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老人雑話の細川興元

細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟です。

今回はその細川興元の関ヶ原の戦いの時の逸話を紹介。

『老人雑話』 乾之巻より引用です。

長岡玄蕃云、吾れ関ヶ原の時、引て退く馬武者を見て廻(かへ)せと云ければ、即帰てくむ。組しかれて已に首を取られんとせしに、郎等一人來つて引のけて、吾に首を取せけり。危なき目を見たり。足をみださず引武者には、必廻せと云ふべからざる者也と云じえりとぞ。玄蕃度々功あるもの也。      

『老人雑話』 乾之巻より

ざっくり現代語訳


長岡玄蕃(興元)いわく。
「自分が関ヶ原の戦いの時、引き退く馬武者へ「戻ってこい!」と言ったらすぐに引き返してさらに組敷かれた。己の首が取られようとしているとき、家中の者が来て馬武者を退かせてくれ、その首を取ることができたが危ない目にあった。(馬の?)足を乱さずに引いていく武者には、かならず戻ってこいと言ってはいけない。」
とのことである。玄蕃はたびたび武功がある人物だった。


なんと『綿考輯録』にも同じ逸話があります。

或覚書ニ、玄蕃殿関ヶ原ニ而引退敵に返せと詞を懸られは、取て返し玄蕃殿を組敷しなり、其時郎等落合敵を打取し也、のちに玄蕃殿物語ニ足を乱さす引敵ニハうかと返せとハいはぬもの也、我等も関ヶ原にてかようのこと有しとの物語也と云

ざっくり現代語訳その2

ある覚書に、玄蕃殿が関ヶ原において引き退く敵に「戻ってこい!」と言葉をかけられると、すぐに引き返し玄蕃殿を組敷いた。
そのとき家中の者と合流してその敵を打ちとったということである。のちに玄蕃殿は、足を乱さず引く敵にはうっかり戻ってこいとは言わない方がいい、我等も関ヶ原でこのようなことがあったから、と物語で述べているとのことである。


関ヶ原の時、興元隊は細川家の中でも一番多くの首級を取っています。
関ヶ原の時の他の逸話はこちらもあるよ

圧倒的猪武者なんだよなあ。

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