[10年ほど前に学校(高校)の教育相談の新聞に書いたものです] みなさんには,将来の夢がありますか? 高校時代の僕には,そんなものはありませんでした。でも,ちょっとしたことで夢を持つようになり,今を生きています。みなさんの役に立つかどうかはわかりませんが,そのキッカケを紹介させてください。 * * * 高校の頃の僕は「自分が何になりたいか」ということは全くわかっていませんでした。普通科でしたから,大学に行くぐらいのことは思っていましたが,2年のとき
2019.12.23~28 西村さんとの出会い 2019年3月。「〈カンボジアで理科実験教室をやろうと考えている〉という元福岡の高校の先生の西村さんという方が,科学館に勤めている知り合いを訪ねてくると伺いました。 私はこれまでかなり海外旅行をしてきて,またそこで授業をしたこともあった「国際派」(笑)ですので,カンボジアと聞いて「私もそのミーティングに参加したい」と申し出ました。 西村さんは60歳を少し過ぎたお歳の方で,穏やかな語り口の中に芯の強さと頭の良さが感じ取
1月。 父は、お正月の半日、一時帰宅することができた。子ども・孫に囲 まれ、上機嫌だった。将棋も指した。最初の一手で「う〜ん、困った」 と言い、みんな大笑いした。将棋を覚えているか疑問だったが、意外 に覚えていた。しかし、時にあり得ない手を使い、「それはないじゃろ う」と駒を戻されたりもした。初めて孫に負けた。だが満足そうな表 情をしていた。そしてうつらうつらして、将棋を指したことも、孫に 負けたことも忘れてしまった。 病院には3ヶ月しか入院て
出血は、自然に脳に吸収されることがある。そうしたら手術はしなくていい。でも、父はそうならなかった。1ヶ月後に手術をした。血だまりはきれいに取れた。そして、意識もかなりしっかりしてきた。目に意志が宿り、以前の父が戻ってきたような気がした。そうは言っても、やはり記憶にかなり混濁があり、朝のことを昼には忘れている。 リハビリが進む。療法士さんとダンスをするように一歩ずつ進む。よちよちと歩く。「もう少しがんばってみますか?」「はい」。父は決して訓練を嫌がったりしない。強い、強い意
体育祭を翌日に控えた9月13日の夜、1本の電話が鳴り響いた。「お父さんが倒れた!すぐ来て!」せっぱ詰まった母の声だった。 ポケットに財布とケータイを突っ込み、200mほど離れた実家へ全速力で走る。薄明かりの中、ガレージの前で横たわる父と、その頭を抱きかかえる母の姿。「救急車呼ぶよ!」。落ち着かなければ。懸命に頭を働かせる。母に病院に持って行く物や戸締まりを指示する。意識はかろうじてある。なぜ倒れたのか見当がつかない。やはり焦っていたのだろう、119で僕の自宅の住所を言って