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連載小説|パラダイス〔Part7〕

*Part1~13でひとつの物語になります*
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 国道47号を外れずに、そのまま走っていくと、やがて右手に大きな川が見えてきた。一級河川 最上川、と書かれた青い表示板が、僕たちにその名前を教えてくれる。
「これが、最上川かあ」
 黙っていたあずさが、感心するように呟いた。
 本合海大橋、と表示された橋を渡った後、最上川はいったん、姿を隠した。けれど、しばらく走っていくと、再び右側に現れる。やがて、戸沢村という表示を過ぎたころには、春の陽光を受けて流れる、穏やかな川面がよく見えるようになった。
 東北のことをよくわからない僕も、最上川の名前は知っている。舟下りが有名な観光地だ。旅番組か何かで、源から河口まで、すべて山形県内にあると説明していた。
 その川は時折、木々に隠れたり、道路から離れたりしながらも、僕たちと同じ方向を目指して流れていく。そして、やがて高架橋に差し掛かったのを合図に、ぴったりと国道に寄り添った。
 このあたりを、最上渓というらしい。
「おもしろいね、川のこっち側が道路で、向こう側がすぐ山なの」
 あずさが感心する通り、最上川の対岸には、緑濃い山がどん、と構えている。山裾を川が流れる風景なんて、初めてだ。
 白地に青で「白糸の滝ドライブイン」と書かれた看板を見つけて、右にウインカーを出し、駐車場に入った。車を降り、川のそばまで近づいてみる。
 すぐ目の前に流れる、雄大な川の流れは、対岸の山を埋める木々の色を映して、緑がかって見える。それほど高くない山の上に視線をあげると、そこにはすっきりと澄んだ、純粋な青空。風景の左手には、木々の間を落ちる小さな滝と、それを守るように建てられた赤い鳥居がある。
 思わずひとつ、背伸びをした。
 最上川が、川下りの名所になるのが、景色を目の当たりにすると、よくわかる。緑濃い山を見上げながら、川面を船で進む気分は、間違いなく爽快だろう。
「五月雨を集めて早し最上川、だって」
 あずさが指さすほうを見ると、俳句が書かれた、横長の立て看板があった。さみだれをあつめてはやしもがみがわ、松尾芭蕉が昔、ここで詠んだのか。そう思うと、同じ場所で、妹と並んで立っている自分自身が、とても不思議だった。

 最上渓を過ぎると、今日の宿まではもう、1時間もかからない。おそらく、暗くなる前に到着できるだろう。
 予約したのは、普通のビジネスホテルだけれど、大浴場がある。運転疲れの身には、とてもありがたいことだ。
 宿泊プランには、今日の夕飯はついていない。あずさは、あまりお腹がすかないと言い、僕も店でしっかりした食事をとるより、簡単に済ませて休みたかったので、通りすがりのコンビニで弁当を買って、宿を目指すことにした。
  国道47号から345号に入り、北方向を目指す。再び現れた最上川にかかる、赤い橋を渡りながら、左右に広がる伸びやかな風景を記憶に納めた。
 あまり信号のない、走りやすい国道だ。両側に広がる土色は、まだ苗を植えていない田んぼだろう。
「お兄ちゃん、見て」
 左側にまた、小さな川が出てきたな。そう思っていると、あずさが僕に声をかけてきた。その視線に沿って、僕も右側に目を遣る。
 ……そして。
 とっさに、左にウインカーを出し、道端に車を止めた。
「すごいな」
 思わず声を漏らし、窓を開ける。
 視界のいちばん向こうに、真っ白な雪をまとった、驚くほど大きな山が広がっていたのだ。
 夕刻のせいか、昼間より色が薄くなった青空に、山の雪が淡く輝いている。左右にどこまでも山裾を伸ばし、世界を見下ろすようにそびえ立つその姿は、翼を広げて羽ばたこうとする白鶴のように、美しい。
「ちょうかいさん、だね」
 あずさが、そっと言葉を添えた。
「ちょうかいさん?」
「鳥と海の山、って書いて、鳥海山。隆さんが、秋田と山形にまたがる、富士山よりずっと美しい山だって、話してたことがあるの。出羽富士っていう別名もあるみたい」
「確かに、きれいっていうより、美しい、だな」
 白鶴は凛として、神々しくさえ見える。僕は、生まれて初めて、山の姿に見惚れていた。

 カーナビの指示に従って、ビジネスホテルにチェックインした途端、長旅の疲れが一気に押し寄せてきた。
 指定されたツインルームは、ありきたりな内装だったけれど、ありがたいことに、小さな丸テーブルと二客の椅子がある。コンビニ弁当を食べるのには、充分なスペースだ。
「ごめんね、こんなに遠くまでつきあわせちゃって」
 また、あずさの謝り虫がうごめいたらしい。
「それを言うなら、ありがとうだろ。おまえにやたらと謝られると、なんか居心地が悪いな」
「あ、ひどい。でも、考えてみれば、今日はあたし、何回もお兄ちゃんに謝ったね」
「普段は、謝れって言ったって謝らないくせにな。もう言うなよ」
「……うん」
 座ってしまうともう、動くのが嫌になりそうなので、最初に風呂を済ませることにした。あずさもそうすると言い、どちらが先に上がっても部屋に戻れるよう、カギをフロントに預けてから、それぞれの大浴場へ向かった。
 手足を伸ばして、身体をお湯に浸すのは、どんな栄養剤も適わない、最高の疲労回復法だ。湯船の中で思い切りストレッチをして、長時間の運転で固まった関節を、ゆっくりと伸ばす。全身がほぐれていく感覚が、じんわりと心地良い。
 明日の今頃は、どうなっているのだろう。
 一通り身体を伸ばしたところで、ふと、そんな不安が頭に浮かんだ。明日の今頃、僕とあずさはきっと、帰り道の高速道路の上にいる。
 重い病気を抱えた隆さんは、どんな状態なのだろう。
 彼との再会と、そして、きっとお別れを済ませたあずさは、自分自身を保っていられるのだろうか。
 僕は兄として、たったひとりの妹が、愛する人をきちんと見送った後は、もう一度別な相手を見つけて、幸せになってほしいと願っている。でも、そう思う一方で、こんな考えも頭をもたげてしまうのだ。
 自分より30歳も年下の女性を、しかも彼女が若い頃から、10年も惹きつけておけるほどの魅力を備えた男性など、そう滅多にいない。
 あずさが、隆さんの思い出を抱えたまま、他の恋を見つける。それは、想像さえできないほど、難しいことのように思えた。

〔Part8へ続く〕

見出し画像:tenさんnew dawn

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