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過去を巡る旅

ニンタはもうすぐ四年生になる。思えば、ニンタの三年生での生活は『過去を探す』出来事がとても多かった。

知的障害があるからなのか、それともこどもはみんなそうなのか、ニンタは小さい頃の記憶はほとんどない。そして小学校の一年生、二年生、というものは、学校へ通うだけで精一杯で、過去を振り返る余裕が親子共々なかったのだと思う。

きっかけは、幼稚園から来たハガキだった。ニンタは年少の一年間だけ幼稚園に通い、次の年中は保育園、さらに年長で転園して他の保育園、と、計三ヶ所の園で一年ずつ過ごしているから、一年目の幼稚園の記憶はほとんど残っていないはずだ。

ハガキは、幼稚園での同窓会のお知らせ。本当はもっと早くやるものだけれど、近年の感染症対策で、卒園から2年以上経過して、やっと開催できるようになったのだと思われた。

何にも覚えていない幼稚園生活。ほとんど知らない子が集まる場所に、行きたいかな?ニンタに聞いてみると「行きたい!」と言う。そうかそうか、では行こう。

ニンタは当日とても楽しんで、お友達と一緒にツアーのように園内を周り、先生方に「大きくなったね!」と喜ばれ、一緒に写真をとって満足そうだった。

幼稚園の間取りとか、雰囲気とか、断片的にでも思い出すことがあったのだろうか。懐かしい、という気持ちはおそらくないと思う。それでも、行ってみたい、そして、小さい時の自分を知っている人に会ってみたい、というのは、本能的、かつ知的な欲求だと思う。

ニンタが『過去』に興味を持ったのは、大きな成長だなと思った。

その後、もっと新しい記憶にも手を付けた。小学校へ上がる直前まで通っていた保育園だとか、療育だとか、お世話になっていたけれど転勤してしまった療育の先生の新しい職場だとか、少しだけある記憶のところへ「行きたい!」「会いたい!」と言うので、できる限り足を運んだ。

「見たことある」「覚えてないけど、もっと見たい」など、時にはがゆそうに、時に楽しそうに、ニンタは自分の過去を探していた。年長さんで通っていた療育では、ほんの数分、先生に近況報告へ立ち寄っただけなのに、「お泊りしたいくらい楽しかった」そうだ。

三年生で幼少の記憶を辿っても、大人になる頃にはまた忘れてしまうかもしれない。毎年毎年こうやって訪ねていれば、記憶も定着するかもしれないけれど、それは大きな目的ではないので、どちらでも良い。

とにかく、意味があってもなくても、興味を持った時にその欲求に応える、というのが子育ての理想だと私は思っていて、今回は、ニンタが強く自分の過去へ興味を持ったので、その反応をキャッチしただけの事だった。

理想は理想として、現実は日々の暮らしに忙殺されていてほとんどキャッチすることが出来ない。ニンタの過去を巡る旅は、私が親らしい事を出来た、数少ない事の一つかな、と思う。

出不精な私が、なぜあちこちに電話をかけたり、約束をとりつけて出かけられたかと言うと、それは私にとっても楽しい事だったからだと思う。

元気で暮らしているニンタの姿を見せたかったし、お世話になった御礼も改めて言いたかった。そして、もしも私が記憶喪失にでもなったら、覚えていない場所でも訪ねてみたいだろうな、という、ニンタへの共感もあった。

訪ねた場所で、ニンタの心にどんな感情が沸き起こったのだろうか。それを想像すると、自分も時空を行ったり来たりするような不思議な感覚になる。

小さな赤ちゃんだったニンタがここまで大きくなり、それでもまだまだ小さい手で、過去を掴もうとしている姿が、とても興味深い。それぞれの場所で、再会の喜びと時間の儚さとが入り混ざった、貴重な空間に立ち会える喜び。

帰り道はいつも、私は任務を遂行したタイムトラベラーのような気持ちで、車を運転した。後部座席に座るニンタは、満足そうに歌っている。そうしてその日の出来事を振り返りながら、家に着くまでに、混じり気のない2023年に戻るのだ。




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