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細川興元ゆかりの場所:紅葉が岡


細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟です。
細川家は丹後を治めていたことがあり、興元も現在の京丹後市峰山を治めていたことがあります。

今回は『京都府の地名』より、興元が名付けた「紅葉が岡」という地名について紹介していきます。


紅葉が岡


(峰山城)旧二の丸付近をいう。
眺望が開け日本海が見渡せる。
玄蕃頭細川興元の妻が、蟄居の慰めに楓を植えたことから名が生じたという。

興元の父幽斎(藤孝)の「天正日記」(『中郡誌稿』所引)に、

 玄蕃数多居城の地は北に水江網野の海見へ渡り、万葉集に浦嶋子が長歌のさまなつかしく、詞花集に和泉式部が男をうらみてと題せし哥は爰の山祇の社に籠りて詠なるよし兼房任国の記に見へたり、何となく此山の哀になつかしければ楓を植て籠居を慰み侍る也と興元が妻消息せしことのけなげなさに(下略)

とみえるように、式部伝説の地でもあった。
現在は当時の紅葉の面影もない。

とのことです。
このことから興元が峰山城主だった1582年にはすでに最初の正室・いとと婚約していたことがわかります。
紅葉の頃には興元夫婦も二の丸で紅葉狩りなんかしてたんでしょうかね~

ちなみに地名の「紅葉が岡」は今現在、京丹後市紅葉ヶ丘運動場としてその名をとどめています。

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