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小説★アンバーアクセプタンス│十二話

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第十二話

ミスターポールの薄情な遺書

 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になる ── マザー・テレサ ──

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 遺書(別紙)

 これが読まれているということはアンバー、君も何かやらかして隔離棟へ来たのだろう。しかし君は俺と違って死を覚悟しているわけじゃない。そうだといい。


 さて、この文書は遺書の別紙だ。本紙に記載したくない説明を書く。うまく飲み込んでくれ。正式な方は信頼する弁護士に預けてあり、俺が死んだら君へ通知される。俺の生前の記憶情報を含む資産は、全てアンバー・ハルカドットオムに譲ると決めたのでね。

 では、俺とベル・エム・サトナカの関係から。

 俺たちは、血縁があるわけではない。だが、孤児院時代からお互い姉弟同然の関係と認め合ってきた。ああいう施設ではそういうことがわりとある。天涯孤独の子供たちが似た境遇の仲間と家族のように思い合う。普通といえば普通の話だ、わかるな?

 孤児院には、将棋クラブがあった。ベルにとって本当の意味での古巣だ。そこで里中七段がボランティア講師をしていた。物心つく頃から部員だった俺とベルは、彼から良いことも悪いことも色々と教え込まれた。

 率直に書くと。強くなるためなんて屁理屈で虐待され、利用されたとも思う。残酷な過去だから美談にならない。重大なプライバシーにも関わる。だからたとえ君が相手でもその辺りの詳細は省く。察してほしい。また、このつづきも退屈だろうが我慢して読んでくれ。

 ベルは才能を見込まれ、小学二年生、八歳から特別養子縁組で里中七段の娘になった。二〇三二年だ。里中はベルの師であり、父であり、将棋の実力はもちろん折り紙つきの天才棋士だった。が、その実態は八百長将棋のスペシャリストでもあった。

 例のトーナメントの決勝でも里中はそうしようとしたさ。取り引きを持ちかけられたベルは、初めて彼と関係を断つ決心をした。生理的な反抗期とは違う。復讐でもない。将棋のための、本物の棋士としての、正真正銘のプライドをかけた反逆だった。

 その結果、まあ絶縁されてしまったわけだね。経済的な意趣返しまで受けた。
 里中は復讐されたわけじゃないとわかっていたはずだろ、馬鹿じゃないんだから。なのに報復されたと捉え、ベルにお門違いの報復をしたと思われる。

 里中がベルを愛していたといえるか? それはわからない、本当に。彼が自らの本心について語ったことはない。ただ彼が将棋や次代の子供に歪んだ執着心を持っていたのは確かだと思う。その憶測は後述とリンクする。

 ベルは、自身の全財産を俺に譲るという遺書を中立母星振興市のアンジェリナ市長に託している。家族と思える者は俺しかいないから。
 アンジェリナも、俺たちと同じ孤児院の出身だ。弁護士にされ、市長にされた。彼女もまた里中のお気に入りで、その人生を支配されてきた。

 しかしベルもポールもアンジェリナも、ずっと聞き分けの良い子供じゃない。人の手の平の上で踊ってばかりじゃいけない。
 そう気付かせたのが、ハルカだ。

 ハルカはハッキングのスペシャリスト、そうだったよな? 世界恐慌以前から自作の化物みたいなAI七味しちみを使役し、色々な情報網を通じて里中やベルの存在を把握していた。里中とは違う意識からベルの履歴に目を引かれた・・・・・・ようだ。つまり、株のトレードの仕方にひっかかった。ベルがアルゴの予測に勝る精度で先を読むことは今さら説明しない。

 当時、注目されていなかったベンチャー企業の中で、のちに世界一の時価総額にまで昇る宇宙関連事業を準備している所があった。その株をベルとハルカだけが底値の底値で大量に買い込んでいた。社会全体の信用が弾けたら逆に価値が暴騰する企業の株をね。

 肝心なポイントはベル自身が儲かったわけじゃなく、ベルが里中みたいなやつを、世界経済を動かしたり動かさなかったりできるほどの大資産家にしちまったこと。ベルは未成年だったから、信用取り引きは親の里中名義でしてた。それで彼女は罪の意識に苛まれている。

 二〇三〇年代は社会の構造が、日本各地の地域レベルでも地球規模でも明らかに衰退した。特に人口バランスが危機的すぎた。
 今もその不安がつきないのは、人類が莫大な富を宇宙に投資し続けすぎているからじゃないか。先のことを考えすぎて今の地球人に還元してない。飢餓で死ぬ子どもらを無視するような、里中の金使いなんかが特にひどい。だからハルカの照準に合った。

 彼はハッカーとして超弩級だが、小説家としては世界を守るプロットをこれまでまともに書けていない。残念な立場からこの現実を恨んでいて、同時に愛そうともがいている。それこそ彼固有の葛藤だ。彼はベルの絶望的歴史に引かれ、接近し、今では接合しかけている。

 ハルカは地下から里中をロックオンしている。やつの大失脚を狙っている。決行の絶好のタイミングをうかがっている。ただそれぞれの問題を別々に解決するよりも、色々と一気にかたをつける魂胆だろう。そしてその証拠はどこにもない。秘密だもんな。

 ただ、あのベルがハルカのすることを予測して信じている。まるで暗黙の約束をしたみたいに。このミスターポールの調査でさえ、ハルカの素性は全然わからなかったというのに。
 彼女は彼をその目で見て、疑うよりも信じることに賭けたのだろう。

 ハルカの支援を受け入れて、ベルは飛車八号を作った。そして君をも作った。
 彼らは地球や人類を見限るポーズを取る、宇宙規模のハッタリをした?
 多分それ。綺麗事を書くだけじゃこの世界は変わらないと考えている。

 大まかないきさつはそこそこ、こっからが本題だ、アンバー。

 君の親権は、法律上、ベルが死ねば俺に帰属する。ベルも俺も死ねばどうなるかというと、国に帰属するらしい。飛車八号も同様だ。

 アンジェリナはその万が一の事態を憂慮し、ベルを地中の秘密研究施設に隠している。また、俺にこの遺書を書かせている。彼女の立場は中立中の中立ゆえに、船はともかく君が偏ったどこかの国に渡るなんて何としても避けたいんだ。
 わかっているだろうがアンバー、君の立場は特別中の特別だから、ベルから物理的に遠く離されている。飛車角寄るべからず。いのちだいじに。ただし終盤の寄せではガンガンいこうぜ、だ。

 君がどこまで成長できるかなんて凡人の俺はしらん。だが預言死守党派はベルのハッタリも里中の権威も悪気なく信じ込んでいる連中だから、今後も気をつけた方がいい。

 作戦はこう。

 君は、飛車八号を日本海辺りへ墜落させなければならない。
 予言死守党派の思惑からも帰還協会の思惑からも外れろ。船は帰還させず、搭乗員たちだけ地上へ生還させろ。そして全世界が号泣し、全人類が何となく君に地球号という惑星の舵を委ねる、まあ、そういう感じにしてくれ。
 やり方は自分で好きに考えてくれ。

 どうする? ザ・フライに出てきた瞬間移動装置みたいな物をこれから二か月くらいで作れるか? あるいはドラえもんのどこでもドアがあれば助かる。
 仮想タイムマシーンはベルとハルカが数年で実現させたんだ。
 優秀な君にできないわけはないだろう。

 成功を祈る。

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「え、えぐい。まさにミッションインポッシブルだ。作戦も何もないじゃん。丸投げじゃん」

 全世界を号泣させろって? そんな御伽噺は真人間じゃなきゃ不可能だろう? 仮に画期的な装置やファンタジーを作れたとしても、心の浮動票を持ち余した大勢の人たちが感心を集中してくれなきゃ絵に描いた餅だ。
 
 どうしよう。この隔離棟の壁くらいは、いつでも破壊できそうなのだが。

 ぼくはミスターポールの遺書を噛み砕いて飲み込んだ。
 嘘偽りなく渋いどんぐりの味がした。

「はあ。花咲かじいさんじゃあるまいし。うつつ画餅がべいを咲かせましょう、か」

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第十三話
「あしたにやさしい思考回路」につづく

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