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最近読んだアレやコレ(2021.09.18)

 短編集という型式の書籍は、短編それ自体ではなく、短編の順番やチョイス自体も作品の一環だと思っているため、必ず頭から順番に読むようにしています。また、同じ理屈により、既読の短編が収録されていたとしても、それが未読の一冊であるならば、新鮮な気持ちで楽しめます。昔からそうだったわけではなく……むしろ、元々は気になった短編を先に読んでしまうタイプだったのですが……変化の理由は、『ニンジャスレイヤー』によるものです。スタッフが自作をアルバムと称しているのに影響を受けたんですね。そんなわけで、近頃、筒井康隆の自選短編集(光文社から出てるやつ)に手をつけはじめました。筒井康隆の小説はおそらくほぼ全て読んでおり、この短編集の収録作も全て既読ではあるのですが、アルバムとしては初めて読むものであり、やはり目新しい驚きと楽しみがありますね。筒井作品は味が濃いので、順番入れ替えの影響が余計に顕著なのかもしれない。アルバムというよりも、コース料理と表現した方がいいのかも。

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カナダ金貨の謎/有栖川有栖

 臨床犯罪学者・火村が活躍する和製国名シリーズの第10弾。中編3つの隙間にショートショート(掌編)が2つ挟まっているという構成が大変魅力的な1作。目次に記された頁数を見て、一目でそのテンポの緩急が読み取れるのが楽しい。今から乗るジェットコースターを見上げた時のようなワクワク感があります。メインを務める3つの中編は、オーソドックスなロジックもの、シリーズとしては初になる倒叙もの(犯人視点で語られるミステリのこと)、そしてトロッコ問題を推理小説に落とし込んだ企画ものと、いずれも弾力がある内容でありながら、あくまでも推理小説としてはド正道。ゆえに、短くあるがゆえにある種の型破りを許容している……「推理小説としての強度を求めない」からこその自由さを発揮した2本の掌編の魅力が、本アルバムでは強く引きだされています。探偵の思考をロジックならぬキャラクター読解から語り手が暴き出す「エア・キャット」、小説本文を読者に示さないままにフーダニットを行う「あるトリックの蹉跌」、どちらも非常にトリッキーなミステリであり、にんまり微笑みがこぼれます。


近所迷惑:自選短編集①ドタバタ編/筒井康隆

 「ドタバタ編」とのことですが、令和の世においてはそもそも「ドタバタ」というジャンル名すらあまり聞かないので、レトロ味という刊行当時にはない魅力が付与されているのがおもしろい。そう思うと、錆びたドロップ缶みたいなデザインしてますねこの表紙。テーマがテーマだけに、コメディ寄りの作品が多く収録されており、極端なシチュエーションで極端なキャラクターが極端な行動をとってゆく「毎度おなじみの馬鹿馬鹿しいお話……」なわけですが、その一層下で大河の太さで黒々と流れている、人間に対する冷笑の温度は、背筋が凍るほどであり、おそろしい。ドタバタと騒ぎまわり醜態をさらす主人公の姿も、どこか全てを諦めてしまったような自嘲が感じられ、「おれは裸だ」や「経理課長の放送」に至っては、その幕切れに在る種のもの悲しさすら覚えます。徹底的なおふざけでありながら、それをはるか上空から真顔で見降ろしている不可視の巨人が、本を読む側に立っている。どれだけふざけていても、その巨人の気配だけは濃厚にそこにある。しかし、多次元宇宙が核実験の影響で混線し、並行宇宙が互いに結びついてしまうという設定のSFに、「近所迷惑」というタイトルをつけるセンスよ。


怪物たちの夜:自選短編集②ショート・ショート編/筒井康隆

「ショート・ショート」もそういえば最近、あんまり聞かないですね……と書いて気がついたのですが、そもそも私、星新一作品以外で使われてるのをあんまり見たことがないので(眉村卓と江坂遊くらい?)これは不勉強なだけですね。筒井康隆のおそるべき天才性をこの短さに圧縮したならば、それはもうおぞましい毒性ダイヤモンドの凶器ができそうなもんですが……方向性としてはむしろその逆であり、風船を針で破って縮めたように、どこか肩の力の抜けた雑談・漫談めいた小説が多いのが印象的。通常の作品集を、天才作家の珠玉のアルバムとするならば、これはちょっと性格の悪いおっさんがほろ酔いで喋っている録音テープと言ったところでしょうか。気の抜けた語り口からほろほろと出るたわごとは、作者と読者の間でゆるゆると流れて、カウンターの隅にほわほわと積もってゆく。いきなり噴出する強烈な悪意に思わずぎょっと手を止めてしまう「神様と仏さま」、意地悪いことばかりを言っている作者の手からふと零れ落ちた「ゆるみ」がロマンチックに色づいた「あるいは酒でいっぱいの海」の2編が個人的なベストです。


メルカトル悪人狩り/麻耶雄嵩

 ウオーッ!麻耶雄嵩の!メルカトルの新刊!天が割れ、地が吠え、海が湧くぜ! 相変わらず推理小説のことを考えすぎて完全に気が狂ってしまった人間の書く推理小説であり、「やっぱり、麻耶雄嵩っていいなあ……」と腕組みでしみじみとうなずいてしまう代物でありました。長短・時代を問わず単行本未収録の「メルカトルもの」をかき集めた短編集でありながら、後半に行くにつれ、とある趣向が強く打ちだされてゆくのが見事です。『悪人狩り』という副題は確かに正しいですが、メルカトル鮎という探偵は、決して狩人などではなく……では何かというと、狩場という環境そのもののように思えます。探偵が探偵として関わることで、事件が影響を受け、変質し、真相が遠ざかる。それは、こっぱ名探偵の理屈に過ぎず、探偵とは、及ぼす全ての影響が事件を解決する方向に作用する。それどころか、事件の発生すらも……。「探偵」「事件」「謎」「解決」という概念は、それらをすっぽり包みこむ「メルカトル」という概念の下位のものに過ぎない。無謬にして無法、推理小説を擬人化した悪徳。中でも、本作の趣向の到達点とも言える「メルカトル式捜査法」は、メルカトルを前に「推理小説」自身すらもが腹出し降参したような代物で、思わず空を見上げてしまいました。冷ややかで歪でマニアックで倒錯的で転倒している極彩鈍色の推理小説群。最高。


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