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『まとめ』歴史を変えた6つの飲物〜ワイン編②〜

ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラから見る世界史

「風呂とワインとセックスは人間の肉体をむしばむ。
だが、風呂とワインとセックスのない人生に、生きる価値があるだろうか?」

❶帝国のブドウの木

時代はローマ時代、、、
ギリシアに次いで覇権を握ったのはローマでしたが、文化や言葉はギリシャに多くを負っていました。勝利したはずのギリシアの文化に染まっている事を懸念しながらも、継承し昇華させていきました。

そんな中でローマ人の誇りを保ち続けてくれたのが「ワイン」でした。

ローマ人は自分達が慎み深い農夫が兵士および司令官になって作り上げた国であると考えていました。戦いに勝利したら、褒美として農地を分け与えられました。その農地で栽培する最も格式高い作物はブドウでした。
彼らはブドウを作る事で農民というルーツに忠実であり続けている、と自らを納得させることが出来たのでした。

その誇りはローマの百人隊長の階級章がブドウの苗木を加工した木の棒だった事にも象徴されています。

❷全てのブドウの木はローマに通ず

イタリア半島の北部はエノトリアは「つるを這わせた地」と呼ばれており、栽培に適して土地でした。それ以外にもギリシアからどんどんワインの生産地をイタリア全土に広げていき、ローマが地中海一の権力を収める頃には、イタリア半島は世界一のワイン生産地域になっていきました。

ギリシア文化を積極的に吸収して来たローマ人は、ギリシアの最上級ワインとワイン作りの技術も取り入れていきます。その影響でギリシアの有力なワイン生産者は次々にイタリアへと向かい、イタリアがワイン交易の主役に躍り出て行きます。

そうしてワイン人気が高まるとワイン農家も規模が拡大してきます。穀物様の土地もワイン栽培に転換し、小規模農家は土地を売って都市に移り住む様になっていきます。

結果としてローマは穀物をアフリカの植民地から輸入に頼る様になり、田舎の人口は減少し、ローマの人口は約100万人に膨れ上がります。

こうしたワイン熱の高まりはローマから、支配地域に広まっていきました。現在のイギリスがあるブリテン島のブリトン人や、南ナイルおよび北インドまで船で出荷されました。
輸送に使われたアンフォラの取手がローマはもちろん、マルセイユ、アテネ、アレクサンドリアなどの地中海の港で多数発掘されてるのもその証拠。

当時はスペインやガリア南部のワインも生産高は多かったのですが、品質はイタリアワインが一番でした。

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❸富と地位とワインの格付け

ワインは万人が楽しめる飲物でした。

ただワインの品質に対するこだわりは強く、ワインの質の違いは社会階層の違いの象徴でした。なので高品質のワインはそれを飲むものの富と地位の証でした。

今で言う車とかに近い感覚ですかね

つまり高級ワインを買う金銭的余裕と、その銘柄について学ぶ時間的余裕がある事の証だったのです。

当時の最上級ワインはイタリア・カンパーニャ地方産の「ファレルヌム」でした。
ネアポリス(現在のナポリ)の南にあるファレルヌス山の斜面の特定地域で作られたブドウを原料とするものだけが名乗れました。

その中でもファウスティアン・ファレルヌムが最上級とされ。ファウストゥスの領地にある畑で取れたブドウから作られました。それより斜面が低いところで取れたワインは、単にファレルヌムと呼ばれました。

当時ですでに現在の原産地の呼称と同じ考えがあったんですね。

ファレルヌムの中でも最も有名なのが、紀元前121年に作られ、当時の執政官オピニウスの名を取ってオピミアン・ファレルヌムと呼ばれたワインでしょう。
これは紀元前1世紀にジュリアス・シーザーが飲んだもので、さらに紀元39年には160年物のオピミアンが皇帝カリギュラに献上されています。

現代でも160年物は滅多にお目にかかれないので、ローマ時代なら尚更興味あります。果たして飲める物なのか、、、

❹キリスト教、イスラム教とワイン

キリスト教

410年には西ローマ帝国がゲルマン民族もあり崩壊します。
かつてローマ帝国だった地域が多数の国に分かれていきます。
そしてゲルマン民族が新しい土地で多くの人民を統治するのに、ローマ時代からすでに信仰されてたキリスト教と手を組む必要がありました。キリスト教もローマ帝国に替わり保護してくれる実力者が必要でした。これらの理由によりゲルマン民族とキリスト教が文化と共に融合していきます。

キリスト教とワインの密接な結びつきがワイン文化が存続する要因になります。
聖餐でワインを用い、修道院の畑で栽培されていきます。聖職者に支給されたり、中には作ったワインを売って、その売上が重要な収入源となる教会さえありました。

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イスラム教

他の地域に目を移すと「イスラム教」の台頭がありました。
誕生から1世紀程で、ペルシア、メソポタミア、パレスチナ、シリア、エジプトを含む北アフリカ、さらにはスペインの大半を征服します。

今でこそイスラム教はアルコールを摂取する事を禁止していますが、最初は違いました。
禁制になって行ったのは文化的な要因が絡んでいます。
ムハンマドは神への祈りを忘れる程の酩酊する事を禁じていました。
さらにイスラムが台頭していく際に、キリスト教圏と争う事になります。ギリシア人やローマ人よりも自分達が優れてると示すために、これまでの文明を拒絶していきます。キリスト教がワインを中心的役割を担っている事も、イスラムがアルコールを忌み嫌う傾向を後押しします。

こういった背景があり禁酒に向かっていきました。

❺ワインが伝えるギリシア・ローマの栄光

富、権力、地位との密接な関係や、優れた鑑識眼を披露し、社会的地位の違いを表明する、、、
これらはすでに古代ギリシャやローマ時代にすでに原型は成立していました。そこから晩餐会や宗教、政治とあらゆる場面で洗練された文化と共に時代を彩ってきました。

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シュンポシオンはディナーパーティに面影を残しています。フォーマルな雰囲気の中で、席順や、食べる順番などのマナーをわきまえ、ワインを楽しみながら政治やビジネス、社会情勢などを話し合っています。

もし古代ローマ人が現代にやって来ても、やってる事の本質は変わってないな、そう思うかもしれませんね。

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