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最近読んだアレやコレ(2023.08.02)

 冒頭ではまず、近況を書くことにしているのですが、今回ばかりはもうどうしようもありません。終わりです。さようなら。これであとは『ωの悲劇』を待つのみだ。

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この本を盗む者は/深緑野分

 御倉の一家には、曽祖父が蒐集した莫大な本を守る責がある。とはいえ、祖母はやりすぎだった。その書庫から本が盗み出された時、町がまるまる本の中の世界に置き変わる「呪い」をかけてしまったのだから……。本嫌いの少女が空想世界を駆けまわる、ジュブナイル・ファンタジー。

 作中ではほぼ一貫して「本」と表記されていますが、その単語の意味するところは物語小説であり、漫画や雑誌、エッセイや専門書などは含まれません。森博嗣が何かのエッセイで、小説しか読まない人は本という単語を小説という意味で使いがち、みたいなことを書いていた記憶があるのですが(探したものの該当文章見つからず)、本作はまさにその体現とも言えるものであり、非常に強く内輪が押し出されている作品であると思います。主人公が「本嫌い」を自称しているものの、漫画を普通に好んで読んでいる時点で、それが決して外側の視点を持ち込む存在でないことは推して知るべし。小説の好きな人間が、小説の好きな人間に対して、小説のすばらしさをきらきらと語る様は、悪く言ってしまえば群れの中で仲間同士毛づくろいをしているに過ぎないのですが……架空世界の中で走り、笑い、すっ転ぶ、主人公と相棒の冒険が放つ温かみは、そう言った冷笑的な態度を溶かしてしまう素朴なよさがあるのも間違いなく、「それでこそじゃないか。何も悪くない」と腕組みしつつ肯いてしまう自分がいるのも真実。子供の頃に読みたかった、と今だからこそ読むべきだった、が同時に並び立つ1冊でした。


水車館の殺人/綾辻行人

 幻視者と噂された画家・藤沼一成が遺した画が眠るその屋敷で、陰惨な殺人事件が起きたのは1年前のことだった。しかし、彼の作品を欲するマニアたちは、今年も懲りずに再び集う。事態が1年前を再現するよう動き出す中、招かれざる客が1人、館を訪れる。館シリーズ第2弾。

 再読。おそらく3回目。距離の隔たりによって館を囲った前作に対し、本作は時間の隔たりによってそれが構築されています。「重要なのは筋書きではない、枠組みなのだ。」。本作における枠組みとは、すなわち額縁であり、絵画であるでしょう。時間から切り出されて閉じ込められた「過去」と「現在」という2枚の絵画が示され、そしてほぼ同じ絵を2枚並べた以上、出題は必然「間違い探し」となる。このようにモチーフとミステリとしての建てつけの噛み合いも美しい作品なのですが、本作の最も優れたところは、ここまで絵画という要素を使い倒した作品でありながら、題に冠されているのが「水車」である点だと思います。枠組み自体が本題であった「十角」と違い、絵画はあくまでその内に収めたものが主となる。時間という隔たりを越え、絵画というフレームを貫いて、いつまでも変わることなく館に鳴り響き続ける水車の回る音こそがこのミステリー小説の本質であり、本作は、それを謎解きと物語の両面から見事証明してみせた傑作であると思います。めちゃくちゃおもしろかった。個人的には『十角館の殺人』よりもこちらの方が好きかもしれません。あと、館の平面図が「額縁」になっていることに10数年越しに気がつき、驚きました。


逆ソクラテス/伊坂幸太郎

 担任は彼をダメだと決めつける。クラスメートは足が遅い奴を馬鹿にする。気弱な教師は生徒たちから舐められる。教室という密閉空間で、上からぎゅうとのしかかる見えない何か。力も知恵もない小学生たちは、だからこそ逆に立ち向かう。ミニマルサイズな抵抗記録。5編収録の短編集。

 ふりかかる理不尽に対して、真正面から殴り返すことはなく、騙し、そらし、逃げ隠れし、時には気晴らしをして忘れてしまう。伊坂作品特有のカタルシスに対して斜めを向いた姿勢が、「そもそも真正面から殴り返せない」子供たちを主人公に据えたことでマリアージュを生んでいます。小学生たちを押さえつける大人やいじめや現実は、打倒することはできずどうしようもない。いや、それは神様のレシピとは違って、本当はどうにかできるものなのかもしれないけれど、少なくとも、力と知恵を持たない今、どうにかはできるとは思えない。本作で描かれている小学生たちの抵抗は、最適な選択をして最善の解決に至ったものでは(少なくとも根本的な対処では)おそらくありません。それでもしたたかに身をかわしてゆく彼らの斜めの姿勢は、カタルシスとはひとつ横にずれた不思議な爽快感を読者に与えてくれます。力がなく知恵がなくとも、工夫はできる。大人になり、「その頃にはもう戻れない」という本当にどうしようもないことを知ったとしても、音楽を聞いてスポーツを観戦すればいいのだと、ちょっとだけ不真面目な斜め向きのレジスタンスを彼らは既に知っている。おもしろかった。


しおかぜ市一家殺害事件あるいは迷宮牢の殺人/早坂吝

 名探偵・死宮遊歩が目を覚ますとそこは迷宮の中だった。虜囚は彼女を含め7人、そしてその中にはS市一家殺害事件を始めとした6つの未解決事件の犯人が紛れているという。お題は7-6の単純な引き算。残るはただ1人の名探偵。無謬の推理は迷宮を切り開き、罪人を生かすことができるのか?

 無惨極まる一家殺害事件が倒叙形式で綴られる『しおかぜ市』と、巨大迷路の中で行われたデスゲームが描かれる『迷宮牢』。前者は露悪という点でで正視に耐えず、後者は軽薄という点で読むに耐えるものではありません。しかし、2つの側面から可読性を害する2部構成は、確かな必然性を持って作られており、読み終わってしまえば最後、罵声を飛ばす隙はありません。ネガティブな読み味を推理小説という構造を悪用して読者に飲み込ませてしまう悪辣ぶりは白井ミステリに近しいものを感じますが、緻密な計算とセンス溢れる奇想を消費してどう見ても悪ふざけにしか見えない絵図を完成させるこの歪さは、やはり早坂ミステリでしかありえないものです。「おらおら『迷路館の殺人』のオマージュやぞ!!」と白昼堂々胸をそびやかして歩いてる様を見せておきながら、物陰から不意撃つようにそのオマージュを完成させる趣向も、何とも小憎らしくチョケている。しかし、露悪で軽薄な悪ふざけは、どう見ても不真面目なそれなのに、それを組む手つきと図面を引く目つきには、狂気に近しい真面目さが宿っています。世界一筆圧強く、誰よりも真剣にウンチを描いている。作者特有の趣向と執念が極まった、代表作と言える傑作でした。



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