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父の入院(2)

 出血は、自然に脳に吸収されることがある。そうしたら手術はしなくていい。でも、父はそうならなかった。1ヶ月後に手術をした。血だまりはきれいに取れた。そして、意識もかなりしっかりしてきた。目に意志が宿り、以前の父が戻ってきたような気がした。そうは言っても、やはり記憶にかなり混濁があり、朝のことを昼には忘れている。
 リハビリが進む。療法士さんとダンスをするように一歩ずつ進む。よちよちと歩く。「もう少しがんばってみますか?」「はい」。父は決して訓練を嫌がったりしない。強い、強い意志を持って、良くなろうとしている。その姿に救われる。
 笑顔も見せるようになる。週末に神戸から妹が通ってくる。妹は言い方がうまいので、うれしそうな顔を見せてくれる。親が笑顔を見せてくれることが、こんなにもうれしい。それはほんとうに小さいとき以来のことかもしれない。思えば、父はいつも僕に優しく接してくれた。父は優しかった。中学の時、「弁論大会に出ない」と担任とケンカしたときも、じっくり話をしてくれた。頭ごなしに叱られたことはなかった。振り返ると、いつも父の思いやりの中に僕はいた。親孝行な息子ではなかった。仕事の苦労話も聞くのを避けた。ぶっきらぼうで、思いやりもなかった。「ありがとう」の一言も、恥ずかしくて言えなかったのに。「死ね」と言ったのに。

 11月。リハビリの病院に転院した。父はますます元気になる。自分で歩こうとして、車いすから立とうとして注意される。生きる意欲に満ちている。
「もう一周、歩いてみますか?」「はい」。しっかりとうなずく。「…もう少し歩きますか?」「はい」。「まだ歩きますか?大丈夫ですか?」「はい」。
 真っ直ぐに前を見据え、ゆっくりと、一歩、また一歩と足を踏み出す。真摯さ、という言葉が浮かんできて、不意に熱いものがこみあげてくる。姿がにじんで、よく見えない。こらえきれなくて下を向くと、床に涙が落ちていくのがわかった。

 12月。まだ記憶は十分でない。認知症という名前がつく。母の名前も思い出せない、覚えられない。毎日病院に通う母がかわいそうになる。
 病院にいては鬱々として表情もなくなる。無理を言って、外出許可をもらう。運動公園は紅葉の直中で、燃えるような色彩がきれいだ。父と、母と、妹と、僕と。4人で歩くのは何年ぶりだろう。車いすの父は晴れ晴れとした顔をしている。そんな父の姿に、なんだか僕の気分も浮き浮きする。母が病室用に、もみじを拾う。「思い出してくれたらええな」。今日のことを、明日には父は忘れているだろう。それは寂しいけれど、今が良ければ十分だとも思える。
 「今日は気分が良かった?」妹が父に言う。
 「うん」。大きくひとつうなずいて、父の声が言った。

 「みんなより幸せなぐらいじゃ」。

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 明日のことはわからない。それは父のことだけでなく、僕も、そして誰もがそうなのだ。わからないから、今の気持ちが大切なのだと、しみじみ思う。
 父はもう、そう長くは生きられないのだろう。それが明日でないと信じて、今日を終わる。
 父は明日も笑顔を見せてくれるだろうか。笑顔でも、そうでなくても、今なお父は僕にたくさんのことを教えてくれる。

生きることは、尊いと思う。

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