる番組や、当時の映像を流す番組、たくさんある。

これもまた、世間に大事にされている。

今、

平成を挟んで昭和と令和の比較が番組の形として面白いと思われているのか、常識の違いや生活の違いなどを取り上げる番組がよくある。

昭和を懐かしむ番組も増えたように感じる。

そういう時に、花の何年組、何とかトリオ、など、普遍的なアイドルや歌手の方々がいる。

彼ら以外にも歌手やアイドルはいたと思うがその時代を振り返る時には彼らしかいなかったかのように、どの番組も彼らを取り上げる。

消費とは

使い、なくすこと。消耗。

消費の対義語は、生産。

消費されないアイドルとは、生産し続けるアイドルということなのだろうか。

私は違うと思う。

生産し続けても生産したものが消費者に大事にされなければ、使い切られてなくされる。生産できなくなれば、枯渇して捨てられる。

先に述べた昭和のアイドルたちは私のように当時生きていなかった人間からしたら1曲、、2曲、、くらいしか知らない人もいる。でも存在は知ってるしその時代に消費されず、いまも名を遺す人たちだと思う。

生産し続けなくても残る人はいる。

現代は

SNSなどの発達によって文化の消費が早い。取り込むのも早いけど忘れるのもはやい。

過去のやり方では通用しない時代かもしれない。

先日30分の動画を友人に送りたくて送信方法を検索していた。結果、グーグルフォトで共有するか、リンクを作成することが手っ取り早い方法のようだった。
その時、各種SNSの特徴をまとめたサイトに行きついた。どのサイトもどんどん動画の時間が短くなっているようだった。15秒くらいが視聴者の興味を引くのにちょうどいい。そう書いてあるものもあった。

要は、現代人が興味のないものに割ける時間が15秒。その15秒間に、興味を引いて他の投稿も見たいと思わせ、これからまだ見ぬ投稿を楽しみにしたいと期待させないといけないということ。

圧倒的ビジュアル、わかりやすい面白さ、誰でも理解できそうなトピック、これらが必要。

それでいてまねしやすいと流行る。でもまねされすぎると飽きる。

この場合は生産し続けないといけない。

まねしにくいけど、羨望、尊敬の気持ちを持たせ、自分たちに価値を持たせる。

この場合は生産し続ける必要もあるけど、存在することで価値があるから前者より生産頻度は少なくても多少問題ないかもしれない。

大学生の時に

就活の話を聞く授業があった。

一応、私の専攻が資格の必要な職業であるため、毎年何人同業者が増えるかということは資格試験の合格者の数を数えればわかる。

その中で自分を売り込むためにどうしたらいいか。その話を聞く授業だった。単位を卒業必修だったから受講したけど興味がなかったので詳しくは覚えていないけど、百分の一のスキルと百分の一のスキルを持てば一万分の一の人間になれる。

つまり、関ジャニで言えばジャニーズのアイドル(百分の一)×バンドができるアイドル(百分の一)=一万分の一

みたいなこと。貴重×貴重=超貴重、的な。

長年

アイドルをしているアイドルとしての嗅覚のさえた5人が模索しているというのに私が消費されないアイドルの答えが出せるわけない。

長々と書いたけれどぐるぐるした話になった。ぐるぐるもしていないかもしれない。脱線に脱線を繰り返してジャングルの果てにたどり着いた文章かもしれない。

私は安田君がシビアに数字にこだわっていることは今の時点では正解なのではないかと思った。

数字は左右されない。確固たる実績になる。

そして、何でもやる、という関ジャニのスタンスも正解だと思った。

何かに特化することは、ある意味わかりやすくてトピックとして取り上げやすく、けん玉といえば三山ひろし、みたいな。

それも大事。

でも、栄養学で、アミノ酸価という考え方がある。簡単に言えば、昔の板が何枚も並べてつないである風呂桶を思い浮かべた時、どれか一枚がえげつなく長い板であっても、どれか一枚が超短い板であればその風呂桶はその短い板のところまでしかお湯をためることができない、という考え方。

なんでもやるからなんでも出来る。アミノ酸スコアのとても高いグループだと思う。

ジャニーズのアイドル×お笑いに強い×楽器できる×ダンス×歌×、、、

関ジャニ∞は既に唯一だけど、持ってその唯一具合が世に広まって欲しい。


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