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吃音を見届ける

3番目のミコの吃音が悪くなってしまったので、今後の方針を決めるために、保護者面接に行ってきた。

最初は私一人で行こうとしていたが、ミコがよく遊びにおじゃましているご近所さんとその話題になったとき「おかあさんが?ひとりで?おとうさんは?」と言うので、「ですよねー」と考えを改めて、夫にも半休をとってもらって、2人で行ってきた。

私が一人で行こうとしていた理由は、夫は関係ないという思いではなくて、夫には、私が聞いてきたことを伝えればいいかな、と軽く考えていたからだ。

そして、夫とはそもそも吃音について考え方が全く違うので、一緒に行って何か得るものがあるかどうか、よくわからなかったから。

夫は生来の楽天家で、ミコの吃音についてほとんど心配もしていないし、自分で情報収集をしたりもしない。ましてや、親である自分のせいかもしれない、などと我が身を振り返ったりなど、絶対にしない。

私は心配性でオロオロと嘆き、惑ってばかりなので、正反対の夫とは家族としてのバランスは良いのかもしれない。でも、あまりにも考え方が違うので、お互いに共感しあえないということは、マイナスでもある。

前回「ミコちゃんとおかあさん、ふたりだけで遊ぶ時間を1日15分とってあげてください」と言われ、更に、今後はもっと家庭に負担がかかるかもしれない、とも言われていたので、相当覚悟して面接に臨んだ。

しかし、私は主婦として家をまわすことに疲弊していて、今の生活を維持することでも精一杯。夫は私の穴を埋めるために、仕事をしながら家事育児に限界まで参加していて、すでにキャパオーバーだ。生活は障害のある2番目の子を中心に回らざるを得なく、一番上のいっちゃんも不満と不安を抱えているし、一番下のミコも不満だらけだと思う。

私はそういう内容を包み隠さず話し、その上でミコの吃音のために、出来ることがあればしたいが、現実はこういう状況です、と伝えた。

話す前から、自分の至らなさに涙が出ていたが、隣にいた夫から「花粉症?」と聞かれて、本当にこの人は相変わらず絶好調だな、と力が抜ける思いだった。

言語の先生から、たっぷり宿題が出ると思っていたのだが、そういう現状をお話したからなのか、その面談では宿題らしい宿題は出なかった。「1日15分一緒に遊んでください、と言いましたが、『フルタイムで共働きなので、1分も時間はありません』と言う方ももちろん居て、必ずやってくださいとお願いしているわけではないですよ」と、さらにハードルを下げるような言葉もあった。

提案としては、今まで4ヶ月に一度だった通所を、最初は1ヶ月に数回のペースで通い、徐々に1ヶ月に1回くらいにしていくという事。家で吃音の状況を記録していく事。という2つだけだった。

吃音というものは、たいてい波があって、例えば学校などで発表会があると、その前は吃音がよく出て、終わると減る、ということがあるそうだ。いつも吃音が出ていると思っても、記録してみるとそういう波があることに気づいて、手を打てることもあるのかもしれない。

言われて気付いたのだが、たしかに「年明けから悪くなった」「ずっと悪いままだ」と思っていたが、年明けの、ものすごく苦しそうな状態と今を比べると、少しだけ楽そうになっている。そして、たまたまかもしれないが、ミコの保育園では1月に発表会があって、社会情勢のために保護者の参観はナシで、録画となったが、それが終わったことも関係しているのだろうか。

面談そのものはかなり疲弊したが、「もしかして、ミコの吃音は、今少し軽いかも」と気付けたことは、私の心をとても軽くした。私が最近2番目のニンタと踊ってストレス解消に努めていたからか、発表会が終わったからなのか、どちらも関係ないのか、もう本当に雲をつかむような話なのだが、こうやって試行錯誤していくしかないんだろうな、と思う。

そういえば、最近ミコは指しゃぶりをする。いっちゃんもニンタも、年少のときに指しゃぶりが出て、私は2回ともそれはそれは心配した。指摘したり怒ったりしてはいけない、と聞いてはいたが、どうしても気になって、話しかけながらするっと指を抜いてしまう事が何度もあった。なにが不満なのだろう、なにが不安なのだろうと、あれこれ毎日考えた。しかし、思い当たる節がありすぎて、どこから手を付けて良いかわからなかった。

しかし、3番目ともなると、さすがに私も肝が座ってきて、指しゃぶりくらいでは動揺しなくなった。「3人とも年少でやり始めるんだ、不思議だな〜。上の2人は3歳から幼稚園で、環境の変化のせいかとも思ったけど、ミコは2歳から今の保育園に通っているのに、なにを今更…」と、謎は謎のまま放っておいている。

私は指しゃぶりに関して何も解決策を持っていないし、少なくとも上の2人は、自然と指しゃぶりを卒業したという実績がある。もう何にもやることがないから、気にしても仕方がない、というところまで、3人目にしてやっと辿り着いた。

無関心が最良の解決策、とは思っていない。吃音に関しては、私はこれからせっせとミコを連れて言語療法士の先生のところへ通い、記録をつけ、良くなったり悪くなったりする度に、一喜一憂するだろう。あれこれ良いと思うことを試してみるだろう。

そして、もしこの先ミコの吃音が完全に出なくなったとしたら、そのときに「こうやったから出なくなったんだな」という手応えのようなものは、指しゃぶりと同様、おそらく何もないんだと思う。

ただ目の前のことを、自分の実力の範囲でやり、ただただ毎日やり過ごす、それしか道はない。

子育てに限らず、解決策がはっきりしていない問題というのは、そうやってやり過ごしていくしかないのかもしれない。

そう思うと、子に吃音が出ようが、妻が泣いていようが、全く動じない夫がうらやましくもある。嫌味でもなんでもなく、子育てに関しては、身を任せるしかない時が何度もあり、夫は素でそれをやってのけるからだ。






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