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【小説】2018年総ざらい:小説篇上巻

 2018年総ざらいってお前もう1月12日じゃねーか!うるせえ!時期を逸したら総ざらいをしたらダメという決まりなんかどこにもねえ!ということで漫画篇に続いて小説篇(上巻)です。20冊+1ゲーム選んだのですが多すぎるので半分ずつにします。自分の中では順位付けもできているのですが、それは特に公開する気はありませんし、今回の並びもランダムです。そして問題が一つ。「超おもしろかった」という感動は記憶していても、その小説の詳細を全然覚えてないケースが多すぎる……!漫画や映画はそんなことはないのになぜなのか。ちゃんと読めてないからでは?うるせえ!そんなわけで読書メーターに投稿した当時の感想をベースに、そこに覚えている触感や味わいを継ぎ足しふわっとまとめました。

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九人と死で十人だ/カーター・ディクスン、駒月雅子(訳)

 いやもうタイトルの時点でおもしろいですよね。読んでる最中、「つまり九人と死で十人だ。わかるか?この算数が。エエッ? 」って言いたくて仕方がなかった。お前はスクランブラ―さんか。作中の出来事に対して正確な邦題ではないという最もな評もあり、肯けるんですが、語感が最高だし私はこれが好きだなあ。「容疑者が限られているにも関わらず、殺人現場で発見された指紋の該当者が見つからない」というシンプルながらもわかりやすく魅力的な謎はステキですし、それに打てば響くような小気味よさで回答が返ってくるのが気持ちいい。低カロリーな内容であり、カーの作品の中でも傑作大傑作と評されるものではないのでしょうが、時には「軽さ」の心地よさが、傑作のボリューム感に勝る時もある。戦時下、軍需品を運ぶ航海中の殺人というシチュエーションはいかにもシリアスですが、偉大なる名探偵H・M卿のふざける力のためか、重苦しさは全く感じない。カーで航海ものと言うと、『盲目の理髪師』でしょうが、私はこっちの方が好きですね。

オフィスハック/本兌有、杉ライカ

 クソみたいな上司が脳天に銃弾ぶち込まれて死ぬ! サラリーマンの快楽中枢を刺激するアクションと、その背景を構築する技巧が見事に噛み合った傑作パルプ。「スーツのバディが書類舞い飛ぶオフィスで銃撃戦」というビジュアルイメージの時点で百点!って感じですが、それを単なるかっこいいにとどめないのが何ともニンジャスレイヤー翻訳チームらしい。日本企業の奇妙な因習に対しての作中描写はどこまでも生々しく実感に溢れたもので、それが誘導線となり「人事部が銃火器による武力制圧で人員調整を行う」という破天荒な設定がするんと飲み込めてしまう。かと思えば、どう考えても異常な設定を、何のフォローも接続もなく唐突に顔面に叩きつけてきたりもする。この「するん」と「ウッ!」の配分が完璧であり、その読み心地はさながら山あり谷ありのジェットコースター。私が一番好きなのは、備品の拳銃にテプラで部署名が貼ってあるところです。連載版も先行して読んでいるのですが、地味に破天荒具合が上がっており、徐々に温度を上げられながら茹でられる海老の気持ちを味わえます。

少女を殺す100の方法/白井智之

 無慈悲に無意味に与えられる痛苦と死の恐怖……そしてそれをはるかに凌駕する恐怖である推理小説の「それはともかく」力に震えて眠れ。生きたまま少女がミキサーにかけられる謎の殺戮施設……それはともかく犯人は誰か? 少女が空か降り注ぐ謎の怪奇現象……それはともかく犯人は誰か? 推理小説の世界では、推理が全てに優先する。密室だの人死だのといった些細な謎が、世界に根っこにヒビすら入れかねない巨大な不条理と謎を、お前は邪魔だ呼ぶまで待ってろと殴りつけ押しのける異常な転倒。「人が死ぬ」系エンタメを期待して読んだ貴方は、貴方が望んだ「人が死ぬ」が、手がかりと伏線という「意味」に汚染され、消費されてゆくグロテスクを目にし、ゲロを吐き散らすこととなる。リビドー溢れる必然性なき露悪残酷下ネタ描写が、「推理パズルに必要な要素だから」という戯けた理由で世界から許容され、どこまでも機械的に、理に則って整然と解体されてゆく悍ましさ。ここにあるのは、推理小説を通してしか描き得ない、オリジナルなグロテスクなのです。

インド倶楽部の謎/有栖川有栖

 十数年ぶりの国名シリーズ刊行!?とぶったまげたいとこではありますが、国名シリーズを読み始めたのは結構最近なので、前作モロッコ水晶からさほどの断絶なく読むことができました。「前世」という信仰を共有するインド倶楽部の中だけで使用が可能な虚構のフレームワーク。それに現実を当て嵌めてしまった時、齟齬が生じ、事件は起き、謎が生まれ……そして謎は虚構と共に探偵的小説的手続きによって祓われる。ですが、その探偵小説的手続きとは、本当に客体化なのでしょうか? その「推理」は、本当の論理なのでしょうか? 探偵小説もまた、実のところ前世と異なる虚構のフレームワークに過ぎず、その読者の認識が、オカルトと推理小説という相反する二者を、捻じれさせ、結合させるのです。「火村は謎を解き、有栖川が物語を終わらせる」ということです。また、作者十八番の叙情描写は今回もまた冴えわたっており、異国情緒ある街・神戸、そして登場人物たちの「前世」を練り歩く火村と有栖川の冒険に魅力的な彩色を施しています。論理が評価されることの多い作者ですが、私は「論理と叙情の有栖川」と呼びたいですね。

■関連note記事 ⇒ 「たまごクラブ・ひよこクラブ・インドクラブ」

おかしな二人/井上夢人

 小説ではありません。しかし私はこの作品を小説として読みました。一昨年から昨年にかけて、私は岡嶋二人の全小説を読むキャンペーンを行っており、このエッセイはそのマラソンの締めくくりとなりました(正確には『クラインの壺』の前に読んだのですが)。ここで描かれているのは、岡嶋二人のいうユニット作家がいかに生まれ、いかに破綻したかを一方の視点から赤裸々につづった記録であり……そして、『岡嶋二人の作品』を題材とする破局が約束された物語でもありました。二年にわたる26冊分の読書体験の全てが伏線となり、物語化されてゆく……そんな贅沢が他にあるでしょうか。本作の主役ともいえる「岡嶋二人の作品」を本作で語られている以上に知っているからこそ味わえる、強烈な没入と感情移入。創作の熱の空回りと共に次第に息苦しさの増してゆくストーリーは悲しく、それでも読後にはレースを一つ走り切ったような爽快感がありました。最後の著作一覧は、さながら登場人物たちが一礼しては舞台から降りてゆくようで、涙なしでは読めません。

■関連note記事 ⇒ 「おかしなはやすぎる二人

大癋見警部の事件簿/ 深水黎一郎

 推理小説くんは狭い部屋の中で永遠に同じことを繰り返すことが大好きな筋金入りの狂人かつ変態な奴なわけですが、あまりにもそれが長く続きすぎると「俺ってクソだよなギャハハ!!」とわめきながらファックサインを己に叩きつけるという発作を起こし、部屋の中のものを暴れて壊すんですよね。「お約束」を踏みにじるという行為は、実のところ「お約束」に対する最大の敬愛表現であり称賛でもあるということ。そしてその「お約束を踏みにじること」自体すらも「お約束」になってしまう程に、その小部屋は狭く、全くもって度し難い。収録作に通底して流れるものが、自ジャンルへの軽蔑や憎悪、嘲笑ではなく、紛うことなき愛(やや屈折はしている)であることが本作を楽しい一冊に仕上げています。ジャンルに対する問題提起や不備の主張と読むには、あまりにも肩の力が抜けた、しかし本気で作りこまれた悪ふざけ。あと、推理小説マニアとしての最大の議論点は「大癋見警部は名探偵に分類できるのか?」ではないでしょうか。

ヒストリア/池上永一

 池上小説が放つ人智を越えたオキナワパワーを人の形に凝縮することなど到底不可能であり、もしそれをやれば何が起きるかと言えば、本作の主人公知花煉が起きるわけです。「女傑」「エネルギッシュ」「パワフル」と、幾ら言葉を並べてみても、このとんでもない存在格を放つ主人公には到底追いつかない。ナチスに吠え掛かり、プロレスラーに喧嘩を売り、転落と再興を繰り返す彼女の歩みと共に、山のように巨大な物語はその自重をものともしない馬力によって動き出し、ポカンとアホ面を浮かべる読者を蹴散らし、エピローグすらも突き破りどこまでもぶち抜けてゆく。池上小説とはやはりパワーそのものであり、その力の強大さたるや、紙面上にかすかに漏れる熱ですら、我々の手を焼き焦がすほど。「巨大な何かが動く」ことの感動。極限まで高まった「パワー」に対する畏怖。エンターテイメントというものは、果てなく強度を上げてゆくと、やがて神聖を帯びる一瞬が表れるものであり、本書には間違いなくその一瞬があったと思うのです。

ムカシ×ムカシ/森博嗣

 その淡泊さと軽さを煙幕に、しれっとさらっと推理小説の最先端を切り裂いて進む森ミステリ軍X部隊の四番隊長でございます。鋭さというものは度を越すと、視認できなくなるほど細くなるものであり、そしてそんなほとんど誰にも気がつかれないような「鋭さ」がなければ、推理小説という小部屋の壁は突き破れないものなのでしょう。例によって、いかにもな事件が起き、いかにもな因習が語られ、いかにもな謎が提示され、しかしそれらは全て日常の諸々と忙しさの中で過ぎ去ってゆき、あれはまあそういうことだったのかなと真実とは限らない納得は得るも、そんなものは朝に呑むホットミルクに束の間覚える安堵とさして変わらぬ細やかな起伏に過ぎないわけです。貴方は推理小説は読んだことがあるかもしれない。しかし「推理小説に見えるだけの小説」を読んだことはありますか? 「推理小説に見えるだけの小説」である推理小説を読んだことはありますか? それはとても新しく、あまりにも当然の顔をして私たちの手のなかを通り抜けてゆくのです。

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エピローグ/円城塔

 円城小説はいつだって魔改造に魔改造を重ねた道具と作法によって語られており、これまで身に着けた「読書感」は何一つ通用しません。なにしろ、文字は文字としての機能を再定義されており、物語も物語としての機能を再定義されているのですから。視点をクリアに保ち「読み方」を更新し続けることが求められるその読書体験は、恐ろしく疲労を伴うもので、ゆえに無上の楽しみを与えてくれるのです。昨年読んだ中では『文字渦』と『プロローグ』もよかったのですが、個人的なベストは本作。過去も未来も幻に過ぎず、唯一真実であるはずの現在も「一瞬」という実在しない概念上の点にすぎない。それならばこの世の全ては実のところ架空の物語であり、ゆえに本作は決してメタ小説なのではなく、現実から地続きの場所にある。物語が語る物語に寄り永遠に先送りにされ続ける句点は、エピローグをアキレスがたどり着けない亀にする。どこまでも空想であるはずの思考実験が、新しく作られた言語によって、あるいはただの詭弁によって、今目の前にある現実のよう、読者の胸を強くうつ。

私はあなたの瞳の林檎/舞城王太郎

 水が高きから低きに流れるように、ごく当たり前の節理のように、さらさらと流れてゆく文章と物語の自然さは、恐ろしいほどの滑らかさをもって読者の脳内を通り過ぎてゆき、それが小説だったと気づくよりも前に、微かな余韻だけを残し、ふっとどこかの虚空へと消え去ってゆく。「力み」の感じられない言葉の連なりは、物語とテーマとそれを表す文章表現が一切のひずみなく組み合わされていることの証明であり、「自然な文章」というものがどれだけ凄いものなのかの証明でもあります。ある言葉の後にある言葉が続くことに、完全な必然性と美しさが備えられているという奇蹟の妙技。逆噴射先生言うところのREALを、物語展開ではなく言葉によって創り上げてしまう絶技。歯磨き粉のチューブを押した時、開口部から順に中身が出てくるように、確かな理をもった「流れ」がここには確立されている。舞城王太郎。嘘と言葉を愛し愛された「語り」の化け物が成した所業がここにある。なお本作の姉妹巻である『されど私の可愛い檸檬』もすばらしい一冊であり、正直甲乙つけられません。今回、『林檎』を選んだのはこっちの表紙の方が好きだからです。