見出し画像

細川興元の関ヶ原

前に乗せた「戻ってこいって軽率にいっちゃだめだよ!」逸話ともうひとつ、井戸ボチャの逸話。

細川興元、なんでこんな話しか残ってないんだ??



細川興元の関ヶ原


興元も兵を指揮して駆け回り、敵と鑓を合わせていたが、そのうち古井戸の中へ馬もろとも駆け落ちた。

やっとの思いで物にすがりながら井戸から這い上がり、従士と二人で馬に細引きをかけて引き上げようとするが、馬は上がらず、力尽きかけたところへ騎馬の敵が近づくのを見つけ、味方のふりをして鑓で突き落とし、馬を奪った。

従士がこの武者の首を取ってくると、興元は、このようなときに追い首は取っても何の価値のないと、首をやぶの中へ捨てさせ、再び奪った馬で敵を追い求めた。

『戦国細川一族』

原文(綿考輯録より)

御年譜ニ、古井の中へ馬を駆落し給ひしか、物ニ取付漸々に上り付、従士と共ニ二人して馬ニ細引を付引あけんとし給へ共、不叶力を失ひ給ふ所ニ、騎馬の敵来るを見付、味方の風情ニもてなし突落し、其馬ニ打乗給ふ、御内の者首を取て参りけるを、か様の時追首ハ取てもよしなきとて茅の中に捨させ、猶敵を追駆ふと云々

綿考輯録


ざっくり現代語訳


御年譜によると、古井戸の中へ馬と一緒に駆け落ちしたが、物に取り付いてなんとか井戸から上がってきた。
従いの者と二人で馬に細引きを付けて引き上げようとするも、かなわずへとへとになっている所に敵の騎馬武者を見つけた。
そこで味方のふりをしてもてなし突き落とし、敵の乗っていた馬に乗った。従いの者がその敵の首を取ってきたが、「こういうときの追い首は取っても何の手柄にもならない」と言って茅の中に捨てさせ、その後もなお敵を追い駆けていったという。                          


ざっくり考察


少なくとも関ヶ原で2回落馬してるけど大丈夫なのかな…?

当時の落馬の基準がわからないので、落馬しすぎなのか否か判断しにくいけど、よく井戸ポチャして生きてたなあという感じ。

びっしょびしょのまま戦ってたのかしら。
一日中。
秋風が吹く中。
絶対風邪ひくわ。

『新解釈 関ヶ原合戦の真実』という本によると、関ヶ原合戦で細川家中における打ち取った敵の首数が最も多いのは興元隊(首数31、生け捕り5人)だそうですよ!

がんばりの甲斐あってか、『ゲレイロ編集の年報』には、翌年7月、中津での宴のときに忠興がいちばん最初に興元に対して、

「常に先頭に立っていい秩序で軍隊の指揮をとり、その人柄で大きな勲功を立てた著しい事柄に大きな賞賛を与えた」

と記されてるようです。(by戦国細川一族)

半年後に興元出奔するけどな!!!つくづく仲悪いのかいいのかわからん兄弟!


参考にした書籍はコチラ▽

戦国細川一族―細川忠興と長岡与五郎興秋

新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い


この記事が参加している募集

基本的に記事は無料です。おせんべいが好きなのでおせんべい代にします。