見出し画像

「先生はなぜ先生になったんですか?」という質問にこたえて

[10年ほど前に学校(高校)の教育相談の新聞に書いたものです]

みなさんには,将来の夢がありますか?
高校時代の僕には,そんなものはありませんでした。でも,ちょっとしたことで夢を持つようになり,今を生きています。みなさんの役に立つかどうかはわかりませんが,そのキッカケを紹介させてください。
     *     *     *
高校の頃の僕は「自分が何になりたいか」ということは全くわかっていませんでした。普通科でしたから,大学に行くぐらいのことは思っていましたが,2年のときに文系にするか理系にするかさえも友だちに合わせただけで,ただ流されるままに時間を過ごしていました。
今思えば,物事をナナメに見るめんどくさいタイプのヤツでした。
それでもいちおう行きたい大学はあったのですが,第1志望にも第2志望にも落ちてしまって,親に頼まれて受けた地元の大学になんとか合格し,ザラザラした心のまま入学を迎えました。

その入学式で,僕は一人の女の人に声をかけられました。サークルの勧誘でした。全く興味がない活動でしたが,どうしてもその「緊張して声をかけました」という顔が頭から離れず,そのサークルに入ってしまいました。その先輩は小学校の先生を志望していた,ひたむきなかわいらしい人で,ことあるごとに夢見るような顔で子どもたちのことを語るのです。


僕は子どもが苦手で,できれば近づきたくないと思っていました。もちろん,教師など考えたこともありませんでした。しかし,彼女の好きなものなら自分も好きになりたいと,アルバイトで学童保育(放課後教室)に行ってみることにしました。
夏休みの40日間は,あっという間でした。泥まみれ,汗まみれ。笑ったり,怒ったりしながら,僕の心は一歩ずつ,それまで苦手だった「子ども」という人たちに近づいていきました。
アルバイトの最後の日には,涙が出て止まりませんでした。

それから1年ぐらいたった頃のことです。風のうわさで「かんちゃんが不登校になった」と聞きました。かんちゃんは僕と出会ったとき小学校1年生,ちょっと内気だけど元気のいい子でした。
僕がかんちゃんに手紙を出したのがキッカケで,僕はかんちゃんと遊ぶようになりました。
大学の授業が終わった後に,彼の家へ遊びに行き,野球をしたり,テレビを観たり,近所の子と一緒に遊んだりしたのです。
何ヶ月か通ううちに,彼は少しずつ学校へ行けるようになりました。「にいちゃんといっしょなら行く」というのです。
はじめは保健室から,次は教室の前の廊下まで,そして教室の後ろで5分,次は10分…。「かんちゃん,今日はよくがんばったねぇ」。そんな会話をしていた時のことです。その小学校の教頭先生が職員室から僕を手まねきしました。

「一人だけそんな勝手なことをしてもらっては困るんだよ!」。

大勢の先生方が息を潜めている中,その教頭先生は,くどくどと不満やら自分の教育論やらを並べるだけ並べて,スッキリした顔をしてあっちへ行ってしまいました。かんちゃんのお父さんは大学の先生,お母さんは小学校の先生でしたので,ものを知らなそうな大学生には言いやすかったのでしょう。
話が終わって,僕は,きちんと反論できなかった自分がくやしかった。「先生はかんちゃんのことを何もわかっていない!」と心の中で叫びつつ,でも,それをどう言っていいか分からなかった。
重い足を引きずりながら校舎を出て,校庭のすみのブランコで心配そうに待っていたかんちゃんを見たとき,思わず涙があふれてきました。
すると,突然,かんちゃんの目から大粒の涙がこぼれでて,「にいちゃん,泣くな!」と言って,僕にしがみついてきたのです。
僕は,「ごめんな。ごめんな」と言って彼を抱きしめて,そして心の中で感動していました。こんなひねくれたやつなのに,心から心配して,僕のために涙を流してくれる子がいる。
僕の探していたものは,これだったんだ。
先生になりたくて,なりたくて,僕は先生になりました。
自分の適性とか才能とかというものを考えてみると,もっと違う道もあったのだろうと思います。でも,教師という仕事は思っていた以上におもしろくて,楽しく,そしてやりがいがありました。

悔いはありません。

※その後,大学生が小学生のサポートをする事業が行政により行われるようになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?