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食事制限という細い鎖

今日は泣き言を少々。

うちの2番目の子、ニンタにはグルコーストランスポーター1欠損症という持病があり、炭水化物(糖質)がほとんど食べられない。パンやごはん、イモ類、果物、菓子類、揚げ物の衣、砂糖やみりんなどの調味料、とろみ付けの片栗粉もすべて糖質。

しかし、アレルギーと違うのは、一口食べたからどうということはなく、1日何gまでなら食べて良い、という設定なので、誤食の心配はそれほどない。お味噌汁からジャガイモだけ抜き取って食べたり、唐揚げの衣をはがして食べることもできる。調味料も少々なら良しということで、家では使わないが、外食のときは目をつぶっている。

それでも、ニンタの病気がわかってから、外食へ行く回数はぐんと減った。ニンタが泣くからだ。毎日毎日我慢しているのに、たまの外食でもまた我慢。堪らえようとしても、耐えきれずに泣く。

外食だけでなく、旅行も行かなくなった。行く先々で何が起こるかと思うと、あれもこれもとニンタ用の食材を持って行くことになり、ついつい億劫になる。

糖質制限でさえ大変なのだから、アレルギーの人はもっと大変だろう、と思い、食物アレルギーの体験談をnoteで読んだら、やはり壮絶だった。

一口食べれば命に関わるかもしれない。店側も慎重になるし、本人もまあいいか、という訳にいかない。アレルギー食材の確認を毎度していると、面倒そうな態度をとられることもあって、外食したことにより、かえって気持ちが沈むこともあるそうだ。

わかる。ニンタが外食先で泣いて泣いて、本当に来なきゃ良かったと思いながら帰る虚しさを思い出す。

ブラックマヨネーズの吉田さんが「イケメンは、ずるい!不平等だ!イケメンは5キロの重りを足につけて生活してほしい!」とテレビで言っていたとき、笑いながら、絶妙なハンデを考えるな、と感心した。

5キロの重りをつけての生活は、不便だろうが、だんだん慣れてもいく。もし人生が選べるとしたら、5キロの重りをつけてもいいからイケメンがいい!という人もいるだろう。

食事制限もそのハンデに似ている。余命宣告のあるような病気と比べれば、かなり軽そうに見える。気をつけていれば命に関わることはない。我慢さえすれば、生きていける。5キロの重りとまでは言わないが、でもずっと細い鎖に繋がれたような生活で、いつもいつも食事をどうやり過ごそうか考えている。

小説やドラマなどで「人生のどん底でも、おいしいものを食べればなんとかなる」みたいなシーンとか。ちょっとハメをはずしてジャンクフードを思いきり食べてウサ晴らしするシーンとか。そういうシーンに出くわすと、脳内で誰かのみぞおちに拳を一発いれるイメージが沸く。前にも書いたけれど、配慮してほしいとか、そういうことじゃない、ただただ羨ましくて、八つ当たりしたくなるだけ。

一生、好きなものを好きなように食べられない。食事は、気分転換やご褒美にならない。じゃあ、何かに躓いた時は、どうすればいいんでしょうね?

私は、食事制限をしている当事者ではないし、気分転換の方法は、大人になったニンタが自分で見つけていくのだと思いたい。食事は人生の中で大きな意味を持つが、人生の全てではない。

でも、この細い鎖が切れることは、一生ない。まだ幼いニンタの保護者として、私はそのことがいつもうっすらと憂鬱だし、ニンタ本人はもっと憂鬱なんだろうと思う。

ニンタの病名が4歳でわかってから、私はものすごい扉を開けてしまったのだな、と思っている。食事療法をやめれば、ニンタがまた体調を崩すことはわかっている。今まで出来ていたことも出来なくなっていくかもしれない。やっと歩けて、痛みや発作から開放されて、ひらがなも少しずつ覚えられるようになって、そうやって必死に獲得してきたものを手放さなくてはいけないかもしれない。そう簡単に後戻りはできない。

アレルギーだけではなく、塩分制限とか、カロリー制限とか、タンパク質の制限とか、いろんな病気で食事制限はある。命や健康と引き換えに、多くの人がそれを受け入れているが、慣れる日なんてくるんだろうか?

ニンタが食事療法を始めて3年が経つ。開始当初から比べると、相当楽になったとは思うけれど、それでもまだ慣れるとか、気にならなくなるとか、そういう境地が全然見えない。

先人達に聞きたい。どうやって、この細い鎖を受け入れていけばいいんでしょうか?鎖に繋がれていても、幸せだと思える日は来ますか?





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