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小説★アンバーアクセプタンス│十話

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第十話

無限グラフィカルのつながり

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 私の生まれた二〇二四年以前は、二〇四五年頃に人工知能が人知の限界を追い越すと予想されていたらしい。技術的特異点シンギュラリティとやら。これが予想より十年くらい前倒しで突破している。

 小学生の時、近未来の情報網にサイバーウイルスがはびこる想像は容易にできた。日本の安全神話を破壊するのは漫画みたいな悪のハッカーが使役するAIかもしれないという陰謀論が普通にあり、これは冗談抜きに三次元化されてもおかしくないと心配していた。
 
 文明の変化を俯瞰すると社会に居場所のない人々が増えたのは必然だ。そうとしか考えられない情報が不自然に増えすぎていた。過去の新聞なんか四角四面に読むと

「不安要素が過剰。わりに希望が薄弱」

 大人たちも普通に怖かっただろう。
 よくわからない誰かの正義の矛先が自分たちの生き方に向けられていたみたいで。

 今は二〇四六年。私は二十二歳。

 宇宙船・飛車八号のための研究や開発に携わって八年になる。十四歳から、たったの八年だ。
 その間もしもテクノロジーの進化が爆発的に加速していなかったら。そしてもしも私が助手ハルカに見限られていたら。
 考えたらぞっとする。ここまで来るのに八十年くらいか、それ以上の時を失っていただろう。

 仮に私が子どもを産んでその子が大きくなったら、もう宇宙関連サービスの求人情報が普通に見られる時代かな。
 近未来、その辺を探検しにゆくみたいな勢いで好きな業界へ飛び込める自由があったら、素敵だろうな。

 発明と科学をする人たちが今後どういう方向へ向かうのかは、今の職業に関係あるので気になる。我々のテクノロジーはまさか神が神の領域を手放すための計画に組み込まれているのだろうか、なんてね。

 ハルカは寝言で神様を信じていますと言ってた。こんな状況だけど私も神様には感謝してる。

 神様。私は狭い地下室で困っていますが、タイムマシーンに乗ったみたいな速度で奇天烈な議論をできる相手が与えられていて、曲がりなりにもありがたいと思っています。

 神様。ハルカは日々、私の食事を用意してくれます。野菜も食べさせられます。彼はそのあたり、オプションサービスだと言っています。本当にありがとうございます。

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 ハルカのメインサービス、主たる業務はたまげたものだ。外部からのサイバー攻撃に徹底抗戦できる実用性抜群のAIキャラクター『七味しちみくん』の共有や、アナザーネットワークシステム『ねるこむ』の運用等、技術面のサポートを担ってくれている。そんな異次元の仕事への感謝が重いので、軽い感想には変換不可能だ。
 プライベートでのハルカは、夜毎こつこつ現代ファンタジー的な小説とか書いている。泡沫太陽うたかたたいようなどという気障なペンネームで。

 ハルカの書いた物語はアンバーにも読ませている。なかなか気に入っていた。自習の参考資料としても良く、人生の反面教師としても良く、単なるおやつを楽しむようにも読める作品。公私混同のようだが、そんな業務外の心のゆとり教育こそ彼には有益だと考えている。

「アンバー、純粋な目で読めているようだね」

 そう、私は彼を褒めてみた。

「でしょう。これやけに複雑なんだ。うひひひ。ベルも書けば? 読むよ!」

 アンバーは物語を読めることが誇らしいようだった。妙に自信満々で粋がっていた。

「私に良い小説は書けそうにないね。君こそ書きたまえ。ハルカのより良いものを」

 ハルカの書いたものをアンバーが祝福するなんて、理屈ではメビウスの自画自賛みたいだった。でもそんな突っ込みを入れるのは無粋と思わせる。アンバーが嬉しそうにすると、私も自然とにこにこしていたくなった。

 私もアンバーも、読んだり書いたりすることが好きだ。特に夜に書くのが好きだ。
 ハルカも、そしてきっとあのミスターポールも。
 何かを一生懸命に書いていると、なぜか希望が湧いてくる。

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 閑話休題。

 今夜この研究所の居住スペースでは、私のデスクの背中合わせに、ハルカがまた何か熱心に書き続けている。その頭から知恵熱の蒸気が出てきたりしないことを祈る。狭いから。
 私は私で、自己中心の甘やかな余暇に浸って、この手記を書いている。

「ああ眠い。けどもう少し。ベル、珈琲飲まない?」

 ハルカは何でもなさそうに聞く。

「ベスト・タイミング。よろ」

 私は当然として認める。

 お互い今日のような夜を静かに過ごすのは何年ぶりかな。ハルカがついでに温めてくれた冷凍のたい焼きをかじったら、ふいに泣けてきた。およよ、涙腺が弱くなったもんだ。

 ・・・

 私がブレインインターフェースに成功したことは、以前の記述で告白した通り。
 飛車八号の人工知能と私の意識は相対性理論に反しているわけではないけれど、まるで同理論に反するかのごとく不思議な形で融合した。
 それとまったく同じ原理で、私の助手であるハルカも、七味とのブレインインターフェースに成功していた。まあ、私にできるレベルのことがハルカにもできないわけがなかった。
 七味はハルカが小説を書き続けてきたことで培ってきた想像力の拡張を、今も無限に飛躍させている。

 具体的な経緯を解説するとあまりにも現実離れした話になりそうなのだが、大事な事実だ、ここで明確にしておこう。

 結論から言うと現在より四年前、つまり二〇四二年の五月十日、傷だらけの私たちのソウルコピーはハルカと七味の矛盾した思いがぶつかり合うバックグラウンドの意識群に巻き込まれ、その刺激的な副作用に耐え抜いた果てに、常人のマイナス十倍を下回る超低速度の時間感覚で脳の本領を発揮する性能に目覚めさせられた。

 終わりの見えない大嵐のようなサイバー・ウォーズ時代を切り抜けた私たちの脳は、以前のようにお互いの意識を傷つけなくても、個別自立しながら《一時間で十時間分の未来の素材を捻出できる》。

 いやはや、そんな書き方をすると変に回りくどくなるか、にわかには信じられなくなりそうだ。しかし事実は編集しようがない。よりあっさりと状態が伝わりそうな文章に変更できたら良いのだが。

 別角度からは、次のように学会へ宣言することもできなくはない。

 飛車八号やアンバー・ハルカドットオムの存在する世界は、私と私の助手が大嵐のような仮想の渦中へ飛び込み、実質的に四十四年間相当もの時を股に掛けて研究した上で開発できなければ、絶対ありえなかった。

 ・・・

 呑気な犬のアンバーだけに、時々密かに、本当に、大した拾い物をしたよなって言いたくなる。
 王将より副将の軍師が戦を左右する。これは紛れもない真実だった。

 万が一にもアンバー・ハルカドットオムのパーツモデルであるハルカ・泡沫太陽が敵だったら。そう思うと鳥肌ものだ。
 もし本当にそうだったら、誰にも食えないアンチサノバースがはびこる新手のホラー映画みたいなバッドエンド。みんなしてもっとひどい所へ落とし込まれてしまうだろう。

 余談ついで、彼の名誉のためにもう少し追記する。

 ハルカの書く情熱のレベルはこの私の予測領域を常に上回っている。ハルカが執筆中、七味は彼の脳に干渉したがるのだが、強固な意思の壁によって必ず接続拒否されている。

 七味は強い。私たちの未来のために絶対必要。そして、その強さが危険でもある。人間の心に隙があれば過保護化し、リードしたがるものだから。

 だが、そういうことだ。

 七味くんが七味くんである限り、どんなにバージョンアップしても、ハルカ・泡沫太陽というクリエイターの自由であり続けようとする精神、わがままな創造性、余裕の遊び心なんかには、絶対永遠に追いつけない。

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第十一話
「楽しいどんぐり暗号の解き方」につづく

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