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細川忠興と弟・細川興元と馬と

乗りパクした馬をパクられたおはなし。

細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟です。

今回は『綿考輯録』第3巻より引用しています。

忠興が関ヶ原の戦いで使った甲冑やら指物の記録といっしょに書いてあって読んでて楽しい!

一.御馬 本ふん黒糟毛

根本ハ日向の伊東氏の馬成しを、黒田氏江参り夫より三好新右衛門ニ参候を、玄蕃殿へ見せ被申候時、乗て見可申とて乗逃にして其段忠興君へ御申上候へハ、夫は羨敷事也、少し見せられ候へとて、牽に被遣山本三四郎を裸馬に乗らせ御覧候而、一段気ニ入たり。厩に繋き候へ、満足由被仰候へハ、是ハ迷惑仕候とて様々御断有之候を、米田助右衛門申候ハ忽而玄蕃殿ハ人ニ物を惜むやうに而被遣たかる御形儀と申けれは、扨々悪敷取合せ哉と被仰候、此馬死人をも無作々々と踏て通しと也

『綿考輯録』第3巻

ざっくり現代語訳


御馬 本ふん黒糟毛

この馬はもともとは日向の伊東氏の馬だった。が、黒田氏のものになり、そこから三好新右衛門(三好房一)に渡っていた。三好新右衛門が玄蕃殿(興元)に見せた時に「この馬に乗ってみるとよい」と乗せたところ、乗り逃げされた。

このことを玄蕃殿が忠興君へ申し上げると「それは羨ましいことだ、少し見せてみよ」と、馬を引いていた山本三四郎を乗せ、それをご覧になると一段気に入られた。

その後厩に繋いでいるところへ「満足した(から頂戴)」と仰せになると、玄蕃殿がこれは迷惑だと思い色々理由を付けて献上を断った。すると、米田助右衛門が「玄蕃殿は人にあげまいと物惜しみするのに人からは奪い取るお方だ」と言うと、なんとまあ(その良い馬と相対的な持ち主とで)悪い取り合わせだと仰せられた。
この馬は死人もむざむざと踏み通ったという。


ざっくり考察


俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものを全力でやってる細川兄弟…

関ヶ原でも馬と一緒に井戸ぽちゃしてるし、細川興元は馬運悪いんかなあと思った次第。
あと忠興の絵画って馬描いてるのが多いんですよね。島田美術館に所蔵されている忠興作の馬の絵、お尻がぷりっとしていて可愛いのでぜひ調べてみてみてほしいです。

馬に関してはゆずれない所があったのかもしれないですね。がそこまで言わなくてもいいとおもう。

興元は馬のほか浮股という刀も忠興に取られてるのでちょっとかわいそうな気もします。

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