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父の性格について。

ぼくの父が、
どういう人だったのか?
というのを、説明するのはむつかしい。

父の性格をあらわしているだろうなあ、
というエピソードで申しますと、
ぼくが、小学何年生だったかのころ、
父とぼくのふたりでね、
散歩か何か、もしかしたら
虫取りにでも行っていたのだろうか。

そのとき、当時住んでいた町内のある場所にて、
道路からすこし高いところにある、
草むらみたいなところをふたりで歩いていて。
その高さは、
めちゃくちゃ高いわけじゃあなくって、
すこし高いから、父は、
ここから飛び降りる。と言う。
ぼくに対しては、危ないから、
向こうの低くなっているところから
降りなさい。と言う。

ぼくは、そんな父に、
いや、あぶないから、
お父さんもあっちから降りようよ。
と言うけど、父は、大丈夫だ、と言う。

そして、父は、
このすこし高いところから道路へひょいと降り、
ぼくは、向こうの低いところから降りてきて、
ふたりで帰宅した。

その後、父は、足が痛いと言って、
病院へ行けば、骨折との診断。
どれだけの期間だったか、
ギプスをつけていた。

ぼくの父は、そういうような
「じぶんは大丈夫だ。」
と思ってしまう面があったな。

ほかにも、たとえば、
いつごろだったかなあ、
父が「耳の調子が悪い。」と言って。
母とぼくは、心配だから
「病院へ行きな。」と言うけど、
なかなか行かず。

そして、いよいよ、調子がよくない、
という状態のとき病院へ行き、
お医者さんの診断は、
突発性難聴でしたか、メニエール病でしたか。
おそらく、症状初期のころで病院行けば、
まだよかったものの、もう、治療は見込めず。
その後には、父は、
左耳が聞こえなくなってしまった。

父は、このごろの数年間では、
当初は手の震えがあり、
本態性振戦という診断がでたり。また、
パーキンソン病、もしくは、
パーキンソン症候群という診断がでたり。
そして、だんだん体が動きにくくなり、
二年前から入院し、先日亡くなったのですが。

それらの診断も、
ほんとうのほんとうには、
これという診断はむつかしいらしくて。
治療も、なかなか、できなかった。

ぼくが考えるには、もしかしたら、
精神的な面もあったのかもしれない。
とも想いながら。。。

父が、昔から、もっと、
ぼくら家族に対して、いろいろ、なんでも、
甘えるように言ってくれたなら。それで、
ぼくや母が思って伝えたことを、
すこしだけでも聞いてくれたら。
なにかが、よくなったやもしれないし、
いや、なにも、
変わらなかったかもしれないけど。

父は、どうしても、
ひとりで抱え込んでしまって、
助けを求められない性質なのかもしれないな。

それはさ、ぼくも、
似ているのかもしれないが。。

定年後、暇になった父は、
近所のスポーツジムに行くようになり、
プールで泳いだりしたらしいんですが。
中学生のころ水泳部だった父は、
ぼくが小学生のころ、プールや海に行けば、
ずっと泳いでいられる人だったけれども。
そのころのジムのときには、
「ぜんぜん泳げなくなった。」
と言っているのを聞いて、
体が老いる、とは、こういうことなのかもしれない。
と感じて、やっぱりかなしかったけど。
そのときにも、もう、
なにかしらの症状が出ていたかもしれないのかな。

ぼくは、父の健康に対して、
なんにもできなかったし。
父の精神的な面では、
ぼくにも要因があるとも思うけど。

父に対してはさ、
体、つらかったね。
とぞんじます。

令和2年12月8日


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