55sensei

定年退職までカウントダウン中のアラカン高校教師です。 これまで主に生徒さん向けに書いて…

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定年退職までカウントダウン中のアラカン高校教師です。 これまで主に生徒さん向けに書いてきたものなどを少しずつ見ていただこうと思い,noteとYouTubeを始めてみました。幸せな教師人生を送ってきたことが伝わるとうれしいです。 藤井風さんのファンです。

最近の記事

「先生はなぜ先生になったんですか?」という質問にこたえて

[10年ほど前に学校(高校)の教育相談の新聞に書いたものです] みなさんには,将来の夢がありますか? 高校時代の僕には,そんなものはありませんでした。でも,ちょっとしたことで夢を持つようになり,今を生きています。みなさんの役に立つかどうかはわかりませんが,そのキッカケを紹介させてください。      *     *     * 高校の頃の僕は「自分が何になりたいか」ということは全くわかっていませんでした。普通科でしたから,大学に行くぐらいのことは思っていましたが,2年のとき

    • 第1回「カンボジア移動理科実験教室」参加記

      2019.12.23~28 西村さんとの出会い 2019年3月。「〈カンボジアで理科実験教室をやろうと考えている〉という元福岡の高校の先生の西村さんという方が,科学館に勤めている知り合いを訪ねてくると伺いました。  私はこれまでかなり海外旅行をしてきて,またそこで授業をしたこともあった「国際派」(笑)ですので,カンボジアと聞いて「私もそのミーティングに参加したい」と申し出ました。​  西村さんは60歳を少し過ぎたお歳の方で,穏やかな語り口の中に芯の強さと頭の良さが感じ取

      • 父の入院(3)

        1月。  父は、お正月の半日、一時帰宅することができた。子ども・孫に囲 まれ、上機嫌だった。将棋も指した。最初の一手で「う〜ん、困った」 と言い、みんな大笑いした。将棋を覚えているか疑問だったが、意外 に覚えていた。しかし、時にあり得ない手を使い、「それはないじゃろ う」と駒を戻されたりもした。初めて孫に負けた。だが満足そうな表 情をしていた。そしてうつらうつらして、将棋を指したことも、孫に 負けたことも忘れてしまった。  病院には3ヶ月しか入院て

        • 父の入院(2)

           出血は、自然に脳に吸収されることがある。そうしたら手術はしなくていい。でも、父はそうならなかった。1ヶ月後に手術をした。血だまりはきれいに取れた。そして、意識もかなりしっかりしてきた。目に意志が宿り、以前の父が戻ってきたような気がした。そうは言っても、やはり記憶にかなり混濁があり、朝のことを昼には忘れている。  リハビリが進む。療法士さんとダンスをするように一歩ずつ進む。よちよちと歩く。「もう少しがんばってみますか?」「はい」。父は決して訓練を嫌がったりしない。強い、強い意

        「先生はなぜ先生になったんですか?」という質問にこたえて

          父の入院(1)

           体育祭を翌日に控えた9月13日の夜、1本の電話が鳴り響いた。「お父さんが倒れた!すぐ来て!」せっぱ詰まった母の声だった。  ポケットに財布とケータイを突っ込み、200mほど離れた実家へ全速力で走る。薄明かりの中、ガレージの前で横たわる父と、その頭を抱きかかえる母の姿。「救急車呼ぶよ!」。落ち着かなければ。懸命に頭を働かせる。母に病院に持って行く物や戸締まりを指示する。意識はかろうじてある。なぜ倒れたのか見当がつかない。やはり焦っていたのだろう、119で僕の自宅の住所を言って

          父の入院(1)