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【2020忍殺再読】「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」感想

「お前はシックスゲイツだ。好きにやれ」

 新人シックスゲイツ・インシネレイトのオリジンと、それがもたらした亡霊との決別。ネオサイタマヤクザライフの無常性が強調されたノワール短編でありながら、就活で第一志望に受かりながらも仕事上での理想と現実のギャップ悩む新入社員の物語……ある種の「お仕事小説」としても読めてしまうのがおもしろいですね。ハシバやヤマヒロ、ドゴジマやデグチと同じく、原作者はヤクザである彼に哲学的なゼンモンドーを投げかけることになります。「真実とは何か?」「ヤクザとは何か?」「ソンケイとは何か?」……本来、それらの問いを担うべきは、インシネレイトではなく、成熟したヤクザニンジャであるホロ―ポイントさんなのですが、あいにく彼は一問目でドツボにはまってしまったので、不幸にも若手の方にお鉢が回ってきた格好です。新しい部署に着任したら直属の先輩がいきなり倒れて長期入院することになり、隣接課の先輩に仕事の進め方を尋ねても章題の通り「好きにやれ」と返答され、もう右も左もわからず困っているというわけですね。やはりお仕事小説なのでは?

 それにしても、「サウナ・シリーズ(仮)」という主役連作を持っておきながら、さらにはオリジン混じりの主役短編まで与えられるとは。原作者のインシネレイトへの愛は重い。インシネレイトは典型的な「する」ニンジャであり、自己定義の袋小路に迷い込み、立ち止まることはありません。「お前は手っ取り早く、シンプルだ」「見事だな。よくやった」というガーランドの言葉の通り、ニンジャとしての在り方の上で、彼はどこまでも理想的であり、エゴをカラテに変換する過程において、エラーが生じることはありません。ただ、それはあくまで「ニンジャとしての在り方」であって、「ヤクザとしての在り方」ではありません。インシネレイトが課せられたのは、「する」ことではなく「である」ことにまつわる問答であり、それは、彼がニンジャである前にヤクザであること……カラテに先立って、ソンケイを身につけることを望むことを意味します。「サウナ・シリーズ(仮)」が「ニンジャである前に」というテーマの前半を問うお話であるならば、本作はその後半、「ヤクザであること」を問うお話だと読み解いてもいいかもしれません。インシネレイトくん本人も以下の通り述懐してますしね。

(俺はソウカイヤ最強のニンジャ……そのうえで何より、最強のヤクザでありてェ。カラテは勿論だが、なにより最強のソンケイ、身につけてェ。諸先輩方やホローポイント=オニイサンよりも高みに登りてェんだ。それこそ、チバ=オヤブンみてェによォ……!) 
……「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」#1より

「ニンジャがどうとか言ってる時点でキアイ足りてねえんだお前はよ」

 若くしてシックスゲイツに就任し、出世街道まっしぐらと言った風情のインシネレイト。しかし、それが必ずしも、彼の理想的なキャリアプランと言えないのが何ともままならないところです。インシネレイトくんは、将来どんなソウカイ・ニンジャになりたいか、具体的なヴィジョンを持っているのかな?

「俺ァ……俺ァ、キング・オブ・キングス・オブ・ヤクザになる男なんだよォ!」
……「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」#3より

 なるほど。それはたとえば、ドゴジマ・ゼイモンみたいな? 総理大臣を殺せるほどの圧倒的なカラテが欲しいということかな?

「バカが……そりゃどこまで行ってもテッポダマじゃねえか。テッポダマが飛び出すチャカを握ってる手は誰の手だ……それこそがソンケイの源ってもんだ……」
……「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」#2より

 ……ということですね。彼が求めるキング・オブ・キングス・オブ・ヤクザの道は、カラテを鍛えた果てにはなく、ソンケイを磨いた果てにある。しかし、彼が今いるシックスゲイツは、ソウカイヤの威力部門の頂点であり、言い換えるならば「カラテ屋」です。現ソウカイヤが、旧ソウカイヤと比べて、ヤクザ組織としてより純粋であろうとも、シックスゲイツはあくまでそのヤクザ組織をうまくまわすための戦闘職/テッポダマであり……早い話が、カラテさえ強ければ、ソンケイは求められることはありません。ヤクザの文脈を持たないガーランドなどは、まさにそのシックスゲイツの特徴を証明するニンジャであり、実際、インシネレイトは作中で彼を「ヤクザ世界のソンケイと、ガーランドが放出するキリングオーラは性質の違うものだ」と評しています。

 カラテとソンケイの違いについては、語り始めたらキリがないので過去の感想リンクを貼り文字数省略に努めますが(参考①参考②)……概説すれば、カラテは他者観察されるものであり、ソンケイは自己観測するものだと、私は解釈しています。カラテを測るのはとても簡単です。壁を殴って壊せばカラテであり、より強固な壁を壊せたならば、そのステータスの上昇が証明されます。それはまさしく「情報収集など気にせず燃やし尽く」すインシネレイトの得意領分であり、「見事だな。よくやった」とガーランドが評する長所です。しかし、インシネレイトにニンジャであることを求めているガーランドが肯定しているという時点で、その手法はやはり、ヤクザ的ではない、彼の辿るべきキング・オブ・キングス・オブ・ヤクザの道からは逸れたものだと言えるのかもしれません。ソンケイがもたらす出力と同じ結果がもたらされる以上、ニンジャはより簡便なカラテという手段を選択しがちです。それは「結果的には」同じです。『ニンジャスレイヤー』というニンジャの小説において、イクサは無慈悲であり、ゆえにその2つは見分けがつきません。しかし、ニンジャの小説でないならば……彼が望む、ヤクザの小説の上でならば、「結果」に主眼はなく、ゆえに、その2つは異なっているのです。ソンケイの自己観測処理に、完結はありませんから。

「ときにおまえを無慈悲に殴りたい」

 ソンケイとは、モータルが生みだしたモータルのための概念であり、ゆえに、定命かつ短命であること・カラテに乏しいことを前提としています。そのため、不老でありカラテに優れるニンジャにとって、それは容易に再現可能なか弱き人間どもの手すさびに過ぎないのですが、それはあくまでニンジャ・カラテ的な視点による「結果」の上での再現であって、ソンケイの本質的な部分のトレースにはなっていない……とは、前述の通り。これは言ってみれば、「ニンジャがソンケイをやるのは難しい」ということですね。というか、カラテがあるんだから、本来はやる必要がないんです。インシネレイトの前提にあるのは、「○○○のためにヤクザをやる」のではなく、「ヤクザになるためにヤクザをやる」という転倒です。推理小説への愛を動機に作られる密室とでも言うべきそれは、オリジンが完結し飽和した後に訪れる、ジャンルの二段階目の姿であり……まさしく二代目ニンジャスレイヤーが主役を務めるAOMに相応しいものと言えるのかもしれません。

 理由であり、目的である、「ヤクザ」という概念。それの理想の体現者であり、ほぼ完ぺきな定義者こそが、ダラヤマというヤクザでした。「ときにおまえを無慈悲に殴りたい」という言語化は、それほどまでに見事にヤクザをめぐるこのエピソードを包み込んでいます。それはたとえば、インシネレイトが戯れにクスバに奮い後悔した暴力であり、ヘムズワース・バトルヤクザクランを情け容赦なく滅ぼした暴力であり、ドクヴォン・クニ・ヤクザクランのオナーを守るために発揮される暴力です。そう暴力。ダラヤマという男の言葉は、ヤクザの在り方を見事に定義づけていますが、それはあくまで暴力という外部に出力された部分であり……「結果」であり……ソンケイとは異なるものでした。彼は、カラテがソンケイの上位互換だと誤解していた……否、ニンジャになったがゆえに、ニンジャとして「自然な」価値観を得てしまった。ゆえに、彼はヤクザを続けることができなくなったのだ……と言い切ることはすべきではありませんが(彼はあまりにも何も語らず、語らせないままに、インシネレイトによって火葬されてしまいました)、しかし、その理由の気配をそこから感じ取ることはできるでしょう。

「ニンジャのカラテ……圧倒的な力があれば……ムカつく奴はブッ飛ばして……どこまでも行けると思ってたもんだよ……ヤクザなんて……ソンケイなんてくだらねえッてよ……だがもう俺は……それにも疲れちまったンだよなあ……」
……「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」#3より

 ああ、それにしてもリキッドゴーストの語る言葉の、なんと時代遅れで、なんと的外れで、なんと悲しいことでしょう。「所詮はイキがった個人の力よ」という彼の台詞は、アマクダリという組織が滅び、リアルニンジャという個人が台頭するケオスの時代において、あまりにもナンセンスです。そして、彼にとっての紛れもないリアルが「時代遅れ」の一言で処理されてしまうことの、なんと残酷なことでしょう。ヤクザのためのヤクザではなく、何かのためのヤクザであった偉大なるオリジナル。現代に適用することで脆弱性を抱えてしまった古典名作こそが、ダラヤマというヤクザであり、リキッドゴーストという元ヤクザです。彼が身をもって示した「ニンジャのままヤクザをやることの難しさ」は、ヤクザ・ノワールにおいてはただのロートルの泣き言にすぎないのかもしれません。しかし、冒頭に示したように、本作を「お仕事小説」と読むならば、彼の言葉は転職先から後輩へ贈ったアドバイスと読むこともできるでしょう。ダラヤマは、もうインシネレイトのオニイサンではありませんが、センパイであることには違いないのですから。

未来へ……

 AOMシーズン2、「サウナ・シリーズ(仮)」、そして本作と、破格の扱いで解像度を高めまくっているインシネレイトですが、恐るべきことに彼という油田は未だ尽きる気配を見せません。「ニンジャである前にヤクザであること」という内面的なテーマの横で、噛みごたえのありそうなブツがもう1つ転がっているじゃありませんか。そう、初登場時に彼を大きく特徴づけていた、内面とそぐわない伊達眼鏡・高級スーツです。カードにおいて、それは「彼自身のコンプレックスの裏返し」と解説されていますが、現状、その心情が語られたことはほぼありません。ファッション×ギャングスタ×ソンケイというテーマは、『スズメバチの黄色』とも共有するものであり、伊達眼鏡エピソードには火蛇くんも絡んでくるんじゃないかと個人的には予想しているのですが……どうでしょう?

 あと、未来の話をするならば、彼の健康についても心配ですね。以下を参照ください。

 大急ぎで作られたソース・ソバが置かれた。インシネレイトの注文はタマゴ・トッピングで、半熟の目玉焼きが乗っていた。既にリキッドゴーストは皿の四分の三を食べている。向かい合うインシネレイトは三倍の速度でソバをかきこんだ。二人が食べ終えたのは同時だった。
……「インシネレイト・ザ・ゴースト・アゲイン」#3より

 ここから計算すると、インシネレイトくんの通常の食事速度は、この時のリキッドゴーストの4/3倍だということがわかります。しかも、それは、タマゴ・トッピング分を考慮していない計算であり、実際はさらに早いです。その上、この時のリキッドゴーストさんはゆっくり飯を食っているわけではなく、それどころか「ガツガツ」と表現されるほど勢いよく飯を食べています。結論を述べますけれど、インシネレイトくんは急いで飯を食い過ぎですね。もっとちゃんと噛んでご飯食べなさい。そんなことでキング・オブ・キングス・オブ・ヤクザになれると思っているのですか?


■note版で2020年12月15日に再読

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