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吃音の子と暮らす、せっかちな私

うちの子の3番目、ミコ(3歳)には吃音がある。話すときに「ととととと、ともだちがね」という具合に、言葉の頭が連続してしまう。

幸い、言葉がでなくて力が入ってしまう、という症状はないので、要観察ということで、ときどき言語の先生の指導も受けているが、まだ具体的なトレーニングなどはしていない。

吃音というのはめずらしい症状ではなく、2歳〜5歳あたりで100人中8人はそういう時期があるそうだ。そういえば、1番上のいっちゃんも、そういう時期がほんの少しだけあった。話したい気持ちがあふれているのに、言語の獲得がまだ追いついていない、という雰囲気。

ただ、ミコの場合は言葉が出てからずっとこんな調子で、その時期が長い。1人で人形遊びなどしているときは、人形のセリフ(ひとりごと)で吃音が出ることはないから、「相手に上手に話さなくては」という気持ちや焦りで、吃音がでるんだろうな、ということは、素人の私から見てもわかる。

小学校にあがる頃には自然と治ることがほとんどだと言うが、就学後や大人になっても症状が残る人も居るということで、大きくなって自分で吃音が気になる前に治らないものかな…と、いつも気になっている。

さらに言えば、愛情不足なんだろうかと思ったり、私がいつも「早く食べなさい」とか「早く着替えなさい」とか言っているのが悪いのだろうか…と、誰にも言われていないのに、自分を責める気持ちも湧き出てくる。

対処法は、ゆっくり話しかけること。吃音が出た時は、話し終わりを待ってから、さらに一呼吸置いて、ゆっくりと「…。そうなんだ。公園に、行ったんだね」と、同じ内容を繰り返して聞かせること。そして、大勢がいっぺんに話すような場面では、交通整理をして、順番にゆっくり話す環境を作るように、と言われた。

これが、ものすごく難しい。まず、私がせっかちで、ゆっくり話すことに慣れていない。そして、ミコも話したい気持ちが高まっていて、とにかく話しまくる。私は習った通りに、相槌も一呼吸おいて「…。そうなんだ。公園に、いったんだね」と言おうとしても、その一呼吸「…。」の間に、もうミコが「そそそそそ、そのときにねっ!」と次の内容に入ってしまい、相槌をいれることも、ゆっくり内容を繰り返すこともできないまま、ひたすらに吃音がでまくるミコの話を黙って聞くしかない、という状況に陥る。

さらに、3人のこどもは我先にと自分のことを話したがるので、そこを順番待ちにさせると、「長い〜!」「まだなの〜!」とブーイングが入り、ゆっくり落ち着いて話す状況はなかなか作れない。

こんなにも私と我が家に向いていない子育てがあるだろうか。私はこどもの頃からせっかちで早口で、「ゆっくり話しなさい」「落ち着きなさい」とさんざん言われても治らず、むしろ「スピード重視」と長所と捉えようとすら思っていたのに、またここで「ゆっくり話して」と言われるとは。

言語の先生が話すやり方は、戦場カメラマンの渡部陽一さんかティモンディの高岸さんくらいのスローモードで(大げさに言っていない、本当にそれくらいだった)、いやいやもう、聞いているだけで足がムズムズしてくる。しかし、親としてやらねばならない。

それで思い出したが、数年前に「日本のジレンマ」という若者向けの討論番組があって、内容も充実していたけれど、とにかくその論客の語りを聞いているだけで、脳から何か良い物質が出るような感覚になり、よく見ていた。

番組に出ているのは、そういう場数をいくつも踏んできた人なのだろう。発言する場面になると、自分の思いや知識をものすごいスピードで話しまくる。私は頭のきれる人間でもないし、知識もないけれど、話すスピードだけはこの番組くらいが快適だ、あっちの世界に住みたい…と思った。

そこでまた思うのだが、最近の若者向けの歌やアニメはとにかく早口だ。私がこどもの頃は、人気マンガがアニメ化!というと、自分が目で読んでいたスピードとアニメの声優さんのスピードが全然違って、そのスローモーさに「なにこれ!同じ内容なのに、ものすごくつまらなくなってる!」とがっかりすることが多かった。

でも最近のアニメは、セリフの掛け合いのスピードが大事にされているな、と思う。原作がないアニメでは、最初から最後まで喋り倒し、というタイプもめずらしくない。

もともと、テレビアニメは「ながら見」でもわかるスピードで作られていたけれど、面白さを追求していたら、日常生活レベル、いや、しゃべくり漫才レベルにまでスピードアップした方が面白い、ということになったのかな…と想像した。

歌に関してはボカロの影響なのか、こちらも詳しくないのでよくわからないが、早口の快感というものは、絶対にあると思う。

ゆっくりでも面白いものはたくさんあるけれど、頭がガーッと掻き回される快感もあって、もう私は大人になってしまったというのに、世の中がそういうもので溢れていて、個人的には嬉しい。

そうじゃなかった。ゆっくり話すことの大切さの話だった。

ミコに吃音があるな、と気付いた時、あまり動揺しなかった。その時2番目のニンタには、日本で100人も居ないという希少難病が告げられていて、それに比べれば吃音くらいなんとでもなるっ、という諦観というか、やけくそな気持ちがあった。

でも親として、粛々と吃音を扱うしかるべき施設に問い合わせし、時々の指導を受けつつ、もう2年近くなる。

「ニンタに比べれば」と言うと、いろんな話が押しつぶされてしまうが、吃音は本人にとっては大問題だ。だんだん周りも大きくなり、ミコの話し方を真似する子も出てくる。吃音自体は悪ではないが、理解のない人に出くわしたり、本人の自尊心が削がれてしまうことが問題だ。

早口が快感とか、寝ぼけたことを言っていないで、親として少しでも環境を整えなければ…と、私は自分に合わない子育て方法に向き合っている。

そして2021年1月。年明けと共に、ミコにハッキリとした変化があった。年末年始に何があったのか。ミコは「ととととと…」と口から出るに任せていた音を閉じ込めるようになった。しかし、言葉はまだスラスラと出ないので「…と、も、だち、が………こ…うえんに……いたよ!」と、ものすごくゆっくりと考えながら話すようになっている。

これは…。力が入って苦しそう。吃音を意識してしまっただけで、良い変化というより、悪い変化かもしれない。いやでも、話すスピードはゆっくりになったから、過渡期?このまま治っていくの?

次の言語の面接のときに相談するとして、私は今まで通り、自分自身にゆっくりゆっくりと言い聞かせて生活する以外にない。「力を入れないで」とか、本人に言っても仕方がないと言うか、悪影響にもなりかねないし、見守るしかない。ゆっくり、ゆっくり。

吃音なんて健康被害もないし周りに迷惑もかけないし。なんなら左利きレベルで世に認められていいんじゃないの。ついでに、私が早口なのもそれが自分にとって快適なスピードというだけで、やれ、落ち着きなく見えるとか、話がわかりにくいとか、なんか「素敵な話し方」と程遠くて悪うございましたね!おかげで最近は少しはゆっくりになりましたよ!

…という悪態は心の内にある。でも私も話し方で他人の人格まで判断してしまうことは度々あって、結局「ふつう」の呪縛からは抜け出せない。

話し方が早いとか詰まるとか、そんなこと、本当に本当に、どうだっていいのにね。

いっちゃんが好きな「早口アニメ」。あはれ!名作くん。面白いです。

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